06.聖者は役立たず

「どうだった、聖者は」

「ありゃ駄目ですよ、役に立たない」


 苛立ちを抱いたままドカッと、騎士団長の重厚なオーク材の机の隣にある自分の机の安っぽい椅子に腰掛けた。

 半日一緒に居た聖者・真柴はなんとも言えない……ひ弱な人間だった。街の景色を楽しんでいたときは何事もなかったが、城郭へと上がってからは雰囲気が一気に沈んでいき、動けなくなった。

 あれでは魔獣を前にして動けるとは思えない。


(あんなんで本当に大丈夫なのか?)


 不機嫌を隠さないアーフェンをちらりと見て、騎士団長のローデシアンはいつもの変わらない表情のまま書類に目を移した。今署名しようとしているのは、次の魔獣討伐に向かう団員の一覧だ。スッと目を細め、だが逡巡した後、慣れた手付きでサインをしていく。


「そう言ってやるな。聖者は召喚されたばかりで、この世界のことはなにも知らないんだ、少しは大目に見てやれ」


 団長が異様に聖者の肩を持つのは召喚の儀からだ。それがアーフェンには気に入らない。使えない奴は使えないと早く見切りを付けないと、実害を被るのはいつだって現場だ。期待して、もしなにもできないのであれば、最前線で魔獣と戦っている騎士団員が命を落とす。

 最小限の被害で最大限の実績を上げることばかりを押しつけられている騎士団は、いくらでも換えがきくだけの人員がいるわけではない。

 多くの仲間が魔獣の牙や爪で傷つき死んでいる。

 だというのになぜそんな甘ったるいことを口にしているのか。

 アーフェンは苛立ちを抑えられなかった。

 ダンッと乱暴に机に脚を載せ、頭の後ろで腕を組んだ。


「みっともない格好はやめろ。お前はもう副団長だぞ、俺になにかあったらお前が団長なのだからな」

「そんな日は早々来ませんよ。団長に何かある前に俺が死んでますって。……何があっても俺があんたを死なせないから」

「それは恐いな。だが、覚悟はしておけ、いつ何があるか分からない。そして聖者にはあまり頼り切るな。この世界のことはこの世界の人間がやらなきゃならない」


 じゃあなんで神殿は聖者を呼び出すんだ、と喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。

 ローデシアンが表情一つ変えずにずっと書類にサインを繰り返しているからだ。


「……団長は長生きしてくださいよ」

「なんだ藪から棒に」

「そんな面倒な仕事するくらいなら、俺が先に死んだ方がマシなんで」


 積み上がった書類の山、今年の予算をもぎ取るための試算から団員の編成、討伐にかかる費用の見積もり。全部ローデシアンが一人で行っているのだ。これをやらなければならないと思うと、死んでも副団長の椅子から離れたくないとしがみ付くだろう。


「…………事務仕事をする位なら死ぬ、か? だったら今から練習のためにお前も書類仕事をやらせよう」

「勘弁してくださいよ、俺が字を読むのが苦手なの、団長が一番よく知ってるでしょ」


 剣一本で這い上がってきたアーフェンが握るにはペンはあまりにも不安定すぎる。


「孤児院でなにを勉強してきたんだ……」

「当然、剣ですよ。めちゃくちゃ木の棒を振り回しまくってましたから」


 堂々と言ってのければ、クシャリとその顔に皺が寄った。アーフェンは時折しか見せない笑ったローデシアンの顔が好きだった。それは再会した時に見せてくれたものだったからだ。


「団長はそう簡単には死なないですよ。だって俺が知っている中で一番強いんですから」

「はっ、買いかぶりすぎだ。私ももういい歳だぞ、アーフェン。いつでも団長になれるように用意しておけ。お前以外にここを任せられないんだからな」

「なにしみったれた話をしているんですか。団長はあと十年は騎士団を仕切って貰わないと困ります」


 だが、そのためにはちゃんと聖者に仕事をして貰わなければならない。国を挙げてあんな儀式をして呼んだのに全く役に立たなかったでは話にならない。

 そして今日のへこたれた姿を目の当たりにしたら、第一印象で抱いていたままの軟弱な男だと確信するしかない。そんな男に大事な騎士団をめちゃくちゃにされたくはなかった。


(やはり一線を引いた方が良いな。あんな奴、信用しないに限る)


 この世界の人間ではないのだ。いくらペンブローク王国を綺麗だと言っても口先に過ぎない。実際生まれ住んだ自分たちに勝る感情など湧きはしないだろう。

 魔獣に対峙して逃げ出すことだってあるだろう。

 アーフェンがそう思ってしまうのは、聖者に関する資料は騎士団にあまりないからだ。

 神殿にはたくさんあるだろうが、騎士団に残る聖者の一番新しい資料にはただ一言、「役立たず」とだけ記されている。詳細はなにもない。ただその一言と真柴の姿があまりにも一致して、アーフェンも思ってしまうのだ、聖者など役に立たないと。

 誰よりも一番にこの世界を守りたいと思っているのは間違いなく自分たち騎士団であると。確信も覚悟も深めているところに真柴の醜態を目の当たりにしてしまえば、記されていることが事実だと納得してしまう。


 ――聖者なんて無能だ。


 やはり騎士団こそがこの国になければならない存在だ。

 そう思えば苛立ちすらも落ち着いていく。


「団長、それが終わったら飲みに行きましょうよ。今日は俺が奢ります」

「その前に、片付けるのを手伝おうという気にはならないのか?」

「だから、俺にやらせるのが一番大変なことになりますって」


 笑えば、またあのクシャリと皺を作った顔を見せてくる。


「しょうがないな。ちょっと待っていろ」


 なんだかんだと後輩の面倒見が良いローデシアンのことだ、すぐにでも積まれている書類を片付けてくれるだろう。


「いくらでも待ってますよ。酒屋が閉まる前に終わらせてくださいね」


 言うや否や、アーフェンはだらしない格好のまま目を閉じた。

 次の討伐まであと十日しかない。今はゆっくりと英気を養えば良い。

 そして、ローデシアンと共に酒屋に繰り出す頃にはアーフェンの中に真柴の存在は消え去っていた。

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