06.副団長、悶える

 なんなんだ、あいつは。

 ポスッと寝台の綿が入った布団に拳を打ち付けて、アーフェンはやるせない感情を柔らかい――だが真柴が元いた世界に比べたらものすごく硬い――寝具へと叩きつけるが一向に気持ちは晴れない。


 初めて見た真柴の泣いた顔に、言い様のない気持ちが湧きあがった。

 こんなにも大事にしているのに、なぜ分からないんだと叫びたくて、けれどグッと押し込む。

 普通、男の二人暮らしがどんな意味を持っているかぐらい分かるだろう。

 想いがあるからこそ、一緒にいたいと共に過ごしているのだ。以前の匿うために一歩も家から出さなかったのとは違い、今はどこにでも自由に行っていい場所で、それでも真柴を一人にはせず同じ家で過ごすのは、「家族」になりたいからだ。


 だというのに、真柴の態度は聖者として接していた頃と何一つ変わらない。

 今日なんか言葉にして伝えたのに……。


(いや、あいつには分からないか……ここの常識なんかないんだからな)


 話を聞けばどうやら真柴の世界はこことあまりにも違うようだ。

 馬に乗れないのは、馬が引かなくとも動く高速の馬車があるからだという。大きな鳥に似た乗り物が空を飛び、デンシャという線の上を走る箱に人々が乗って長距離を移動するなど、どれほど説明されても理解できないが、一番理解できないのが人の多さだ。真柴が住んでいた場所は王都ほどの大きな都市に五十万近くの人間が詰め込まれ、家は背が高く小さな区切りごとに別々の家族が住んでいるという。どうなっているのかアーフェンには想像のしようもない。


 平民でも貴族のような結婚誓約書を交わさなければならない、らしい。

 その中で真柴のいた国は男女でなければ家族になれないと聞いて愕然とした。

 互いの気持ちがあったところで同性とは家族になれないのだと。

 そんなバカな話があっていいのか。それでは本当に愛する人間が同性だったらどうするつもりだ。家族になれずに離れろというのか。


 大きな問題は、そんな真柴相手に心を寄せていると気付いてしまった自分だ。どうすればいいんだ。


「ふざけるなっ!」


 もう一度ぼふっと布団を叩き、ハッとした。隣の部屋にこの音が漏れ聞こえたら真柴はどう思うだろうか。

 だがやるせないこの感情をどうすることもできなくて、何かにぶつけないと収まりが付かない。


「どうしろってんだよっ」


 小声での怒鳴りはちっとも心を晴れやかにしない。むしろ鬱憤が一層蓄積し、モヤモヤだけをアーフェンの中へと残す。

 この感情に気付いたのは、ローデシアンが腕を失ったときだ。すぐさま真柴に治させようと思ったその時、安らかに眠る顔と細い指、不器用な笑みを向けてくる彼を思い出して、天秤は真柴の方へと傾いてしまった。絶望の時に支えてくれたローデシアンではなく。騎士としてのすべてを教えてくれたローデシアンではなく。


 その事実を目の当たりにして愕然とした。

 自分は道具のように使っていた真柴に対して、いつこんな感情を心の中に宿していたのだろう。

 ローデシアンよりも真柴を選んだあの瞬間、アーフェンはもう騎士団に居られないと思った。団員たちに随分と引き留められたが、自分が誰を一番大事にしているのかがようやく分かって、真柴のためだけに生きたいと、その意思を貫こうと思ったのだ。


 この想いを告げるよりも最初にしなければならないのは、贖罪だ。

 失ってしまった彼の命を取り戻す方法を見つけなければならない。

 騎士団にいたら討伐や訓練で時間が取られ、真柴のために動くことが困難になってしまう。しかもローデシアンを失った騎士団では、すべての時間を任務に費やさなければならない。


 再び天秤に掛けて、アーフェンは真柴を選んだ。

 周囲に煩わされないためにルメシア領へとやってきた。穏やかな生活を真柴と送るためと、神殿の目から逃れるために。

 真柴の黒い目と艶やかな黒髪はこの世界では滅多にない色。その上痩身の男性となればすぐに見つかってしまう。

 真柴のことを知らないこの村ならば大丈夫と踏んで来たのだ。

 同時にルメシア候が開発した薬を手に入れられないかを模索している。


 あの薬なら、もしかしたら失った命が戻るのではないか……可能性ではあるが縋り付きたい気持ちでいっぱいだ。

 アーフェンは決めかねていた。

 瘴気に伏せった人間が飲むための薬を、そうでないものが口にして果たして何事もないのか。真柴が口にしても大丈夫なのか。

 別の世界から来た真柴に何かが起こっては後悔してもしきれない。

 故に踏み出せずにいる。


 もっと確かな方法はないだろうか。そちらを模索したくとも、手がかりがない。

 ちらりと隣の部屋を見た。全く音が聞こえてこないのはもう眠ってしまったからだろうか。


「……またしばらくあいつと話せなくなるな」


 真柴は気付いていないだろう、眠りに就いたら三日は起きてこないことを。

 その間、アーフェンは真柴が息をしているかを確かめるために何度も部屋に入っては、緩く胸元が上下するのを確かめてホッとすることを繰り返している。


 この一年間、ずっと。


 目が覚めればホッとして猟に出かけ、眠りに就けば胸騒ぎに落ち着かなくなる。

 その繰り返しで気が休まっていない。

 討伐に出ているときの野営のようだ。いつ魔獣が現れるかと気を張っての眠りは浅く、けれど十年も繰り返せば馴れてくる。


 三日ぶりに真柴が作ってくれた不思議な味の食事を食べ、彼と話したことで満足した心と身体は、久しぶりに長い眠りを欲していた。

 今日はもう寝よう。

 だが今日のアーフェンの態度で真柴がどう思ったのか、気になって仕方ない。


「いや、あいつの命が戻るまで言わないぞ、絶対に!」


 けじめだから。


「明日は……領城へ行ってみるか」


 領主に頼み込んで薬を分けて貰おう。

 そして目を覚ました真柴に飲ませてみよう。

 けれど明日になればまた躊躇うのだ。本当にこれで助かるのか。もしかしたら逆に命を失うことがあるのではないか。そうなったら……真柴を失ってしまう。無意識に皆のためにその命を捧げてきた彼を、永遠に……。


 自分はどうしたら良いのだろう。

 なにが本当に真柴のためになるのだろうか。

 アーフェンは朧に輝く月を見上げ神に問うた。

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