恋する人間の夏希さん

 状況理解の限界に達したフカヒレだが、どうやら、

「夏希は自分のことを好きらしい」

 ということだけは明確に理解できたようで、ボンッと燃えるように顔を赤く、熱くしている。

 アワアワとしながらも歓喜と混乱で震える唇を開こうとするフカヒレだが、彼の態度をどのように受け取ったのか、更に愛情を畳みかけてアプローチしようと考えた夏希が素早く口を開いた。

「フカヒレさん、私は貴方が好きです。大、大、大好きで愛しています。トビウオが跳ねるみたいに海面近くでジャンプをして、水を身にまといながら楽しそうに笑うフカヒレさんに恋をしました! 岩場に乗っかって夕日を見つめるフカヒレさんに恋をしました! 優しく笑って、のんびり言葉を出すフカヒレさんにより一層、惚れてしまいました!! どうか! どうか!! 私と付き合ってください!!!」

 段々と言葉に気迫と感情を込め、鼻息を荒くし、真っ黒な瞳の熱量をカッカと上げていく。

 付き合ってくださいと再度頼み込む夏希は勢いよく頭を下げた。

 そもそも二人の内、先に相手を見つけたのも恋におちたのも夏希の方が先だ。

 フカヒレの存在に気がついたのは約一か月前。

 大学の夏休みに暇を持て余していた夏希はいつも通り気分転換に散歩をして、何となく岩場から海を眺めていた。

 そうしたら偶然にもキラキラと水を纏って楽しそうに泳ぐフカヒレを見つけ、彼の人魚としての異様な美しさに釘づけになった。

 泳ぐことで鍛えられた逞しい胸筋や腹筋、引き締まった腰回りと綺麗な鼠径部。

 力強く水を掻き分ける雄々しい尾ひれ、水面を切る凶悪な背びれ。

 豪快に水をかいて水面に浮遊する硬いゴミすらも引き裂く、水かき付きの大きな手。

 ニコニコと笑う口元からは鋭い牙が見えるというのに、笑顔そのものは甘いという至高のギャップ。

 元々、人間が嫌いで異形や人外に強い憧れを抱いていた夏希は人魚の存在を初めて確認し、大興奮して、そのまま真直ぐ恋におちた。

 寝ても覚めても考えるのはフカヒレのことばかり。

 触れてみたい、言葉を交わしてみたいを強く願う。

 最悪、食べられてしまってもいいから関りを持ってみたかった。

 しかし、そんな風に強くフカヒレへ関心をもった夏希だが、結局、彼女がとった行動は日が沈むまでコッソリとフカヒレを眺めることだった。

 関り合いたい本心をぐっとこらえていたのは、夏希が不安そうにフカヒレへ問いかけた通り、怪異の類である彼が、

「人間に見つかってしまったから、ここにはいられない」

 と、どこかへ去ってしまうのを恐れたからだ。

 そういった心配さえなければ、夏希は堂々とフカヒレに声をかけていた。

 だが、いくら夏希が細心の注意を払ってフカヒレを見つめていようが、彼の方も似たようなことをしているのだ。

 偶然というより必然的に目が合ってしまった。

 実は激しく動揺していた夏希だが、これはある意味チャンスでもある。

 腹をくくって彼に声をかけてみた。

 そうしたら夏希が告白した通り、フカヒレの優しい声や照れてほんのり赤くなる頬、柔らかな表情に藍色の美しい眼差し、静止していることでより鮮明に見えた彼の雄々しい容姿の虜になってしまった。

 丁寧に敬語を使って、よく考えながら話してくれる性格だって好きだ。

 元から強めだった恋愛感情がさらに高まり、できれば関わりたいという憧れが絶対に恋人になって生涯を共に過ごしたいという感情に変化する。

 おめおめとフカヒレを逃すことだけは許されない。

 少し話しただけで何の成果も得られず、おまけに翌日以降からフカヒレに会えなくなってしまったら、夏希は何も行動しなかった自分を殺したいほどに憎むだろう。

 そのため、夏希は心を込めて愛の言葉を贈りつけ、真剣な眼差しでフカヒレを見つめ続けた。

 シッカリ告白をしてからはフカヒレに考える時間をプレゼントしていたため、彼はゆっくりと言葉を飲み込んで理解し、それから真っ赤な顔で破顔した。

「俺も、夏希ちゃんが好きです。その、砂浜から海を眺める姿が好きになって、その、声とかも、好きだなって。俺の方こそ、付き合ってもらえると嬉しいです」

 夏希に負けず劣らずの熱量を持っているフカヒレだが、上手く言葉が出せなくて少しつっかえる。

 テレテレと頭を掻けば夏希の心臓がキュンと鳴った。

「良かった! ふふ、フカヒレさん大好き」

 想いが通じたのが嬉しくて、そのままギュッとフカヒレに抱きつけば彼は抱き返すことができずにアワアワと両手の行き場を無くしてしまう。

「夏希ちゃん、流石に近いよ。その、人魚の魚部分はデリケートな場所なんだ。付き合ったばかりの頃にたくさん触っていい場所じゃないんだよ」

 触るどころかガッチリと足を絡ませて下半身を密着させている夏希にフカヒレが「まだ早いよ」と赤い顔で溢すと、彼女が大慌てで彼の肩に腕を巻き付けたまま足を放した。

「ご、ごめんね!? まさか、そんなスケベな部分だと思わなくて! いや、フカヒレさんの尾ひれはエッチだと思ってたけど、でも、セクハラをするつもりはなかったのよ!」

「人間の目にも尾ひれってエッチに見えるんだ。あの、触っちゃったことに関しては大丈夫だよ。そりゃあ、人間に人魚の常識は通じないよね」

 フカヒレに笑顔で許してもらえると、夏希はホッとため息を溢した。

「よかった。でも、ごめんね。それと、その、恥ずかしいお願いなんだけれど、このまま浜辺まで連れて行ってもらってもいいかな? 実は私、泳げなくて」

 いくら沖の方へ近づいていたとはいえ、まだまだ浜辺とは近く、普通であれば泳いで戻ることも可能な範囲にいるのだが、夏希のようなカナヅチにとっては別である。

 戻ろうと泳ぐ姿は溺れているようにしか見えず、浜辺に着くどころか反対にドンドン沖の方へ出てしまうことだろう。

 水辺には浮き輪が必須な夏希にとって、海とは入って遊ぶものではなく眺めて楽しむものなのだ。

 勢いでざぶざぶと水に入り、今もフカヒレにしがみついたままプカプカと浮いている夏希に彼は呆れた表情を向ける。

「それは良いけど、もしも俺が悪い人魚で夏希ちゃんを遠くに連れて行ったり、夏希ちゃんを無視して深海に潜っちゃうような人だったりしたら、どうするつもりだったの?」

「えっと、考えてなかった。とにかくフカヒレさんを捕まえたい一心で……」

 アハハと乾いた笑いを溢す夏希はフカヒレの微妙な視線に当てられて気まずそうだ。

 フイッと目を逸らすとフカヒレが困ったような苦笑いを浮かべた。

「夏希ちゃんは無鉄砲すぎるよ。ほら、よくつかまっててね。肩に腕を回すのはいいけど、あんまり背びれや魚の部分には触っちゃ駄目だよ。ヒレは鋭利で危ないし、魚部分を掴まれちゃうと泳ぎが安定しなくなっちゃうんだ。俺が溺れることは無いけど、夏希ちゃんに水がかかったりして苦しい思いをさせちゃうと大変だから。出来るだけ顔を俺の胸に密着させて、大人しくしていてね」

 真剣な表情で注意をするフカヒレに頷いて、夏希は彼にしがみついたまま海の中をゆらゆらと進んで行った。

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