第二章 魔獣討伐

01.聖者出立1

 とうとう魔獣討伐出立の日がやってきた。

 王都より北、ドゴの村があったアルヘンティーノまで行くのだという。今そこでは冬を前にして魔獣が暴れ始めているという。飢える前に鎮圧をと乗り出す、らしい。

 真柴はピンと来ないまま、この日まで体調を整えるためにずっとベッドに縛り付けられていたが、当日になった今、慌ただしさにすべてが頭から抜け落ちてしまいそうだ。


 真柴はドゴに身につけて貰った厳めしい神官服の袖を持ち上げながらまじまじと見た。垂れ袖の服は動くのに適していないとしか言いようのない重さだ。その上、飾り気はないがとにかく幾重にも布を重ねているために動きが制限される。

 果たしてこれで魔獣討伐なんてできるのだろうか。


「ドゴ……これ以外の服ってないのかな?」

「大司教様からこれを着るようにって渡されました。凄くお似合いですよ、聖者様」


 あはははと作った笑いを浮かべ、眉間に寄りそうになる皺を隠した。

 果たしてこんな格好で行ってあの恐い副団長に怒られやしないかとビクビクしてしまう。


「北のアルヘンティーノまで行くと言っていたけれど、ここから何日かかるのかな?」

「そうですね、大体十五日くらいでしょうか。ご安心ください、聖者様には馬車……あっ、馬車は駄目だったんだ。えっと、今すぐ他の乗り物がないか聞いてみます!」


 前に馬車酔いを起こしたことを思い出したドゴは勢いよく立ち上がると、すぐさま扉から飛び出した。あまりの元気ぶりに苦笑が零れ落ちる。


 ――なんて真っ直ぐな少年なんだろうな。あのまま擦れないで大きくなれば良いな。


 いや、少しは擦れた方が生きやすいかもしれない。温室育ちで競争のない環境は決して幸せを与えてはくれないと真柴が一番知っている。けれど、自分が見ている間は変わらないでほしい。

 聞けばまだ十二歳だという。想像していたよりも若いのは、見た目が日本の子供と違うからかと合点して、こんな年齢で両親を失い働かなければならないのが不憫になる。

 十三世紀ヨーロッパでもそんな子供はたくさんいた。そういう記述は随所に残されている。病気だってすぐに蔓延してしまう衛生状態だ、長く生きるのは難しいだろう。

 けれど、一度でも関わったら「仕方ない」では済まされない。


「ドゴ、僕がいない間、言ったとおりちゃんと手洗いとうがいをするんだよ。そうすれば病気になりにくいから」

「分かってますって。後はここをこうして……」


 まだ石けんが普及していない頃だ。せめて手洗いとうがいを疎かにしなければ病気にはならないだろう。本当はきちんと石けんで手を洗った方が病気にはなりにくいが。


(確か石けんって、オリーブオイルと海藻の灰で作られたって言っていたな)


 帰って来らたら考えてみようかと頭の隅に置き、今はまず出立することを優先する。なんせ、神殿の前にはたくさんの騎士が真柴が出てくるのを待っているという。

 そんな大々的なことをしては迷惑ではないかと思ったのだが、聖者召喚が成功したことを知らしめるセレモニーでもあると大司教が、あの何を考えているか分からない顔で言うので、仕方なく呼ばれるのを待っている。

 本当は目立ちたくなんかない。

 真柴の存在を知ってしまえば多くの人間が絶望してしまう。

 中肉中背の冴えないおじさんである。

 三十五を過ぎたにしては覇気はなく、経年による自信はどこからも溢れ出ていない。

 自信が存在しないのだから溢れる源すらない。


「これでバッチリです、どこからどう見ても威厳のある聖者様という感じですよ!」

「ありがとう、ドゴが綺麗にしてくれたおかげだね」

「本当はオレも随行したかったんですけど、まだ子供だからって駄目だって言われたんですよ。今回は他の神官様たちも一緒なので危なくはないと思います」


 一人じゃないのは果たして幸せなのかそれとも……。

 少しだけ落ちそうになる肩をギュッと首まで上げてから、ストンと落とす。いつも悩まされている肩こりが少し楽になったような気になった。

 柔らかい革の履き物に足を包めば完成だ。それすらもドゴがやってくれて、膝の傍まで編み上げてくれる。

 簡単な革と木の靴では駄目らしい。どうしてもそこに神殿の威厳が関係してくるようだ。聖者は代々神殿の顔としてプロパガンダの役割を果たしている。聖者を召喚できることで神殿は王室にも勝る発言権を得ているのだろう。

 政治的な話を大司教はあまりしないが、真柴を使ってやっていることはまさに神殿の威厳を誇示して勢力を広げる行いだ。


(嫌だな、失敗は全部聖者に責任を被せて切り捨てるんだろうな)


 成功だけを表に打ち出して信者を集めるようなやり方はどこの国も一緒かと辟易し、また口角を上げることで隠す。


「お待たせしました。これより出立の儀が行われますのでこちらに」


 若い神官がドアをノックしないでやってきた。無表情なのが恐く、言われるがままに彼の後を着いて神殿を出る。一段高い位置に大司教を始めとした偉い人々が並び、階段の下には騎士団員がずらりと並んでいる。向こうに民衆が押し寄せていた。それを騎士団の若い団員が一定よりも近づかないように警備しているように見える。

 ゴクリと喉を鳴らして唾を飲み込んだ真柴の背中を、先程の若い神官が押した。


「大司教様の傍に立って下さい」

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