ep1-7
日中の暑さが、より厳しさを増す八月初旬。今日の夕食は素麺だったが、明日も明後日も素麺にしたいくらい暑かった。要はきっと、毎日素麺を出しても美味い美味いと食べてくれるだろうけれど、それはさすがに美澄のプライドが許さない。
明日の献立を考えながらコーヒーを啜る。カフェインへの耐性があるのか、寝る前にブラックコーヒーを飲んでも影響を受けない体質だった。
ふと、テレビから木製バットの打撃音が聞こえた。いつも流しているニュースのスポーツコーナーで、野球特集に切り替わる時のジングルだ。
――今日のプロ野球スーパープレーをお届けします! まずはこの選手。東京スワンズ不動の正捕手、間宮要選手の強肩発動! 昨シーズン盗塁王の東選手にも、進塁を許しません。
よく見かけるスポーツアナウンサーが、映像に合わせて熱の篭った声で語る。
――いやぁ、このプレーは本当に凄かったですよ。二塁に進まれたら、東選手にはヒット一本で帰ってくる足がありますからね。今日の試合、ここで決まったと言っても過言ではありません。間宮選手の強肩は宝ですよ。彼がいるかぎり、日本代表の捕手には困らないでしょうねぇ。
右下のワイプで嬉しそうに目を細めたのは、解説者の野村。元キャッチャーである老齢の彼は辛口の批評で有名だが、今日の要は文句のつけどころがない活躍だったようだ。
――長年プロで活躍された野村さんでも、そう思われる選手なんですね。
――ええ。是非とも自分が教えたかったくらいの逸材ですよ。
パッと映った観客席の画角だけでも、要のユニフォームを来たファンがたくさんいる。試合を観る前から薄々分かっていたが、要の人気は凄まじい。多分、球団で一位二位を争う「チームの顔」だ。
「ねえ要先輩、すっごい褒められてますよ」
「なー。俺、今日全然打てなかったのに」
「勝ったからいいじゃないですか。というか、普通に一本ヒット打ってたし」
「でも、単打だし。得点に絡めなかった」
どうやら今日は「納得行かなかった日」のようだ。ほぼ牛乳の甘いコーヒーをちびちびと啜り、不服そうに唇を尖らせる横顔を盗み見る。テレビの向こうで躍動する、プロ野球選手としての間宮要しか知らないファンは、今日はダメだったと落ち込む彼を知らないだろう。後輩の家でこうして寛いでくれていることも、知っているのは美澄だけ。そんなちょっとした優越感が、無加糖のブラックコーヒーをほんのりと甘くした。
「なあ、美澄ぃ」
「なんですか?」
野球の話題がサッカーに移る。呼ばれたので隣を見たが、要はテレビの画面に目を向けたままだった。
「連休って取れんの?」
「取れますよ。来週の火曜と水曜も連休ですし」
これといってどこかへ行く予定もなく、当たり前のように要と過ごすつもりでいる。
「よかったら、試合観にこない? スワンズドームの一塁ベンチ上の席、関係者枠で用意できるんだけど」
美澄が野球観るの、しんどくなければ。落ち着いた口調で続けられた言葉に、要がこちらを見なかった理由を察した。目を合わせたら断りにくくなると思ったのだろう。小さな気遣いが嬉しかった。
かさぶたで覆われた心の傷に問う。自分はどうしたい? そんなの、決まってる。
美澄の宝石みたいなヘーゼルがぱぁっと明るくなり、キラキラと輝き出す。蕾がほころぶような笑顔が、答えだった。
「俺、観に行きたいです。先輩が野球してるところ」
「よし、分かった。いい席取ってもらうから、楽しみにしとけよ?」
「はい!」
「んで、試合終わったら俺んち泊まってきな」
「え、いいんですか?」
「もちろん、いつも泊めてもらってばかりで悪いしさ。火曜日の試合観て、一緒に帰ってそのまま泊まる感じでいい?」
「いつもと逆ですね」
「……嫌?」
「いえ、すごく楽しみです」
「絶対勝たなきゃなぁ」
「期待してます。ホームランですか?」
「プレッシャーかけるなぁ。ま、絶対楽しませるからさ」
大きな手のひらが、美澄の丸っこい頭をぽんぽんと撫でた。一週間後が、今から待ち遠しくて仕方ない。
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