覚醒

 俺が黒い怪物と対峙してから数日が経った。朱莉は毎日忙しそうだが俺の知った事じゃない。冷たく聞こえるかもしれないが、そもそも俺が前に出たところで何もできないだろう。


 今日も平和だなーと思いながら、俺がソファーでゴロゴロしていると、夜ご飯の支度をしている風香が声を上げた。


「あ、やば…もう牛乳切れてる。お兄ちゃん、買ってきてくれない?」


「…めんどくさいからやだ」


 今雨降ってるしね、仕方ないよね。と俺が駄々をこねると、風香はすぐに次の言葉を続ける。


「アイス買ってもいいから」


「よし、行ってくる」


「…ほんと、単純なんだから」


 そういう大事なことは早く言ってくれないと困る。俺は即座に起き上がり、傘を片手に家を出る。ドアを閉じる瞬間、風香が何かをつぶやいたが、聞き取れなかった。きっと感謝の言葉でも述べてくれたのだろう。ふっ、礼には及ばんよ。


 …ン


「…嫌な空気だな」


 雨のせいだろうか、なんとなく空気が重苦しく感じる。


 …クン


 俺は近くのコンビニに向かいながらそんな事を考える。まるで、これから悪いことが起こるような…


——ドクン


 刹那、とんでもない—天から睨まれ、力を吸い取られるような—力が身体を、世界を包み込む。周りの人はバタバタと倒れ、苦しそうな呻き声をあげる。慌てて駆け寄るが、どうやら死んだわけではなさそうだ。


「…このままじゃ」


 俺はよろめきながら傘を強く握る。


「牛乳が買えない!」


 世界を包み込むこの禍々しくも神々しい力の溢れている場所に向かって駆け抜ける。妹のご飯を食べるために、全力で。



———嵌められた、そう思った時にはもう遅かった。黒い化け物を生み出した犯人を探っていたが、相手の方が上手だったらしい。手掛かりを元に、私がその場所に辿り着いた瞬間、黒いもやを纏う四本足の化け物が一体現れる。そして次々と闇の中から生まれてくる。その数はどんどんと増えていき、あっという間に私を取り囲んでしまった。


「くっ…」


 攻撃が頰をかすめ、辺りに鮮血が舞う。先程から妙に体が重い、まるで何かに押さえつけられているような…今はそんな事を考えている場合ではない。私はこの状況をなんとかしようと必死に頭を回すが、どう転んでもうまく行く気がしない。


 そもそも私はサポート向きの人間であって、純粋な戦闘は苦手なのだ、などと考えながら戦っていると、急に視界が傾く。


 雨のせいだろうか、疲労のせいだろうか。足を滑らし、体制を崩してしまった。そして、黒の化物はその隙を逃すほど甘くない。飛んでくる攻撃を避けられない、と判断した私は、落下に身を任せる。


「ここまでか…最後にもう一回会いたかったな」


 私は諦めて紅に染まった瞳を閉ざす。瞼の裏に浮かぶのは勇者。瞳を蒼く染めた私の…


「大丈夫か?」


 私の身体は地へと落ち切る前に止められる。自称普通の高校生は片方の手で私を包み込み、もう片方の腕で黒の暴力をなんとも無いように止めていた。


「…りく君、どうやってここに?」


 周りを見渡すと急に現れたりく君を警戒しているのか、少し距離を取る化け物達。しかし、相変わらず囲まれたままだ。私が疑問を口に出すと、りく君は空を指差して、これが当たり前のように答える。


「上から、跳んできた」


「……」


 驚きすぎて声も出ない。何があったのか小一時間問い詰めたいところだが、今はそれどころじゃない。りく君のおかげで命はギリギリ繋がったが、相変わらず状況は絶望的だ、何も好転してない。せめてりく君だけでも逃さないと…


「こいつらは倒しても大丈夫なやつ?」


 りく君は私を助ける時に落としたのだろう傘を拾い上げ、飄々と尋ねる。私がゆっくりと頷くと、りく君は小さく笑い傘を握る。その瞬間、溢れ出る威圧感。魂の格、いわゆる存在感のようなものが急激に膨れ上がる。化け物達は少し怯んだが、すぐに襲い掛かろうとその巨躯を持って飛び込んでくる。


 対するりく君が放つのは一閃。ただそれだけで黒い化け物は全て闇に溶け、消えていった。私はそれを見てただ、怖いと思った。ような圧倒的な力を軽々と放つこの存在が。



——確証はなかった。でも、行ける気がした。俺の記憶に身を任せ、腕を振るう。そうして放たれる斬撃は黒い怪物をも切り裂き、その命を闇に還す。そこで俺は気づいてしまった、理解せざるを得なかった、俺が普通の高校生ではないことを。そして気になってしまった、自分がどのような存在なのかを。



 そうして蒼井陸を巻き込んだ物語は、最後の歯車が埋められた機械の如く、急速に回り出す。蒼井陸を中心に。

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