13 兄と妹

 という訳で、晴れて名実ともに友達となった俺と日向は、改めて映画研究部の部室である視聴覚室に向かった。


 正直、未だに実感は湧かない。だって、「俺たちダチだろ」なんて言える相手なんて、これまでずっといなかったんだぞ? いきなり友達だって言われても、全く距離感が分からないし何を話したらいいのかもさっぱりだ。


 結局、二人とも無言のまま、視聴覚室に到着してしまった。


 俺の脇を支えている日向が、内開きの重いドアを開けてくれる。中は防音仕様になっていることが関係しているのか、視聴覚室のドアはやたらと重い。


「――あ! 井出、大丈夫!?」


 俺の顔を見た途端に心配顔で駆け寄ってきてくれたのは、部長の山本だ。特徴的なキリリとした眉毛が、今日は八の字に垂れ下がっている。一〇〇メートル走で俺がすっ転ぶのを間近で見ていたし、同じ学年だから俺の怪我のことも聞いたのかもしれない。……山本って、変わってるけどいい奴だよな。


 自分の右足首に一瞬目線を落とした。


「うーん。靭帯とかは問題なかったんだけど、完治までに二週間はかかるって言われちゃってさ」

「うわあ、グルグル巻きじゃん……!」


 とここで、ようやく俺の隣にズモモモと立っている存在に気付いたのか、ぎょっとした顔で俺と日向を交互に見比べ始める。


「え……と?」


 何故こやつがここに? みたいな誰何する目つきで、俺に解説を求める山本。


「あ、ええと、なんて言えばいいのか」


 すると、何故か日向は俺の脇の下を支え直すと、俺の代わりに答え始めたじゃないか。


「井出を怪我させたのは俺なので、井出ととっても仲のいい友達である俺が責任を持って完治まで井出の送迎をすることになった」


 なんだ、その唐突な説明臭い説明は。案の定、山本は突然流暢に喋り出した日向に呆気に取られている。


「はあ……あれ、一〇〇メートル走で転んだのは」

「実際に怪我をしたのは、体育祭の前日だ。井出は俺にはとっても優しいから怒らなかったけど、それでは俺の気が済まないから」


 て、呆気に取られてるのは俺もだよ。お前、こんなに長文喋れたのかよ。というか、さっきから妙に喧嘩腰に聞こえるのは気のせいだろうか。


 ひく、と頬を引き攣らせている山本に向かって、日向は宣言した。


「ということで、井出は完治するまで部活は休ませるのでよろしく」

「へ? でも、ただ観るだけ――」


 日向は俺ごとくるりとドアに背中を向けると、滅多に出ない笑みを浮かべて俺を見つめる。う……っ! この何でも許してしまいたくなる笑顔をされると……!


「じゃ、井出、行こうか」


 うん、そして強引! 山本が驚き過ぎて呆けてるからな!?


 そこへタイミングがいいのか悪いのか、廊下の向こうから一年女子三人組がやってきた。


 キャッキャと楽しそうに笑い合っていた三人が、俺の隣に立っている日向を見て、一斉に驚き顔になる。


 と、三人の中から、一番小柄な春香ちゃんが飛び出して駆け寄ってきた。春香ちゃんの視線の先は、俺――ではなく、え、日向?


「――お兄ちゃん!」

「春香」

「はい?」


 思わず隣の日向を見上げると、日向はこくんと頷いてみせたじゃないか。


「妹の春香」


 ……紹介された。


「そ、そういえば、春香ちゃんの名字って……」

「佐藤」


 日向が答える。そうだった、そうでしたね……二年生にも佐藤がいるので、じゃあ名前呼びでってなったんだったよね……て、兄妹!? この二人が!? 身長差四〇センチはあるじゃん! うっそお!


 俺たちの前まできた春香ちゃんが、何故か興奮気味に語り始める。


「井出先輩! お兄ちゃんが粗相してませんか!? 見た目は怖いけど、中身は優しいですから、見捨てずによろしくお願いしますっ!」

「え、あ、うん、日向って優しいよね……」


 すると今度は、追いついてきた王子こと姫野さんと文系女子八坂さんが「きゃー!」とこちらも興奮気味に春香ちゃんの肩を叩きまくった。痛そうだ。


「聞いた春香!? 『日向』だって!」

「聞いた……! この耳でしかと聞いたよ……!」


 春香ちゃんはバシバシ叩かれているのは気にならないのか、二人の腕を軽く掴んで三人一緒に飛び跳ね始める。はしゃいでいるのは分かる。分かるが、理由がさっぱり分からない。


「あ、あの、三人ともどうしたの……?」


 一体何がそんなにこの三人の興奮を掻き立てているのか。あまりの興奮っぷりに、目の前にいる春香ちゃんについこの間失恋したばかりだっていうことすら思い起こさせないほど、圧倒されてしまった。


 すると春香ちゃんが、両手の拳を胸の前で握り締め、日向に向かって繰り返し頷く。


「お兄ちゃん! やっと会話ができるようになったね! よかったねえ、本当よかった……!」


 あの、俺の質問に対する答え……。


「ん」


 日向は相変わらずの仏頂面で小さく答えた。て、実の妹にもその顔のままなのか。ということは、本気の本気でこれが素の顔らしい。


 それが分かったのはいいけど、今のやり取りに「あれ?」と違和感を覚えて日向を見上げる。


「え、『』ってどういうこと?」


 俺とがっつり目が合った日向が、挙動不審げに視線を彷徨わせ始めた。ん? どういうことだ?


 ここで春香ちゃんが助け舟を出す。


「やだお兄ちゃん、まさか全く説明してなかったの!?」

「あ、うん」

「ちょっと何やってんの!? あれだけ言ったのに!」


 春香ちゃんは、これまでの小動物のような愛らしさからは想像できないほどの勢いで、兄である日向を掴んで前後に揺すり始めた。あ、あれ、春香ちゃん? 君って案外元気はつらつな感じだったんだね?


 でかい日向が、小さな春香ちゃんの勢いにどう見ても負けている。


「わ、春香、ちょ、ちょっと」

「ちょっとじゃなーい! お兄ちゃん、ちゃんとこの後井出先輩に説明するんだよ!?」

「は、はい」


 素直に返事をする日向。


「よし!」


 満足したのか、春香ちゃんはパッと手を離すと、腰に手を当てて仁王立ちしつつ微笑む。


 この兄妹の力関係が垣間見えた気がした。


 唖然とした俺の視線に気付くと、春香ちゃんは慌てて両手を下ろし、日向の腕をパンパンと叩く。しっかりしろよ、とでも言うような仕草だ。


「井出先輩。うちのお兄ちゃん、本当に口下手なんです! 言葉足らずでイラッとする時もあると思うんですけど、そういう時は遠慮なく突っ込んじゃっていいですからね!」

「あ、はい」


 他に何と答えたらいいのか、俺は答えを持たない。


 春香ちゃんの威勢の良さに気圧された俺と日向は、どちらからともなく顔を見合わせると、「か、帰ろうか」「う、うん」とその場から立ち去ることにしたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る