ep3-4
要の言葉が何を意味するのか、分からないほどバカじゃない。美澄の左肘は壊れた。要の母親は亡くなった。どちらも少なからず、我慢強さがトリガーとなった。痛みを堪えるような顔は、異変に気づけなかった自分を責めているようにも見えた。
「……すみません、でした。黙ってて」
すっかり落ち込んでしまった真尋にかける言葉を、上手く見つけられないのかもしれない。黙りこんでしまった要の代わりに、美澄がフォローに回る。
「真尋くんの判断は、プロとしてはダメかもしれない。だから、要さんが正しいと思う」
「……うん」
震える右手の指を、両手で包み込んだ。よく手入れの行き届いた指先は、緊張で冷えきっている。
「でも、俺はプロじゃないから言うけれど、気持ちは分かるよ……というか、同じ気持ちでコレだからね」
肘の傷を掲げて苦笑した。笑うところなのに、要も真尋も痛そうな顔をする。
「でも、大丈夫。ここで気づけたから、大丈夫だよ」
「美澄さん……」
「冷やしながら病院へ行こう。要さんはホテルのフロントか近くのコンビニから、氷を持ってきてもらえますか? 俺はタクシーと病院の手配、それから球団への報告をします」
「分かった」
空港からホテルまでの移動で利用したのと同じタクシー会社の番号を呼び出し、耳にかざす。不安そうに縮こまった背中を摩りながら、どうか軽症であることを祈った。
診断結果は軽度の肘関節炎だった。痛みもないくらい軽い症状だったので大事には至らなかったが、二週間のノースローを言い渡された時の真尋は、この世の終わりみたいな顔をしていた。
朝方は真っ青だった空が、夕方になってぐずつき始めた。病院から戻るタクシーの車内。真尋は一言も言葉を発さずに、窓枠に切り取られた灰色の空を見ていた。
ホテルのエレベーターホールで真尋と別れ、要にはメッセージアプリで病院から戻ってきたことを伝える。部屋に戻ってタブレットを立ち上げると、二週間分の予定メニューを今一度確認した。合同自主トレ期間中に真尋が投げられないとなると、大幅に組み換えなくてはならない。
それにしても、違和感に気がつけて本当によかった。自主トレに真尋を誘ってくれた要も、誘いに応じてくれた真尋も。年が明けたら春季キャンプが始まり、オープン戦と続いてペナントレースが開幕する。新たなシーズンが始まれば、責任感の強いエースはフルスロットルで投げ続けていただろう。肘に爆弾を抱えながら。
たしかに、自主トレ中の二週間は長い。はるばる沖縄までやってきたのに、最大の武器を封じられてしまったようなものだ。
ノースローと決めたら一日中走っているような投手だ。放っておいても自分で判断して下半身強化に努めるだろうが、一応トレーニングメニューを考えてみる。余計なお世話だと一蹴されるか、受け入れてくれるかは分からない。ただ、美澄がそうしたかったのだ。失った立場でもあるけれど、一人で抱え込んで黙っていた立場でもある。要と真尋、双方の痛みを知っているからこそ、行動せずにはいられなかった。
真尋のトレーニング案をまとめ終える直前、不意に響いたノック音に顔を上げる。不用心だと言われてきちんと鍵をかけてあったので、ドアを開ける為に腰をあげた。
「要さん」
「……悪い、作業中だったか」
「いえ。明日の練習メニューどうしようかなって考えてただけなので。どうぞ、入ってください」
中へ招き入れ、部屋の奥にある二人がけチェアへ座ってもらう。甘い飲み物がなかったので急いでお茶をいれてもてなすと、湯のみに口をつけた要はあち、と眉を寄せた。
「なあ、美澄」
「はい?」
「ごめん。真尋のこと、俺はずっと見てたはずなのに。日本選手権からって言ってたろ」
「要さんの所為じゃないです。俺は偶然、専門的な目を持っていたから分かっただけなので。それに、俺だって確証があったわけじゃない」
炎症を起こしたのが、肘ではなくて肩だったら。膝だったら。美澄も気がつかなかったかもしれない。期間限定とはいえ美澄がトレーナーについたのも、エースの肘の違和感に気づいたのも、偶然に偶然が重なって起きたことだ。
「でも……」
「あの子が隠そうとしたら、みんな気がつかないものですよ。エースなんてそんなものです。エゴの塊、というか」
「美澄も、そっち側か」
「そうです。実は結構ワガママなんですよ、俺」
要の心がほしいと願ったり、要と仲睦まじく柔軟体操をしている真尋を見て晴れない感情を抱いたり。
美澄は要の隣に座った。顔を覗き込み、白い歯を見せてイタズラっぽく笑って見せれば、要はふにゃりと眉を下げた。
「お前がいてくれて、本当に助かったよ。ありがとな」
「いえ。できることをしただけなので」
「……真尋には強く言ってビビらせちゃったし。あんなん萎縮させちまうよな」
「俺は、要さんの気持ちも分かりますから。真尋くんにもきっと、要さんの気持ちは伝わってますよ」
「でも、なんか……美澄の前では、ダメな俺が出てくるんだ」
「そんなことないです。要さんはカッコイイし、いつだって俺の憧れです」
ぽしょりとこぼした要は、ちょっぴり弱ったような笑みを浮かべていた。大きな手が美澄の丸い頭を撫で、やさしい指が頬をくすぐる。
「そうやって、お前ならどんな俺でも見限らないでいてくれるからさ……なんか、気ぃ抜ける……」
大好きな人が、自分の隣でありのままでいてくれる。それって、すごく嬉しいことではないだろうか。
「俺は、こうやって要さんに撫でられるの、好きです」
「そーなの? いくらでも撫でてやるけど」
「……ふふ、ありがとうございます」
頬がゆるんで、情けない表情しか作れない。要には見られないよう、肩にこてんと頭をのせた。
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