12 友達になりたい

 日向が「グイグイ」きて「強引」な奴だと再認識した途端、勝手なもので、俺の気分は急に上向きになってきた。


 他人との適度な距離感が分からなくなっている俺なりに、気を遣いながらこの二年間過ごしてきた。結果、俺には親友と呼べる存在はできなかった。


 ということは、俺が適度だと思っていた距離感は、周りの奴らからしてみたら実はちょっと遠いのかもしれない。つまり、仲のいい友達を作る為には、もう少し自分からも距離を縮める必要があるんじゃないか?


 ここで日向の出番だ。


 日向には現在、俺が知る限りだけど特定の仲がいい所謂親友ポジションの奴が学校内にいるようには見えない。もしかしたら校外ではいるのかもしれない。でも、学校内で話しているのは今のところ俺だけだ。


 ということは、多少俺から馴れ馴れしくしてみたところで、「うざい、金魚のフン」とか言って他の奴のところに逃げる確率はもしかして低い? と思ったんだ。


 すなわち、俺にも親友ができるチャンスがようやく到来したんじゃないか。俺だって、高校生の内に親友と一緒に放課後に買い物をしたりカラオケに行ったり、試験前に図書館やお互いの家に行って一緒に勉強してみたりしたい!


 ちらりと、真面目な様子で正面を向いている日向の横顔を盗み見る。


 相変わらず眉間に皺が寄っていて、怖いは怖い。だけど、根が優しい奴だってことをもう知っているから怖くない!


 日向の整った横顔を眺めながら、一緒にファストフード店でくだらない話をしながら笑う俺と日向を想像してみた。……え、いいじゃん。


「――……出! 井出!」


 あ、日向がこっちを向いた。目が忙しなく俺と前方を行ったり来たりしてるけどどうしたんだ?


 と、担任の笑いを含んだ大声が、ようやく俺の耳にも届く。


「佐藤に見惚れてるそこの井出! 点呼!」

「わっ! は、はい! 来てます!」


 慌てて椅子から飛び上がると、右足首に激痛が走った。


「うぐっ!」


 クラスメイトの笑い声がする中、机に突っ伏す。担任が「あー、井出は足を怪我してるから、周りは気遣うように」とサラッと述べた後、点呼を続けた。


 少し涙目になりながら、顔を上げる。


 心配そうな目で俺を見ている日向に、ヘラッと笑いかけた。



 放課後になったので、リュックを背負い、旧校舎三階の視聴覚室に向かうことになった。


 俺の二の腕を掴み、反対の脇の下を大きな手で支えながら隣を無言で歩く日向の息が、微かに頭頂に吹きかかる。


 日向の存在をすぐ近くで感じた途端、猛烈な場違い感に襲われてしまった。


 さっきまでは「親友ができるかも!」とひとりはしゃいでいた。だけどよく考えたら、日向は俺と友達になりたいから付き添ってるんじゃなくて、俺に怪我をさせたから罪滅ぼしに一緒にいてくれているだけだ。そんなものは、友達と呼べない。


 部室に近付いていくにつれて、気分がどんどん落ち込んでいく。


 責任感に罪悪感。日向が俺にグイグイくるのだって、これらがベースにあるからであって、俺と友達になりたいからじゃないんだ。そんな日向に「グイグイやり返しても大丈夫」だなんて一瞬でも思ってしまったことが、急に恥ずかしくなってきた。


 ちょっと考えればすぐに分かることだったのに、日向のお人好しさを自分への好意と勘違いしちゃって、本当に馬鹿みたいだ。失恋と怪我という非日常的な出来事が連続で起きて、脳みそがバグってたのかもしれない。


 そもそも、こんな何の特徴もない俺と仲良くなりたいなんて、日向だって思う訳がないのに。


 舞い上がって勘違いしたまま日向に対して変な行動を起こして、「なに勘違いしてるんだこいつ」って思われる前に気付けてよかった。


 だけど、そこに気付いたら何もかも嫌になってきて、次第に目線が足許に落ちていく。


 やっぱり俺には、人並みに人付き合いをするのは無理だったんだ。悲しいけど、そろそろ諦めておひとり様を楽しむ方向に頭を切り替える時が来たのかもしれない。


「……井出? どうした?」


 と、日向が屈んで俺の顔を覗き込んできた。相変わらず眉間にはぐっと皺が寄っているけど、若干心配そうにも見える。ずっと見ていたら、仏頂面の中でも微妙な違いがあることに気付いたんだ。主に眉毛の角度が違う。


 よし、と俺は意を決して日向に伝えることにした。鉄は熱いうちに打てって言うし、俺の決心が鈍る前に俺から線引きをしたら、もしかしたら怪我が治った後も軽めの会話くらいならしてくれる関係でいられるかもしれない。


「……あのさ」

「うん」


 しかし、どう伝えよう。どうしたらこれ以上嫌われてうざいと思われないかな。


 そうだ、笑顔。笑顔って大事だよな。ちっとも笑いたくなかったけど、頑張って笑顔を作った。


「ええと……やっぱり送迎は今日まででいいかな、て」


 日向の眉間がグッと寄る。


「……どうして」

「だってその、日向は責任を感じたから送迎をするって言ったんだろ?」


 へらりと笑いながら言った。


 日向は何も答えない。つまり、それが答えってことだ。


「やっぱり悪いなって思うし」

「悪くない、俺が好きでやってる」


 日向は俺の正面に立つと、両肩を掴み、小刻みに首を横に振った。


「でもその、ほら、俺、一緒にいてもつまんないって言われるし。話題もないし、日向もつまんない俺といたら辛いだろうし」

「井出」

「あ、本当に助かったと思ってるからな!? 感謝してるよ! でもやっぱり俺如きに日向の時間を使わせちゃってるのも悪いし、」

「――井出!」


 突然目の前で大声を出された俺は、ビビリらしく大いにビビってビクッ! と身体を強張らせる。


 日向は思い切り俺を睨みつけていて、肩に食い込む爪が普通に痛かった。


 あ、あれ? 何か怒らせた? いやだって、日向だって絶対迷惑に思ってるのは確かだろうし――。


 怯えた目で日向を見上げると、何故か日向はまだ首を横に振り続けている。どうしたんだろう。


「……誰が井出にそんなことを言った?」

「え? 誰って」

「そいつのこと、許せない。今すぐ殴りに行きたい」


 なんだか物騒な台詞が出てきたな。


 俺はへらへらと笑ったまま、答える。


「あ、いや、中学時代の話だからね? でもまあ俺って成長全然してないし、高校でも特定の仲がいい友達っていないしさ、要はそれってつまんないってことじゃん。だから日向も無理せず……」

「俺は!」


 鼻が付きそうな距離で、日向が怒鳴った。び、びっくりしたあ……。


「俺は! 井出といて、楽しい!」

「ま……またまたあ。そんな気を使わなくっても、怪我のことだって怒ってないし大じょ……」

「俺は! 井出と話すきっかけができて! 嬉しかった!」

「え……っ」


 ハアハア、と肩で息をしている日向を目をパチクリさせながら見上げる。ま……まさかぁ。だって俺だよ?


「怪我をさせたのは悪いと思ってる! でも――嬉しかった!」

「だ、だって、だよ? 俺なんかといても楽しくなんか、」

「『俺なんか』とか『俺如き』とか、言うなよ! 俺は……俺は、井出と友達になりたい!」

「へ」


 今こいつ、何て言った? と、友達って言った? え、空耳だよな?


 だけど、日向はもう一度はっきりと、俺の目を見ながらきっぱりと言った。


「井出。俺と友達になってほしい」


 あれ、やっぱり聞き間違いじゃない。嘘だろ、だって俺、これまでずっと誰にもそんなこと――。


 自分から離れようとした途端に起きたどんでん返しに、脳みそが真っ白になってしまった俺は、ぽかんとしたまま間抜けな返事をした。


「え……い、いいの? だって俺だよ?」

「井出がいい」


 やっぱり眉間に皺が寄ったままの日向に深く頷かれて、俺は「あ、はい」とぽけっとしながら答えたのだった。

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