22 日向の家

 日向は俺の家の場所を知っている。


 つまり、このまま俺を帰したら何十分も濡れた状態にさせる、イコール俺が風邪を引く! となってしまったらしい。


「頼むからうちにきて。浴室乾燥あるから」と、それは熱心に誘われたのだ。正直制服のままプールに入ったのか? と思ってもおかしくないレベルの濡れ鼠になっていた俺は、お言葉に甘えることにした。


 確かにこの状態でエアコンが入った電車に揺られたら、風邪を引く気しかしない。


 という訳で、ジャボジャボとおかしな足音を立てながら向かった日向の家は、商業施設から住宅街に切り替わってすぐの場所にあった。白い壁が眩い二階建てだ。うちよりも大きくて新しそうに見える。浴室乾燥があるというのも頷けた。


 ちなみに、築三十年以上経っている我が家にそんな便利なものはない。母さんの帰りが遅い時はベランダから洗濯物を取り込むのは俺の仕事なので、ちょっとばかり羨ましかった。雨に降られると、いつも急いで走って帰るもんなあ。


 日向の家にはうちのような門扉もんぴはなくて、広い駐車スペースに小洒落た表札とポストが一体型になった物があるだけだ。シンプルでお洒落。いいなあ。


 心の中でいいなあいいなあを繰り返しながら何気なく『佐藤』と書かれた表札を見た時、「あ」と今更ながらに気付いた。


 あれ、ここって春香ちゃんちでもあるじゃん、と。


 途端、急に中に入っちゃ拙いんじゃないか? とビビりな俺が顔を覗かせてきた。


 だってさ、失恋した相手の家に知らんぷりして上がり込むってどうなんだ? 俺、ヤバくない?


 駐車場で思わず立ち止まった俺を、日向が訝しげに振り返る。


「井出、どうしたの?」

「えっ? あ、いや、その……ひ、人んちなんて何億年ぶりだから、緊張するなーって、へへ」


 実際、友達の家に上がるなんて中一以来の話だけど、それ以上に罪悪感が強かった。勝手に人の日記を覗いてしまったような、そんな感覚に近い。


 だってこれ、偶然にしても物凄く未練がましくないか? 下手したらストーカー……。


 だけどそんな俺の躊躇を、日向が吹き飛ばしてくれた。


「俺も自分の家に誰かを招くのは何億年ぶりだよ。井出だけ。だから遠慮しないで」


 どこか照れくさそうに仏頂面で言った日向の言葉を聞いて、ハッとさせられた。


 そうだよ、そもそも俺は日向に招待されたんじゃないか。それに、俺以外は誰も俺が春香ちゃんに失恋したことなんて知りやしないんだ。ビビりにも程があるぞ、俺。


「――井出、入ろう?」

「あ、う、うん」


 日向の方に一歩踏み出すと、日向がこれまでの送迎の時のように俺の腕を掴んできた。そのまま日向の方に引き寄せられる。


「わっ」

「本当に、遠慮しないで」


 玄関の鍵を片手で開けた日向が、俺を家の中に押し込んだ。おう……久々の強引な日向だ。だけど、今はそれが有り難かった。


 横並びに三人は座れそうな玄関で、水が滴る靴と靴下を脱ぐ。日向が「風呂場に行こう」と、やっぱり俺の腕を掴んだまま家の中に誘導した。


 家の中は、白を基調とした内装になっていた。天井も高くて、廊下も広い。つま先立ちをしながら廊下を進むと、日向が左に折れた。腕を掴まれたままの俺も、当然一緒だ。


 曲がった先には、広いドレッサーが付いた洗面所と洗濯機、それに浴室へ続く磨りガラス調の引き戸があった。おー、マジでお洒落……。


 日向は洗面所のドアを閉めて鍵もすると、唐突に言った。


「井出、脱いで」

「あ、うん」


 てっきり「ここで脱いで浴室に干すんだろうな」と思っていた俺は、素直に脱ぐ。


 張り付くジャケットとズボン、シャツを脱いでトランクス一枚になった俺の二の腕や頬を、ボクサーパンツ一枚になって眉間に皺を寄せた日向が何故か突然ペタペタ触り始めた。


 日向と俺の身長差は、おおよそ二〇センチ。つまり、正面に向き合うと日向の胸筋が丁度目の前にくる。俺のぺたんこな胸や腹と違って、日向の胸筋は形よく盛り上がっていて、腹筋なんて四つに割れている。ナニコレ、ただひたすら羨ましいんだけど。


 何故俺は日向の身体をガン見しているのか。それは、日向が俺の頬を両手で包んで黙り込んでしまっているからだった。お互いパンツ一丁で頬を包まれている状態で、どうやって日向の目を見ろって言うんだよ。俺には無理だ。今だって赤面してる気がしてならないのに。


 日向の大きな手が、首に移動していく。冷えた肌に日向の手のひらの熱は何と言うかあまりにも気持ちよくて、上半身にブワッと鳥肌が立ってしまった。だ、だって、だってさ!


 続く沈黙。何故かドクドクドクと高速で高鳴る俺の心臓。ど、どういう状況だよ、これ……!


 そしてとうとう、俺の我慢の限界がきた。内心「ヒイイッ」と悲鳴を上げながら、上目遣いで日向を見上げる。


「ひ、日向……? 何してんの?」


 やっぱりというか、日向は俺を滅茶苦茶睨みつけていた。どうしてそんなに熱心に俺の顔を見ているのか。


「日向……? 何か言ってよ……」


 日向は時折突拍子もない行動を取るけど、これはさすがに俺にも理解できなかった。それと同時に、なんで俺がこんなにドキドキしているのかもさっぱり分からない。もしかして、もうすでに風邪を引き始めていて熱が上がる前兆とか?


 と、日向が鋭い眼光をフイ、と横に逸らしながら、どこか照れ臭そうな口調で答えた。


「井出の身体が冷えてる。シャ……シャワーを浴びよう」

「えっ」


 ああ、なるほど。変な雰囲気になってるのはどういうことだよ!? と思っていたら、どうやら日向は俺の体温を確認していたらしい。驚かすなよな、全く。でも、シャワー? 人んちでシャワーはさすがに図々しくないか。


 過去に図々しくしたせいでハブられてしまった俺にとって、図々しいと思われる行動は是非とも避けたい。


「いやあ、悪いからいいよ! 乾かす間、服だけ貸してもらえたら」


 すると、日向が逸らしていた目を俺に向けて、キスでもしそうな距離まで顔をグイッと近付けてきた。うおっ。顔がいいだけに、迫力が……!


 そして、低い声で言った。


「井出、脱いで」


 ちょっと待て、俺のパンツのゴムに指を突っ込むな!


「ちょおっ」


 慌ててパンツの端を掴んで持ち上げる。でも、日向は例の如く強引だった。


「温まった方がいい。使い方を教えるから脱いで」

「こら! 勝手に脱がせるなって!」


 問答無用とばかりにグイグイと人のパンツを下ろしていく。抵抗する為に日向の腕を掴んだ瞬間、表面の皮膚の冷たさにギョッとしてしまった。


「ちょっと日向さ! お前も滅茶苦茶冷えてんじゃん! お前こそシャワーを先に浴びろよ!」

「井出が風邪を引いたら嫌だ」


 至近距離で睨まれる俺。だから怖いって。


「俺だって日向が風邪を引いたら嫌だよ!」

「……」

「……」


 暫し、睨み合いが続く。だけど、それは長くは続かなかった。


 ブルッと俺が震えて、つられたように日向がくしゃみをしたことで、「……やばい、冷えた」「遠慮し合ってる場合じゃないな……」と俺たちは同時にシャワーを浴びることになったのだ。


 日向は堂々とした動作でパンツを脱ぐと、俺のパンツを見ながら言った。


「シャワー、温めておくからすぐ来て」

「お、おう……」


 全裸になった日向の立派なモノを見て瞬時に負けを悟った俺は、素直に日向の要望に従うことにしたのだった。

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