21 ゲリラ豪雨

 パンケーキは文句なしに美味かったけど、俺の居場所はここじゃない感は半端なかった。


「――あー、美味かったな!」

「うん」


 ようやくあの異空間から出られた開放感から、俺の顔に心からの笑みが浮かぶ。隣を歩く日向の顔も、相変わらず仏頂面ではあるもののどこか満足げだ。


 日向の顔を見るには、かなり見上げないといけない。ついでのように視界に入ってきた空を見ると、茜色にやや黒ずんだ雲が侵食してきていた。


 ちょっと天気も微妙になってきそうだし、ここいらで切り上げるのがうざがられない距離感なのかもしれない。日向といると時間を忘れるからといって、しつこくし過ぎたらまた金魚のフンと言われるような態度を取ってしまう可能性は無きにしもあらずだ。


 何気ない風を装い、日向に切り出すことにした。引き際は大事だからな。


「じゃ、来週から電車の中で待ち合わせな!」

「……うん、遅れないようにするね」

「もし遅れたらさ、日向のとこの駅のホームに降りて待つよ。だから連絡頂戴」

「……うん!」


 名残惜しくはあるけど今日はこの辺にしようと思えたのは、日向のお陰だ。


 日向がこれから先も俺と毎日通学したいと言ってくれたお陰で、俺の気持ちは比較的凪いでいられていた。だって、今日で終わりだと思っていたのに、これからは少し違った形で続くことになるんだぞ。


 こんな風に俺の存在を求められたことなんて、これまでずっとなかった。だから、中学の頃に比べて少しは成長したから言ってもらえたのかな、なんて感じている。


 振り返ってみて、思ったんだ。中学の時は、あまりに縋りすぎて距離感を見誤っていたんだな、と。あれからもう大分経って、俺だって反省もしたし、適度な距離感を保つことだって学習した。


 だけど友達関係って、そもそも相手の顔色を窺いながら、沢山考えながら育むものだっけ。


 相手に嫌われないように行動するのと、何も気負わず自然体で隣にいられるのとどっちが正解なのか、俺には分からないままだ。道徳の授業では相手の嫌がることはするなと学んだから、嫌われないように行動するのは間違ってはいない筈だけど。


 なのに日向といると、これまで薄氷の上を歩くように周りに接していたことすら忘れてしまう時があった。何も考えずに笑って喋っている自分に気付いて、ヒヤリとする場面がこれまで何度もあったんだ。


 何してるんだよ。油断しちゃ駄目なのに。


 俺はもう失敗したくないんだ。今度は集団じゃないし、相手は日向ひとりだ。だから慎重に、嫌われないように、うまくやらなくちゃ駄目なのに。


 きょろ、と往来を見渡す。


「あれ、駅ってどっちだったっけ?」

「ふ……、井出は方向音痴?」


 微かな笑みを浮かべて見下ろしてきた日向が、穏やかな口調で尋ねてきた。見上げる方もそれなりに大変だけど、見下ろす方は見下ろす方でストレートネックになりそうだ。あ、だから気を付けて姿勢を正してるのかな。いつも武士っぽくピンとしてるもんな。


「え? いや、ええと……へへ?」


 正直、店を出た時点でもうすでに駅がどっちの方向にあるのか完全に見失っている。誤魔化し笑いを浮かべた。


「井出っぽくていいと思うよ」


 相変わらずの鋭い眼光のまま、日向が何気なく言う。


「ちょっと、俺っぽいってどういうことだよ」

「あは」


 肘で日向の脇腹を突くと、日向が楽しそうに破顔した。非常に珍しい筈の屈託のない笑顔も、一緒にいる間に随分と見せてもらえるようになったと思う。


 と、日向が微笑んだまま、訊いてきた。


「井出、駅はどっちの方だと思う?」


 切れ長の目には、少しばかり楽しそうな色が浮かんでいるようにも見える。


「えっ!? ええと、えっと……っ」


 確か駅ビルがあった筈だ。そんなに高い建物ではなかったけど、こういうのは賑やかな方と相場が決まっている。どこかにヒントがないかな? あー! 周りの建物のせいで全然分かんない! と焦りつつキョロキョロと見回した、その時。


 ポツン、と鼻の頭に水滴が落ちてきた。


「ん?」


 天を仰いでみる。先程まで茜色をしていた空は、今や濃い黒雲に大部分を侵食されているじゃないか。


 ……日向との会話が楽しすぎて、天候の変化に気付けなかったなんてどんだけなんだ、俺。


「うわ、雨じゃん」

「井出、傘は」


 どこか焦ったように見えなくもない日向が尋ねた。首を横に振る。


「え、いや、ないよ。だって今日雨予報じゃなかったし」


 今朝の予報では、そろそろ梅雨入りも近いとのことだったけど、雨マークは出ていなかった筈だ。


 日向が上空を睨みつけた。


「俺も、傘はない」

「じゃあ早く帰らないとだな!」


 どこか残念そうな日向が、俺の肩に腕を回す。まさか、俺を雨から庇ってくれているのか。こいつ……なんて優しいんだよ。思わずジン、と感動してしまった。俺も日向の優しさを見習いたい。


 頭上から、日向のイケボが聞こえてくる。


「駅まで急ごう」

「あ、でも日向んちはどっち? 方向違うなら、駅の方面を教えてくれたらここで――」


 日向が更に俺を日向の方に抱き寄せた。


「俺は家が近いからいいんだ」

「でも」


 そんな些細な言い合いをしていた、次の瞬間。


 ボン! とこれまで以上の大粒の雨が頭頂を叩いたな、と思った直後、ドオオオオッ! と轟音を立てて雨礫が俺たちを叩き始める。突然のゲリラ豪雨に、周囲の人たちも慌てに慌てまくっている姿がちらほら見えた。


「うえっ!? なんだこの雨!」

「井出! 俺の中に……!」


 すると、日向は咄嗟に制服のブレザーの前を開くと、脇の下に俺を隠すようにしてしまったじゃないか。ぐふっ!? なんで俺、守られポジション!?


「いやっ!? 日向の方が濡れるだろこれ! いいから自分の頭に……!」

「俺は大丈夫だから!」

「ちょ、そういう訳にもな!?」


 慌てて抜け出そうとしたけど、反対の腕を身体の前に回されてしまい、逃げ場を失う。


 そんなやり取りをしている内に雨脚は更に強まっていき、最早駅に行くどころの状態じゃなくなってしまった。


「とりあえずあそこで雨宿りしよう!」

「ああ!」


 俺たちが駆け込んだ先は、先程まで滞在していたパンケーキ屋の軒下だ。


 僅かだけどひさしがあるので、直接雨で濡れることはなくなった。だけど足許の道路には小川ができていて、俺と日向の靴やズボンの裾をどんどん濡らしていっている。


 日向が腕を上げて、脇の下からようやく俺を出した。


 びしょ濡れになっているのは自分の方な癖に、凄く心配そうな表情で上から覗き込まれる。


「井出、濡れて……るな」

「うん、もうびっしょびしょ」


 もう笑うしかないほど、ふたりともびしょ濡れになっていた。日向が庇ってくれたので髪の毛だけは殆ど濡れてない。だけど、制服の前面はもうぐっしょりだ。靴の中なんて、少し動かすだけで中で水が移動しているのが分かる。


 先程まで見えていた町並みは、雨のせいで霞んでしか見えなかった。俺と日向の楽しい放課後が……とほほだよ。


「凄い雨だね……」

「あ、井出。あっち、もう明るい」

「え?」


 日向が指差す上空は、確かに仄かに明るく見えた。


「案外すぐ止むかも」


 日向の言葉に「だといいんだけどなあ」と返して、しばらくの間無言のまま一緒に空を見つめていた。


 やがて、まるでじょうろの水がなくなったかのように、突然雨脚が止む。黒雲の間から差し込んできた陽光を指差し、日向が言った。


「井出。見て、天使の梯子」

「え? なにそれ」

「ほらあれだよ。雲の間から太陽の光が漏れて広がってるでしょ」

「あ……!」


 日向の言う通りだった。まるで天上に導くかのように放射状に降りてきている光は信じられないほど綺麗で、しばし今の状況も忘れて見惚れる。


 友達とこんな綺麗なものを一緒に見ることができるなんて、考えたこともなかった。


 惚けたように天空を見つめていると、やがて雲は流れていき、天使の梯子も薄れていく。


 ふと、視線を感じて横を見た。


 俺を見る日向の眉間にはやっぱり皺が寄っているのに、口元はどこか幸せそうに緩んでいた。

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