無鉄砲な告白

 初めて交差した視線にパキリと固まっていると、女性がニッコリ微笑む。

「こんにちは」

 透き通るような美しい声にドキッと心臓を跳ね上げ、水中でブンと尾ひれを振る。

 一瞬、困惑して目を泳がせたが、やがて真っ赤な顔で俯きながら少しだけ女性に近寄った。

「あ、えと、こんにちは」

 女性には人間の部分しか見えないよう調整をして、モゴモゴと挨拶を返す。

 返事をしてくれたフカヒレに女性は嬉しそうに目を細めた。

「最近、よくここにいますね」

「え? あ、えと、そちらこそ」

 女性に見つかってしまったフカヒレの心臓が恐怖と不安、そして、彼女と出会えた喜びと恋の甘いトキメキで激しく鳴り散らかす。

 混ざり合った感情はチグハグで曖昧だ。

 フカヒレは真っ赤になったまま、モソモソと返事を出し続けた。

 しかし、弾まない会話は女性が話しかけるのを止めれば簡単に途切れてしまう。

 それからいくつか言葉を交わすと、岩場はすぐに気まずい沈黙に包み込まれた。

 もう少しお喋りをしていたいが、ボロを出す前に女性から離れるべきか。

 迷いながらも待機していると、女性がゆっくりとフカヒレの方へ近づいてきた。

「私、元々は海が好きで、でも、人が嫌いだから岩場によく来ていたんです。ここは日陰で涼しいけれど遊ぶには狭いし、なんだか陰鬱な雰囲気でしょう。人が寄り付かない場所だから、ちょうどいいなって、毎年、来ていたんです。でも、今年からはお兄さんがいるから、毎日この場所に通ってました。」

 ふふふ……と、顔の中央に影を落としこみながら女性が悪い顔で笑う。

 フカヒレは今よりも前から女性に見つかっていたことに驚き、目をパチパチと開閉させた。

「俺目当てですか?」

「はい。よく見てましたよ。泳ぐ姿が素敵で見惚れてたんです。話しかけてみたいけれど、お邪魔かな? って、いつも迷っていたら運よく目が合っちゃったので、今日は話しかけてみました」

 ハッキリと明るい笑顔で肯定されてしまうと何だか反応にも困って照れてしまう。

 それに、好意的な女性が嬉しくなってフカヒレはほんの少しだけ女性に近づいた。

 会話ができる範囲。

 けれど、浜には打ち上げられず、下半身も見られない場所へ調整してゆっくりと進んでいく。

「あの、俺も時々お姉さんのこと見てて、お姉さん、お名前は?」

「坂本夏希です。お兄さんは?」

「夏希ちゃん……えっと、その、俺は……俺は、フカヒレです」

 フカヒレ本人も珍妙な名前をしているということはよく分かっているようだ。

 絞り出すように名前を教えた彼は恥ずかしそうに俯いている。

「美味しそうで高級な名前ですね」

 女性が目を丸くするとフカヒレもコクリと頷いた。

「俺の住んでいる地域、美味しそうな名前を付けるのが流行った時期があって。俺のフカヒレはまだマシです。友達にサシミもいるので」

 遥か昔の日本では、わざと汚い名前を子につけて厄災を払ったと言い伝えられているが、それと同じようにわざと魚介系の食べ物を彷彿とさせる名前を付けて、捕食から逃れられるよう呪いをかける風習がフカヒレの故郷にはあった。

 だが、仮にも人魚に刺身はブラックジョークが過ぎるだろう。

 これには女性も苦笑いだ。

「サシミ……確かに美味しそうな名前ですけれどねぇ」

「本人も流石に嫌がって、成人の儀を終えた後に『タツタ』に改名していました」

「それってもしかして、マグロの竜田揚げ的な?」

「はい。何故か本人も食べ物系の呪縛からは逃れられなかったみたいです。俺もできればアクアパッツァが良かったと思いますが、結局、食べ物ですし」

 弱ったように頭を掻けば夏希がクスクスと笑う。

 その表情があんまりにも可愛らしかったから、フカヒレはつい見惚れてしまった。

「ねえ、フカヒレさん、もう少しこちらへ来ていただけませんか?」

 仲良くお喋りをするにはどうしても遠い距離にいるフカヒレへ、夏希がチョイチョイと手招きをする。

 しかし、彼は渋い顔で首を振った。

「あの、あんまりそっちには行けないので」

「確かにここは岩が多くてゴツゴツしていますが、平らな砂浜もありますよ。それでも駄目ですか?」

「そういう問題じゃないんです。ごめんなさい」

 フカヒレが再度、首を横に振って断ると夏希は、

「そうですか」

 と、残念そうに視線を落とした。

 それっきり夏希が黙ってしまったので、やけに気まずい沈黙が辺りを支配する。

 だが、フカヒレが何か話しかけようかと迷ってモゾモゾしていると、急に夏希がキリッと顔を上げた。

 そして、それからジッと睨みつけるような真剣な表情でフカヒレを見つめると、

「フカヒレさん!」

 と声をかけて、そのままザブザブと海水の中を進み始めた。

 真っ白い膝丈のワンピースが海水を吸い込んでずっしりと重くなり、夏希の移動を緩く制限する。

 しかし、夏希は大股でしっかりと砂浜を踏みしめて対抗すると、「え? 夏希ちゃん!?」と彼女の奇行に困惑してオロオロするフカヒレの元まで辿り着き、彼の手をギュッと握った。

 水かきを見せまいと隠されていたフカヒレの両手は今も海の中にある。

 シッカリと触られれば人間のソレではないことがバレてしまうので、フカヒレは何とか夏希の手を振りほどこうとするのだが、彼女は決して逃亡を許さない。

 キュッと両手を包み込む姿は一見すると殊勝に映るが、厳密には片方の手の指をフカヒレの指に絡ませて恋人つなぎをし、その上でもう片方の手を使って包み込んでいるため、「絶対に逃さない」という強い圧を感じた。

『夏希ちゃんの手、ちっちゃくて柔らかい。かわいいけど、無理に振りほどかないようにしなきゃ。人間は脆いんだ。変なことをしたら壊れちゃう。でも、あれ、どうしよう。流石に俺が人間じゃないってバレちゃうよね。俺はどうしたら……』

 フカヒレは屈強な人魚だ。

 そんな彼が力任せに夏希を振りほどけば彼女は間違いなく酷い怪我を負ってしまい、最悪、腕が両方ともなくなる。

 すっかり困り果てたフカヒレがまともに行動できなくなってしまい、パキリと固まる。

「あの、夏希ちゃん」

 おそるおそる夏希を呼ぶ。

 正体がバレぬよう、せめてもの抵抗で身を引き、尾ひれがぶつかってしまわないようにゆっくりと夏希から逃げ出した。

 しかし、繋いだ手と水流の動きからフカヒレの動きを察知した夏希がグイっと水中で腕を引いて、彼を引き寄せる。

 キッと顔を上げてフカヒレの瞳を見つめる彼女は、睨んでいるのではと錯覚するほど真剣だ。

「鶴の恩返しでは正体のバレた鶴が人間のもとを去ります。雪女は伴侶を殺して、どこかへ去ります。人魚も、正体がバレたら姿を消してしまうんですか?」

 問いかけの内容が上手く理解できなくて、フカヒレが「え?」と喉の奥から小さく声を出す。

 フカヒレが逃げたり、夏希が彼を引き寄せたりして小競り合いを繰り返した結果、二人は少し前よりも沖の方へ出てしまっており、広い海の中で宙に浮いた状態となっている。

 夏希が器用に足を使ってフカヒレの下半身に膝をかけ、絡みついた。

「夏希ちゃん!?」

 驚いて瞳孔が大きくなるフカヒレの藍色の瞳を見つめる夏希の表情は変わらず真剣だ。

 夏希はそのまま、一つ息を吸い込んでゆっくりと吐きだす。

「フカヒレさん、私は貴方が好きです。どうか、付き合ってください」

 覚悟の籠った夏希の声が真直ぐにフカヒレの中に入り込み、既に未だかつてないほど混乱していた彼をキャパシティ崩壊まで追い込んだ。

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