10 傷心
帰宅してからは、とにかく寝て過ごした。
というか、日向の唖然とさせるトンデモ行動と足首の痛みのせいで途中吹っ飛んでいたけど、俺は失恋したてのホヤホヤだ。
部屋を暗くして目を閉じると、瞼の裏に映し出されるのは、決まって春香ちゃんと相澤が指を絡めている場面だった。もう分かったから見せないでくれと思うのに、繰り返し何度も現実を突きつけてくる俺の記憶はなんなんだよ。拷問か。
起きている時だけじゃなく、夢にも二人の後ろ姿は現れた。幸せそうに笑う、春香ちゃんの横顔。視線は相澤だけに向けられていて、俺に向けられることはない。
呼んだら振り返ってくれるかな。だけど俺を見てくれても、面倒くさそうに笑われるのかな。中学の時のあいつらのように――。
ハッと目が覚めた瞬間、あの二人が手を繋いでいたのは夢だったんじゃないかと期待しては、ズクンと痛む足首の存在と共に現実に起きたことなんだと悟り、瞳を潤ませた。
ここまでうなされたのは、もしかしたら捻挫のせいで発熱していたせいもあったのかもしれない。
何度も夢でうなされて、自分の泣き声でも起きて。朝になっても休んだ気にならなくて、母さんが様子を見に来る時は泣き腫らした顔を見られるのが嫌で、寝たふりをして布団を被り。
もう見たくない。もうやめてくれ、と嫌気が差した頃――。
日向から、連絡がきた。
『何時に家出てる?』と。
そのすぐ後に、『朝』と短く追加がくる。
……唐突だな。怪我の具合はどうだとか、普通聞かないか? だけど、ぶっきらぼうにも見える日向のメッセージにどこか憎めないものを感じてしまい、『いつもは七時半』と返す。
すぐに、『了解!』という白猫が変顔でOKサインを出しているスタンプが送られてきて、ブッと吹いてしまった。ぶは、だってこれ日向が作ったオリジナルスタンプだろ? あの仏頂面と、あまりにもイメージがかけ離れ過ぎているんだよ。ていうか、あいつが眉間に皺を寄せながらこの可愛い絵を描いたんだと思うと、ぷ、ぷぷ……!
久々に、腹のそこから笑いが込み上げてきた。
「ふ……ふふ……は、あはは……っ!」
ふと、こんなに自然に笑ったのって、テレビや動画を観た時を除いていつ以来だっけ、なんて考える。
ひと通り笑い転げた後、なんだか憑き物が落ちたような感覚になった。時折思い出し笑いをしながら、新たなメッセージを打つ。
『これって何の質問?』
すると、一瞬で既読が付いた。返ってきたのは、こんな言葉だった。
『七時に家の前で待つ』
「ぶ……っ! 決定事項かよ! しかも『待つ』って武士? くくく……っ」
さっきまで涙が止まらなかったのに、今度はニヤケが止まらない。失恋のショックで情緒が狂ってるのかもしれない。両手でフリック入力をして、即座に返した。
『なに? まさかお迎えに来てくれるの?』
すると今度は少しだけ時間を空けて届いたのは。
『送迎』
「ぶはっ! 言葉みじかっ! ていうか帰りもかよ!」
あいつのことだから、今も仏頂面をしながらメッセージを打ってるんだろうなあと考えたら、余計におかしくなってくる。
『日向、部活あるだろ』
俺のメッセージに対しての返答は、『問題なし!』というフリップを持った白猫のスタンプだった。
「ぷぷ……っ、一体何種類作ってんだよ? やっば、おかしい」
そういや、何の部活に入ってるんだろう? と思い尋ねると、『美術部』と返ってくる。『俺は映画研究部だよ』と続けると、『何を観た?』と聞かれたので、先日の赤髪の人形チャッキーの話をしたりと、やりとりは延々と続いた。
なんだ、日向って普通に喋れる奴じゃん。ニヤニヤしていると、不思議と昨日したばかりの失恋の痛みが薄れていく気がした。
と、ノックの後、母さんが部屋のドアから顔を覗かせる。
「
「あれ? もうそんな時間? 食べる食べる!」
昨日は全く減らなかった腹が、今はぐうぐういっている。俺の顔をジーッと日向みたいな顔をして見ていた母さんが、ぱっと笑顔に変わった。
「あら、昨日より大分顔色がいいわね」
「え、そう?」
母さんの安堵した様子に、俺はそこそこ心配かけてたんだなあ、と今更ながらに気付く。
「ゆっくりでいいから下りて来られる?」
「ん。這っていくから大丈夫」
「じゃ、作り始めるから」
「はーい」
母さんが出て行ったところで、俺で止まっていたメッセージのやり取りを眺めた。
――だとしたら、日向のお陰かもな。
俺が失恋したことを知るよしもない日向には礼なんて言ったところで混乱させるだけだろうから、心の中でだけ「ありがとな」と呟きながら、メッセージを入力する。
『これから昼飯。またな!』
『分かった。足、大丈夫?』
「ぶはっ! 今頃かよ!」
なんとなく全体的にタイミングがずれている日向の言動がおかしくて、再び吹いた俺だった。
◇
月曜日の朝七時すぎに、うちのチャイムが鳴った。
「え? こんな朝早くから誰かしら?」
ぼやきながら玄関に向かった母さんが、暫くして大慌てで駆け戻ってくる。
「冬馬! メッチャクチャイケメンくんが来たんだけど、誰あれ!?」
「え、もうそんな時間?」
そうだ、すっかり言うのを忘れてた。というか、テーブルに置きっ放しのスマホを横目で見たら、日向からのメッセージが届いていた。『表で待ってる』と書いてあったけど、俺があまりにも返事をしないのでチャイムを鳴らしたようだ。
「やば、どうしよう……!」
足首に包帯を巻こうとしても全然うまくいかなくて何度もやり直している内に、ちっとも早い時間じゃなくなっていたらしい。
母さんが、呆れ顔で溜息を吐く。
「だから私がやるって言ったのに。あんた不器用なんだから」
「だってさ! 母さんあんまり家にいないじゃん! だから自分でできるようになろうって思ったのに……!」
どうしてぐちゃぐちゃになって解けるんだろう。泣きたくなってきた。
母さんが、焦り顔で玄関の方を見る。
「とりあえず、事情を説明しておくから!」
パタパタという足音が遠ざかり、何やら話し声が聞こえる中、俺はもう一度包帯巻きにチャレンジし――諦めた。
「日向あー! ヘルプ!」
次の瞬間、日向の「お邪魔します!」という低い声が我が家の廊下に響き、うちの家族の誰よりもでかい日向がリビングのドアを潜ってくる。
「どうしたっ」
すかさず俺の足許に跪く日向を見て、慌てて追ってきた母さんが目を大きく見開いた。
「湿布貼り直してから包帯を自分で巻こうとしたら、どーしてもうまくできない!」
自分の不器用さ加減に情けなくなって不貞腐れた表情を作ると、日向までもが目を見開いてから、大きく頷いた。
「任せて。手先は器用だから」
「頼もしい……!」
「包帯、貸して」
「うん!」
そして、みるみる内にピシッと美しく巻かれた包帯に、俺は感嘆の声を上げる。
「日向凄い! 滅茶苦茶器用じゃん!」
「手先だけは」
眉間に皺を寄せてる癖にどこか誇らしげな日向の顔を見ていると、この間まではあんなにビビってたのにも関わらず可愛らしく思えてくるんだから不思議なもんだ。
端を縦半分に切り込みを入れ、小さな蝶々結びを作った日向。もう、凄いしか出てこない。
日向はすっくと立ち上がると、俺の脇にスッと手を入れていつぞやのようにあっさりと立ち上がらせた。
ぽんぽん、と皺になっていた俺のブレザーを整えると、「荷物は?」と短く尋ねる。流れるような一連の動作にぽかんとしていた俺は、ハッと我に返った。
「あ、今日から暫くリュックにするつもりだから大丈夫!」
言いつつ、横に置いておいたリュックを背負う。
「……重くなったら言って」
「あ、うん、ありがと」
「辛かったら、おんぶするから」
「へ?」
そういえば、今日は斜めがけバッグに変わっている。まさかこれは、この間の反省を活かして……?
口には出さなくても、色々と気遣われていたらしい。正直なところ、若干学校に行くのが嫌だなあと考えていた気持ちが浮上してきた。
「……マジで辛くなったら、その時は頼む」
「うん」
それまで俺らのやり取りを突っ立ったまま無言で見ていた母さんに、「じゃあいってきます!」と声をかける。
母さんはなんとも言えない生暖かい目をしながら、ひらひらと手を振った。
「あー……うん、青いねえ……」
という母さんの呟きが聞こえた気がしたけど、言っている意味が分からなかった俺は、そのまま家を出たのだった。
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