3 ビビリな性格

 うちの高校は、毎年六月頭に体育祭を行う。


 内容はありきたりな競技ばかりで、運動部の奴らを中心に盛り上がる印象だ。勝利に向かって一丸となって頑張るなんて熱血さは、一部の奴らを除いて、学年が上がるにつれて薄れていくもんだと思っていた。


 要は、毎年俺のように基本熱血でない同級生と共に、「あいつらよくやるよなあ」と斜に構えて競技が進められていく様を眺めていた訳だ。


 だが、今年の俺はやっぱりひと味違う。


 全生徒の出場が必須となっている、一〇〇メートル走。まずはここで俺がぶっちぎりの一位になってみせて、春香ちゃんに「井出先輩って足が速かったんだ!」と思わせる。きっと春香ちゃんは「井出先輩、凄いです!」と褒めてくれる筈だから、その勢いで告白しようと考えた。


「――よし!」


 眺めていた参考書をベッドの上に放り投げて、短パンとTシャツに着替える。家に余っていたウエストバッグにスマホと小銭を突っ込むと、親に「ちょっと走ってくる!」とひと声かけてから玄関を飛び出した。


 五月も後半に差し掛かると、夜風も少し前に比べてじっとりと肌に絡みつく感じがする。


 春香ちゃんに告白する為、走り込みをして足を鍛えることにしたのだ。安直と言われればその通りだけど、ここ最近の俺のモチベーションは全て春香ちゃんに起因している。


 恋愛ってマジでパワーを与えてくれるんだな、とひとりにへらと笑いながら、ランニングを開始したのだった。



 日頃は惰性でしか動かない俺だけど、「春香ちゃんにいいところを見せた勢いで告白する」と決意して以降は、きちんと毎日走り込みを継続した。


 最初はすぐに上がっていた息も、日を追う毎に続くようになってきている。一〇〇メートル走には瞬発力だけでなく持久力も必要な筈だ。だから何日か走って身体が走ることに慣れてきたところで、ダッシュしてゆっくりに戻し、まだダッシュして、という走りを入れることにしてみた。


 これが結構腿に効いた。筋肉痛が消える頃には、「あれ、俺の身体、軽くなってない?」と思えるようになった。


 一〇〇メートル走の走順は、大体似たりよったりのタイムの人間で固められている。体育祭の練習が始まったばかりの頃、俺は大して熱心な学生ではなかった。これは大きなアドバンテージだ。


 つまりどういうことかというと、一緒に走る奴らのスピードはそうは上がらないだろうから、練習を重ねた俺がぶっちぎりの一位になれる可能性が非常に高いってことだ。すなわち、俺が春香ちゃんに告れる可能性も高くなる。


 そして、体育祭を明日に迎えた日の放課後。


 どことなく興奮気味なクラスメイトたちが教室を出ていくのを待つ間、俺は窓の外をぼんやりと眺めていた。校庭には、早速テントが設置され始めているところだ。応援旗も壁に貼られ、すっかり雰囲気は体育祭一色に変わっている。


「告白かあ……」


 正直なところ、物凄く緊張していた。


 告白するつもりはある。だけど、それまでは俺の恋心を悟られたくない。矛盾した気持ちを抱えながらも、走り続けた半月。日頃何事にもあまり熱心でない自分にしては、かなり頑張った方だと思う。


 俺は元々、そこまで社交的な人間じゃなかった。ビビリな性格も相まって、人の輪の中にぐいぐい入っていけないのだ。ちょっとでも嫌な顔をされると、心が萎縮してしまう。その後は悶々と悩み続ける、面倒くさい性格をしている。


 先日、隣の席の佐藤日向ひなたにギロリと睨まれた後も、なるべく気にしないようにしていた。だけど、どうしたって気になるのが俺だ。だから本当なら、「あの時なんで睨んだんだよー」と笑いながら聞けばよかったんだと思う。


 わざわざ俺を起こして答えを教えてくれたくらいなんだから、睨まれたと感じたのだって、もしかしたら俺の勘違いかもしれないし。


 だけど、どうしても聞けなかった。


 この原因は、俺にある。


 俺がこうも人間関係に消極的になったのには、中学時代のとある些細な事件がきっかけだ。


 中学に上がりたての頃、自分から積極的にぐいぐいいけない俺は、同じ小学校出身の奴らとばかりつるんでいた。だけど、みんな少しずつ他校出身の奴らとも親しくなっていく。段々と取り残されていっている気がした俺は、つい言ってしまったんだ。「これからも俺を優先で誘ってくれよな」って。


 その時は、彼らは「当たり前じゃん!」と返してくれた。だけど、段々と誘われなくなってきて、気が付けば俺はぼっちキャラ。彼らが他校出身の奴らとプールに行ったとか遊園地に行ったとかファミレスに行ったとかを聞く度に、心は萎縮していき。


 俺にできたのは、「俺は別に気にしてないよ」って見えるように振る舞うことだけだった。「だって井出って俺らの金魚のフンじゃん」って言われていたことには、耳を塞いだ。


 そのまま、受験シーズンに突入する。周りもみんな勉強勉強で、そういった浮ついた話を聞くことも減ってきたのはよかった。


 でも、このままの消極的な自分じゃ駄目だ――。


 ずっと感じていたことを改善するには、高校進学はいい機会になる。中学の同級生がひとりもいない高校に進学したこともあって、決意も新たに新生活に挑んだ。


 中学とは違って、高校は同レベルの頭をした奴らが固まっている。俺のように可もなく不可もない程度の学力の持ち主で、スポーツも得意じゃない、人付き合いも積極的にいけない、そんな人間がそれなりにいたのはよかった。


 ゲームで緩く繋がって、部活も緩く活動して。中学時代よりは息がしやすくなったけど、結局何も成長してないと気付いたのはいつのことだっただろう。


 そんなこんなで最終学年に上がり、大学では今度こそちゃんとやろう、なんて先送りな考えを持ち始めた頃。


 佐藤日向に出会った。


 佐藤日向は、身長がでかい。下手をすると一九〇はあるんじゃないかってくらいだ。体格はがっしりとしていて、高身長にありがちなヒョロリとした印象は一切受けない。


 髪型は無造作ヘアで、俺だったらただのボサボサに見えそうなのに、こいつだとなぜかワイルドに見えて格好いい。切れ長の瞳、真っ直ぐな眉毛にしっかりめの顎は、如何にも男という印象だ。


 そしてこいつは、殆ど喋らなかった。とにかくひたすら寡黙で、最初の頃は雰囲気のある見た目に女子が寄ってきたりもしていた。でも、「……そう」とか「……ああ」とかしか答えない無愛想な佐藤日向の変わらない態度に根負けしたらしく、今はもう近付いてこない。


 これで座る姿勢が崩れていたりしたら、「不良!?」とか思ってビビってたかもしれない。だけど、こいつはやたらと姿勢がよかった。テストの点数もいつもいいし、授業態度もすこぶる真面目。でも、誰かと話しているところは見たことがない、所謂孤高の一匹狼的存在だった。


 威風堂々って言葉が、一番しっくりくるかもしれない。


 俺は佐藤日向の姿を見て、凄いなと素直に思ったと同時に、自分を恥じた。俺には佐藤日向のような潔さもなければ、クラスの陽キャ連中のような積極的な社交性もない。何もかもが中途半端で、消極的だ。

 

 こんなので、この先の人生いいのか。割とかなり本気で悩んだ。


 そんな時、山本に一年の面倒を見ろと言われたんだ。


 その時、自分を鼓舞して頑張ろうとようやく思えた。頑張ったら、後輩に懐かれた。その内のひとり、春香ちゃんともちゃんと話せるようになって、恋心を抱いた。


 閉められていたカーテンが開かれて日光が差し込むような、そんな感覚だった。


 なんだ、ちゃんと頑張れば新しい人間関係だって築けるじゃないか。気付けた時は、嬉しかった。


 だから、佐藤日向を見倣って、ビビリな俺はもう終わりにする。結果がどうであれ。


 告白が失敗しても、笑いながら「伝えたかっただけだから、気にしないで!」と爽やかに言う練習もしてきた。


 だから。


「――大丈夫、できる。できるから……」


 胸に拳を当てながら、小さな声で自分に言い聞かせる。


 視線を教室に戻した。もう殆ど、誰も残っていない。


「……俺も帰ろ」


 立ち上がって鞄を持ち、脳内で明日のシミュレーションをしながら教室の出口に向かって歩いていると。


「――うわっ!」

「ん?」


 突然、スケッチブックがバサバサと数冊俺の足許に向かって滑り込んできた。

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