23 横顔

 日向の家の風呂場で日向と向かい合わせでシャワーを浴びるという、同性なのにどこに目線を向けたらいいやらでドギマギした時間を過ごした後。


 湿った俺のパンツを手に取りドライヤーで乾かそうとする日向から必死で自分のパンツを奪い返したり、とすったもんだはあったものの、日向の大きなTシャツとスウェットパンツを借りて、二階にある日向の部屋に通されて寛いでいた。


 いや、正確には寛いではいない。「好きに座って待ってて」と言われても、日向のベッドに腰掛けていいものか、かと言って勉強机もなあと悩みに悩んで、結局突っ立ったままでいた。


 制服は自分で干すと主張したけど、「井出はお客様だから」と日向が頑として譲らなかったので、結局は任せることにした。靴には中に新聞紙を詰めた上で、一緒に浴室乾燥に突っ込むそうだ。何から何まで面倒をかけてしまって、正直なところ凄く心苦しい。


 だけど日向に「俺がやりたいからやってる」と端整な顔で真剣に言われてしまったら、もうこれ以上抵抗しても無駄なことを俺はこの二週間で学んでいた。


 そもそも、俺に怪我をさせるきっかけを作ったから、と着替えの補助に始まりお姫様抱っこした上に更に強引に病院まで付き添い、挙句の果てに完治するまでの間毎日家と学校の送迎までを買って出た日向だ。


 見るからに仲のいい妹もいるし、根っからの世話焼き体質なのかもしれない。機会さえあったら誰にでもこんなことをするのかと思うと、ちょっと……ほんのちょっとだけ、モヤッとするけど。


 階下からは、絶えず足音が響いてくる。手持ち無沙汰になってしまった俺は、日向の部屋を観察してみることにした。


 そこそこ広くて、ざっと見た感じ八畳くらいはありそうだ。青いカーテンがかかった窓に沿って、シングルよりは大きめなベッドが置かれている。日向の身体でかいもんなあ、と納得した。


 家具は少ない。クローゼットの中に全部収まっているのか、箪笥はない。勉強机と本棚があるだけの、シンプルな部屋だった。


 本棚に近付いてみる。俺も名前を知ってる漫画や小説、それから絵に関する本がずらりと並んでいた。解剖学とかデッサンとか、高そうな本もある。


 本当に絵を描くことが好きなんだな、と日向の本棚を見て分かった。俺には日向のようにこんなにも夢中になれる趣味はないから、正直に羨ましい。


 と、勉強机の上に、日向が手にしているのを見ることが多いスケッチブックが数冊置かれているのに気付いた。


「あ」


 一番上に置かれたスケッチブックの表紙には、靴底が擦れて跡になった見事な足跡が見える。……てこれ、俺が踏んだやつじゃん!


「あちゃー……」


 途端に申し訳なさで一杯になってしまい、少しでも落ちないか、と手に取り指の腹で拭ってみた。気持ち落ちた? 程度には薄れたけど、かなりくっきりゴム底の跡がこびりついている。


「もーちょっとだけ……」


 身体に汚れていない側を押し付けて、今度は手のひら全体でゴシゴシ擦ってみた。うーん、やっぱり落ちない……。と、間に挟まっていた一枚の画用紙が、ヒラヒラと足許に落ちていく。


「あ」


 これじゃあの時と一緒じゃないか! でも今度は焦らなくても、飛んで窓の外に飛び出すことはない。間違っても踏むことのないように、完全に床の上で停止するまで待った。画用紙が、床に着地する寸前でくるりとひっくり返る。そのまま、滑るように着地した。


 反対側には何も描かれていなかったけど、こっちの面には鉛筆によるスケッチがされていることに気付く。どうやら人物の横顔みたいだ。


「……あれ? これって」


 持ち上げて、方向を上下に直して見てみる。するとなんと、画用紙の中心に描かれていたのは、物凄く眠そうな目をした俺の横顔じゃないか。一発で俺と分かるくらい俺だけど、とにかくすっげー眠そう。今にも寝ちゃいそうな躍動感が伝わってくる。


「……ちょっとさあ、これって教室で寝落ち寸前になってる俺じゃん」


 日向が俺を見る時に睨んでるように見えるのは、よく観察して絵に描きたいから――みたいなことを言ってはいたけど、よりによってこれ? 何もこんな眠そうな顔を選ばなくったっていいじゃん。もうちょっと他にあるだろ? うまいけど。すっげーうまいけど!


 そういえば、と日向が妹の春香ちゃんに頼まれておかしな白猫のスタンプも作っていた実績があったことを思い出した。あんな仏頂面ばっかりしておいて、意外と描くやつがおちゃめというか笑いありなんだよな。ていうか、あのスタンプは俺もちょっと欲しい。


 とにかく、ということは、よく隣でウトウトしている俺を観察して、ふざけてこれを描いたってことだろうな。


「あんにゃろー……っ」


 なんだけど、日向の行動がどこか憎めなくて、ついニヤけてしまった時点で俺の負けだった。まさか他にも俺の変顔をこっそり描いてんじゃないだろうな、と一瞬疑う。だけど、勝手に見てしまった手前、これ以上盗み見るようなことはビビリな俺にはできないし、友達のものを勝手に見るのはナシよりのナシだろう。


「まあ、武士の情けで見なかったことにしておいてやるか」


 とりあえず、この俺の眠そうな絵は、挟まっていたページに戻した方がいいだろう。見てしまったことについてはわざとじゃないけど悪かったとは思う。でも、中身がこれだったのと相殺してまあいいか、と勝手に決めた。


「どの辺だったっけ」


 多分、俺が踏んづけて折れたページの辺りに入ってた筈だ。あのページにも何か描いてあったとしたら、本当に悪いことをしたなあ……だって、凄くうまいし。


 折れ目が残っているページまでパラパラとめくった。


「……ん?」


 本当に見るつもりはなかったんだ。だって覗き見みたいじゃないか。だけど、折れたページに描かれていたのは、やっぱり俺の横顔で――。


「お、今度はまともな顔してるじゃん」


 真面目に授業を聞いている時の顔かな。そんなことを思いながら画用紙を間に挟み込んでいる時に、ふと気付いたんだ。


 あれ? スケッチブックを踏んで間の紙を折っちゃったのって、俺と日向が仲良くなる前だよな? と。


「ま、まあ、日向は俺が誰か知ってたことだし……?」


 俺に何と言って話しかけたらいいかを考えあぐねて俺を見ていただろうから、その流れで「ちょっと描いてみよう」と思ったのかもしれない。だって、俺の絵だよ? 需要があるとも思えないし、きっと題材がそこにあったから描いてみたんだと思う。ほら、山がそこにあるから登る的なさ。


 これ以上は見ちゃ駄目だと、スケッチブックを閉じようとした。したけど、どうしても気になって、「少しだけ」と罪悪感を覚えながら、再び開く。


「……え、どういうこと?」


 中のページは殆ど埋められていた。その全てが、色んな表情をしている俺の横顔じゃないか。


 よく見てみると、ページの裏に日付が書かれている。


 全部の日付は、全て体育祭よりも前のものだった。


 一番最後のページを開く。


 何かがおかしかったのか、口を開けて楽しそうに笑っている俺の横顔が綿密に描かれていた。


「すげえ……っ」


 あまりにもリアルな表情に、自分の横顔だというのに暫し見惚れてしまう。


 呆然と突っ立っていた、その時。


 階段をトントントン、と上がってくる音が聞こえてきて、俺は大慌てでスケッチブックを机の上に戻したのだった。

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