08.神の暴走と二人の未来5

「ありがとう、俺と生きたいって言ってくれて。帰ろうか、あの家へ」


 この世界は真柴がいたところよりもずっと不便だ。しかも今は神が目の前にいて真柴が元の世界に帰りたいと願ったら叶う状況。


「お前が元いた世界のような便利でも過ごしやすい場所でもないが、いいか?」


 何もない質素な小さな家。猫の額ほどの畑しかないが、真柴は嬉しそうに笑い躊躇うことなく頷いた。


「早くあそこにです」

 アーフェンは泣きたくなる顔を強張らせて堪えた。なぜそこで自然に「帰る」と言ってくれるのだろうか。しかも真っ直ぐな目で。


「ああ、帰ろう」


 ちらりとドゴとローデシアンを見た。


「ここのことは安心しろ、王宮でこんな火事が起きたんだ、もっとド派手に壊してやる。もう二度と聖者召喚を考えないくらいにな」


 そうか、ここは王宮だったのか。

 きっと真柴は力を使ってすぐに眠ってしまったから王宮の一室を与えられたのだろう。彼を連れてきたローデシアンはそのまま付き添ったに違いない。

 アーフェンは二人に頭を下げて真柴の身体を抱き上げた。

 また随分と軽くなってしまった。


「家に帰ったらまずは飯だ。お前の好きなものをたくさん作って……熊氷の干し肉も買ってあるから一緒に食おう」


 これからずっと一緒にいる、いられるんだ。

 鼻の奥がツンとし、どんなに抵抗しても涙が勝手に溢れてくる。真柴の前では泣きたくはない、格好いい姿を見せ続けたいと願っていても、湧きあがってくる感情を抑えつけれることができずに、真柴が纏った夜着に想いの雫を吸い込ませた。


「生きてくれて……ありがとう」


 そしてこれからもアーフェンと共にいることを願ってくれて、ありがとう。

 いつもであればこっぱずかしくて口にできない言葉を重ね、けれど途中途中を鼻水が邪魔してまともな言葉にならない。

 ちっとも格好良くなんかない。

 きついほどに真柴の身体を抱き締めて、ただその肩に涙をにじみ込ませていく。


「心配をおかけしてすみません、ベルマンさん」


 真柴もまた汚れたアーフェンの背中を撫で、抱き締めた。

 伝わってくる体温が愛おしく、覚悟していた冷たい身体ではないことが嬉しく、声が聴けただけで胸が震える。

 どれだけ想っているか、伊達男ではないアーフェンは言葉にすることが難しくて、もどかしくて、ただ抱き締めるしかなかった。


「おまえらさ、そういうのは家に帰ってからしろよ。もうすぐ止めてた時間を動かさないと色々支障を来すんだ。早く出てくれ」

「……すまない、すぐに出る」


 みっともない顔を袖で拭き、真柴をローシェンに乗せた。ここから下りたところで神様ってのがどうにかしてくれるだろう。なんせローシェンも窓から突然飛び込んできたんだ、帰ることもできるだろう。

 真柴の後ろにひょいっと乗り、痩身を抱くようにして手綱を掴んだ。もう会うことはないだろうローデシアンを見つめ、頭を下げる。


(今までお世話になりました、先生)


 彼に出会って騎士団を目指して……騎士になって副団長を務めてと、人生のほとんどを関わってきた彼との別れは寂しいが、真柴の存在を隠すためには必要な別れだ。神殿ばかりか騎士団もその顔を知っている。聖者という肩書きで二度と真柴を煩わせたくない。


 きっと村に帰ったらアーフェンはあの家を売り払うだろう。二人のことを誰も知らない新たな場所へと移り住み、ただ静かな日々を過ごす。これこそが一番の幸せであると思うから。

 ローデシアンもまたアーフェンの覚悟を汲み取り、一つ頷いて手を上げた。もう先がないのに、剣ダコがいくつもできた手が僅かに揺れているように見える。


 短い別れの時間の終わりを察して、ローシェンが指示もなく歩き始める。入ってきたときの窓から悠々と飛び出し、宙を駆けていく。


「ローシェンは凄い……まるでサンタのトナカイみたいだ」


 向こうの知識なのだろう、時折真柴はアーフェンが分からないことを楽しそうに口にするが、それがなんなのか欠片も理解できないのが悔しい。


「帰ったら、そのサンタとやらがなんなのかを教えてくれ」


 苛立つよりも知りたいと願う、真柴のことはなんでも。

 みっともない姿を見せた後の取り繕う必要のない開放感で口にすれば、真柴が嬉しそうに振り返った。


「はい、ベルマンさん! 帰ったら話しますね」

「……もう家族なんだ。いつまでもベルマンと呼ぶのをやめてくれ」


 それがなにを意味するのかを理解した真柴の頬がポンッと赤くなったのが月明かりの下でもはっきりと分かる。視線は泳ぎ、真っ直ぐにアーフェンを見てくれなくなる。あんなことをしたのに……いや、あんなことをしたから余計なのかもしれない。

 おどおどとする真柴が可愛くて背中から抱き締めた。


「すぐにとは言わない。いつかでいい、名前で呼んでくれ、真柴」


 愛おしい身体に熱があること、それを抱き締められることに感謝して、アーフェンは漆黒の髪に頬を寄せた。


「サンタのこともだが、これからのことも話そう。家族なんだ、これからどうしたいのかを教えてくれ」

「どうって……何をすれば良いんでしょう……」

「難しく考えることはない。落ち着いたら、二人で子供を育てるか。魔獣によって家族を失った子はたくさんいる。引き取って俺たちの家族を作ろう」


 この世界では当たり前の家族の形を提案すれば、真柴が星を見上げぼつりと呟いた。


「僕も親になっていいんでしょうか……こんな弱虫でも……」

「お前は弱くなんかない。いつだって己の意志を貫く強さがある。今回だって……死ぬかもしれないのに太子を治したんだ。自分を誇れ」


「ベルマンさんはいつもそうやって僕に強さをくれるんです……だから、僕は強くなろうと思えるんです」


 真柴が前に回ってるアーフェンの手を握りしめた。

 眠っている間に伸びた爪が表皮を掠める。

 帰ったらやらなければならないことは多い。ご飯を食べさせてからずっと眠っていた真柴を洗って、爪を切って、暖かい布団に二人でくるまる。きっと彼の体温を感じて目を閉じる瞬間は、とてつもない幸福感に包まれるだろう。


 だがもうしばらくは月下の空中散歩を楽しもう、二人の家に帰るまで。

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