ep2-8

 ペナントレースの全試合が終了した。毎年、夏の弱さが課題と言われていた要は打率、打点、本塁打数、盗塁数に盗塁阻止率など、可視化される項目のほぼ全てにおいてキャリアハイを残していた。つい数日前に始まったばかりのラストシリーズでも絶好調。連日その活躍が新聞やテレビ、ネットニュースでも報じられている。


「美澄ぃ、何見てんの?」


 風呂から上がってきた要が、不思議そうに目を丸くした。ソファに腰かけてスマホを見ていた美澄は、画面の上部に表示された見出しを読み上げる。


「――キャリアハイの間宮要、今日も打った! 五打数四安打の大爆発! という記事です」

「うわ、恥ずかし。俺の記事かよ」

「他にもたくさんあるんですよ。見ます?」


 どの記事の写真も素敵だ。プレー中、どの瞬間を撮られても整った顔を崩さない要は、女性人気もかなり高い。


「あー……いや、いいかな」

「え、たくさん褒められてるし、カッコイイのに……」

「自分の記事読んで「俺カッコイイー!」とはならねーだろ」


 キャッチャーミットを手に隣に座った要が、モゾモゾと手入れを始めた。寝ている時と並んで静かになる瞬間だ。


「……昨シーズンまでは夏に失速していたが、今シーズンはむしろ上り調子で駆け抜けた。誰もが認めるその活躍の裏には…………え?」

「どした?」


 突然動きを止めた美澄に、要がミットに向けていた視線を上げた。寄りかかるように肩を密着させ、手元を覗き込んでくる。


「アンチ記事でもあった?」

「いえ、でも、コレ……」

「んー? なになに……誰もが認めるその活躍の裏には、とある女性の存在か……あはは、ようは彼女ってことだろ? え、俺が調子いいのってそんな理由なの?」


 ツボに入ってしまったのか、要はミットごと腹を抱えて大笑いしている。シャンプーの甘い香りが鼻腔をくすぐって、目眩がしそうだ。

 今まで、要のそういった噂は聞いたことがなかった。でも、話が出たって何も不思議ではない。プロ野球選手で、レギュラーで、日本代表にも選ばれている実績のある人だ。引く手あまただろう。


「い、いないですよね……?」


 思いのほか、縋るような口調になってしまった。邪魔はしたくないけれど、失恋する心の準備はできていない。


「いないよ。一番長くいるの美澄だし」

「……」

「あ、その顔信じてねーな。じゃあ、一番長くいるお前に聞くけど。俺にそんな時間あったと思う?」

「いや、思わないです……」


 思い返してみれば、そんな時間は全然なかった。試合後はどちらかの家に帰って食事をして、ケアをして、次の日は一緒に球場へ行く。それが生活の一部になっているから気にもとめていなかったが、一日のほぼ全てを共にしている。誰かが介入するすき間なんてない。

 記事のコメント欄には、よく野球選手の取材を担当しているアナウンサーの名前や、始球式に登場して話題になった朝ドラ女優の名前などが好き勝手に書き込まれ、予想合戦が繰り広げられていた。要はそれを目で追いかけながら、まともに喋ったこともねーよ、と笑う。


「俺の周りで、去年までと変わったのはお前だよ。美澄」

「俺、ですか」

「うん。夏から、お前が一緒に飯食ってくれたじゃん? 毎年、暑くなると全然食えなくなって体重落ちてたのに、今年は全然落ちなかったし。身体のケアもしてくれたしな」

「身体のケアは、球団のトレーナーがいるじゃないですか」

「俺が素直に、どこが痛いそこが痛いって言えればな」

「あっ……」


 わざわざ隣県の接骨院に勤めていた後輩の元へやってくるような意地っ張りなのを忘れていた。


「ってことは、どういうことだか分かる?」

「え………わかんないです」

「つまり、俺の今シーズンの好成績はお前のおかげってことだよ、美澄ぃ~」

「おわっ」


 ミットをテーブルに置いた要は、美澄の腹にしがみついてきた。ぎゅーっと抱きしめられると温かいが、苦しくはない。


「……なあ、美澄」

「はい?」


 美澄の腹にじゃれついたまま喋りはじめた。服越しに伝わる呼吸がじんわりと温かくてくすぐったい。


「高校の頃、俺の学年にいた山田って覚えてる?」

「覚えてます。要さんと同室だった山田先輩ですよね」

「アイツ、中学校の先生やってんだよ。数学の教師で、野球部の監督してんの」

「そうなんですね。俺、たまに勉強教えてもらってました。要さんが自主練から戻ってくるの待つ間とかに」


 ピッチングについての相談をしに部屋へ赴いた際、要がまだ戻ってきていないことがままあった。待たせてもらう間、丁寧に教えてもらった範囲のテストではいつも高得点だったから、教師と聞いて納得した。


「教え子が、多々良接骨院に通ってるらしくてさ。雪平っていう若い柔整師がいるって部員から聞いて、珍しい苗字だから美澄じゃないかって教えてくれたんだ」


 腹に巻きついた腕の力が強くなる。美澄はそっと、要の髪に触れた。


「腕のいい接骨院があるって言ってたのもホント。だけど俺は、どうしようもなくお前に会いたかったんだ」

「要さん……」

「また、会えてよかった」


 くぐもった声は、微かに震えていた。

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