9 連絡先
一階に到着すると、約束通り日向は俺をお姫様抱っこから解放してくれた。
誰にも俺のお姫様抱っこをされた姿を見られなくてよかった……とひとり胸を撫で下ろす。
そもそも、日向とは毎日顔を合わせているとはいえ、ほぼ知らない相手に等しい。そんな奴にズボンを穿かせてもらった上お姫様抱っこまでされたのかと考えると、「何やってんだ俺」と不甲斐なさと羞恥心が同時に押し寄せてきた。
だけど、あれだって俺は一応抵抗してみたし、こちらに非はないと思う。
中学時代の影響で対人関係について深く入り込むのにどうしたって恐怖心が拭えない俺にとって、ほぼ他人の日向がずっと隣にいるのはメンタル的にかなりしんどかった。
映研部部長の山本とは、比較的自然体で話すことができる。だけどそれは、これまで過ごしてきた緩い二年間という歳月に加え、山本自身が飄々とした変人で付き合いやすいという条件もあったからだ。
要はつまり、できることなら日向とはもうここでさよならしたい。俺はひとりの方が断然息がしやすいんだ。
そもそもお前は一匹狼なんじゃないのかよ、と心の中でぼやいた。日向の堂々とひとりで過ごす姿に潔さを感じていたのに、これまでの態度とのあまりの違いに違和感が半端ない。
だが、日向について分かったことがある。
こいつは底抜けの頑固だってことだ。
下駄箱前で「ここでいいよ、ありがと」と伝えても「心配だから」と言い張る。「途中で転んだらと考えると……」と、眉間に皺を寄せつつ言われてしまった。だから眼力……。
俺は心底困った。もういいから俺を解放してくれ! とどれだけ叫びたかったことか。まあ、ビビリな俺にはできないんだけどさ。
勿論、俺なりに頑張ってみたんだ。その後も、丁重に何度もお断りし続けた。
でも最終的に日向が「ここで別れても、不安で尾行するかも」と不穏なことをのたまったことで、俺の最寄り駅にある整形外科までついて行くことが決定してしまう。うん……君、本当に強引だね……。
なお、リュックを背負ってきたのは、元々一緒に行くつもりだったから、らしい。何が「リュックがあるから、おんぶできない」だよ。確信犯じゃねえか。
でも、俺の右腕を支えながら眉間に皺を寄せて隣を歩く日向の横顔を見ている内に、なんだか少しだけおかしくなってきてしまったんだ。こんな仏頂面をしておいて、いいって言ってるのに強引についてくるんだぞ。この強面一匹狼がさ。
もしかしたら、責任を物凄く感じて必死なのかもしれない。そのことにふと気が付くと、見た目と行動のギャップが凄すぎて、頬がヒクヒク痙攣するのを止めるのが辛くなってきた。なにこいつ、怖いのはひょっとして顔だけかよ?
俺たちが隣の席なのに会話してこなかった原因は、はっきりしている。元々ビビりな性格の俺。そこに無口でいつも眉間に皴が寄っている日向を掛け合わせたら、まあ間違いなく会話の機会なんて訪れないだろう。
なんだけど、俺を支え続ける日向と過ごす沈黙の中、更にふと「あれ?」と思ったんだ。もしかしてこいつは自ら一匹狼をやってるんじゃなくて、実は単なる口下手なだけなんじゃないか? てさ。
考えてみたら、この間俺を起こして答えを教えてくれたのだって物凄く親切な人の行動だし、ズボンを穿かせて下まで連れて行ってくれたのだって、どう考えてもお人よしが取る行動だ。
つまり――日向って実は普通にいいヤツ?
どの角度から見ても強面イケメンな日向の横顔を、そんなことを思いながらぼんやり見ていると。
視線が気になったのか、日向がギロリと睨みながら、こちらを見下ろしてきた。だから睨むなって。
「……痛む? もっとゆっくりがいい?」
ほら、これもだ。言葉数は少ないし滅茶苦茶睨まれてるけど、言ってる内容はこちらを思いやるものだ。
しかも、声が低いイケボだからかこれまで思わなかったけど、よくよく聞いてみるとどことなくカタコト感があって、幼さを感じる言葉遣いなんだよな。
もしかして、本人も強面な印象を人に与えるのを気にしていて、喋り方をソフトにしているとかだったりして――?
そんなことに気付くと、急にこれまで自分がビビり倒してろくに口も聞いていなかったことに対し、恥ずかしくなってきた。いやまあ、そもそも睨むなよって話なんだけどさ。
それと同時に、見た目の厳つさから、実は心優しそうなこいつがどれだけ苦労してきたんだろう、と一気に同情的になる。
「あ、いや大丈夫。なんかさ、こうしてるのが不思議だなって思っただけだから」
「……不思議?」
「え? だってさ、これまでろくに喋ったこともなかった訳じゃん?」
「……」
と、何故か日向はそのまま黙り込んでしまった。え? 俺なにか間違ったこと言った?
結局その沈黙は、俺の家の最寄駅に電車が到着するまで続いたのだった。……会話って難しい。
◇
整形外科では、日向はさも俺の保護者のように俺の診察に付き添った。
医者と看護師は、ちょいちょい不思議そうな目線を日向に向けていた。医者の説明に深く頷く日向に対し、何故か途中からテーピングの仕方について日向に説明を始めるのには参った。真剣な顔で聞き入る日向を見る看護師の微笑みが、こそばゆいんだよ。
鎮痛剤と湿布薬の処方箋が出たので隣の薬局でもらう時も、俺の代わりに日向が受付をして受け取った。至れり尽くせり感に、なんか全身がむず痒い。
「家まで送る」とまたもや睨みながらボソリと言われて、既に諦めの境地に達していた俺は、日向の気が済むようにさせた。
通常は徒歩十五分の道を、倍の時間を掛けて家まで帰る。到着する頃には、足首はズキンズキンと鼓動のように酷く痛みを訴えていて、全身にあぶら汗を掻いている状態だった。
もしかしたら、この後微熱程度は出るかもしれないという嫌な予感が過る。幸い、明日、明後日は週末で家にいられる。せめて月曜日には多少はマシになっていると信じたかった。
住宅街の中にある、築三十年を過ぎた分譲住宅の一軒家のひとつを指差す。
「あれ、うちだから。わざわざありがとな」
「……ううん」
鞄と体操着袋を日向から受け取る。
ここまでしてくれた相手だ。本来なら、家に上がってもらってお茶の一杯でも出しておもてなしするのが筋なんだろう。だけど、両親は仕事で不在。そして俺は、早く横になりたくて堪らない状態だ。
ということで、日向が何も言わないのをいいことに、この場でさよならすることにした。
「じゃ、また月曜日」
だけど、日向が背中を向けた俺の腕をパッと掴む。
「へ?」
驚いて振り返ると、相変わらず眉間に皺を寄せた日向が俺を睨みつけていた。だから怖いって。
「連絡先」
「へ?」
「連絡先、交換したい」
「え? あ、ああ、連絡先な? うん、いいよ」
ガサゴソと鞄からスマホを取り出し、早速交換する。
と、早速日向からスタンプが送られてきた。「よろしく!」と書かれたデフォルメされた漫画風の白猫の絵が意外すぎて、プッと吹き出す。
「あは、なにこれ。可愛いんだけど」
「……妹に、スタンプを作れってせがまれて」
「え? なに、まさかこれ日向のお手製?」
こくんと頷く日向の眉間には相変わらず深い溝が刻まれていたけど。
――頬は、どこか照れくさそうに緩まっていた。
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