桜と屍体
桜が舞っていた。
夜桜であった。月の光に当てられてきらきら輝いていた。
しかし、俺は気にしない。気にすることが出来ない。顔を上げて雅に楽しむことは出来ないし、そんな感性は持っていない。
ザクザク、ザクザク、音がして。
ただ、腐臭だけが辺りに漂っていた。
……
桜の木の下には屍体が埋まっている!
確か、梶井基次郎だったか。有名な文豪。読んだことはないけど。
この文言を今更信じるヤツなんていないだろう。一人の狂人の戯言はあまりにも有名になってしまった。
「でもさ、ほんとだったら面白くない?」
休み時間の騒がしい教室で友人である花崎香織が言った。自分、つまりは土屋桜介の席の周辺にワザワザ椅子を持ってきて座っている。パタパタ足を揺らす度に土埃が舞った。
……微塵も面白くない。気持ち悪いだけだろう。
「何言ってんだよ」
適当に返す。花崎という女子学生は他の人間とは一味違うのだ。現実味がない出来事──例えばファストフード店のハンバーガーにはミミズ肉が使われているとか──も真剣に考えてしまうようなヤツであった。
「だって死んだら桜の下で暮らせるなんて幸せじゃない。花見し放題だよ?」
「死んでんなら意味ないだろ」
「そうかなー」
「毛虫がすごそうだし」
「それはそうだけど。……でも、冷たいお墓よりはいいと思うなぁ」
「俺はパスだね。埋まるならどうぞおひとりで」
「貸切じゃん。やったね」
……コイツの喜ぶポイントが分からない。十数年の腐れ縁だが相変わらず理解出来なかった。
スカートについていた蛆虫を払いながら花崎は言う。
「確かめてみようよ」
「何を」
「本当に死体が埋まっているかどうか」
「……頑張れ?」
「君も来るんだよなに言ってんの」
土屋が口を開く前にチャイムが鳴る。バッチリのタイミングだ。次の授業は確か……数学だったか。あの先生怖いんだよな。
バサバサと雑に教科書を置く土屋を、花崎はニコニコしながら眺めていた。
……
「ねー、付き合ってよー。か弱い女の子を真夜中にひとりぼっちにする気?」
「だからやらねえって」
体育の授業中。今日は一キロのマラソンだ。全員やる気はないのであくまでのんびり、男女別々で走っていく。
集団の後ろ側で土屋は走っていた。春風はまだほんの少し冷たい。学校指定のジャージのチャックを一番上まで上げ、めんどくせぇなと思いながら返事をする。
「そもそも真夜中に行く理由ないだろ。やるとしても適当に放課後集まるか土日のどっちかにしようぜ」
「ううん。真夜中じゃなきゃいけないの」
相変わらずニコニコ笑いながら、セーラー服の裾をたなびかせながら、彼女は言った。
「なんでだよ」
「見つかっちゃうから」
「……そりゃああんまり良くないことだけどさ」
その常識があるならやらなきゃいいのに。それにしても、何故そこまで固執するのか。桜の下に埋まっているのはせいぜい幼虫やらミミズやら小石やらである。掘ったところで徳川埋蔵金が出てくるワケじゃあない。まさに骨折り損のくたびれもうけ。
「それにさ」
息一つ切らさずに花崎は続ける。
「きっと夜桜は綺麗だよ」
……
四時間目が終わったあと。つまり、給食の時間である。
本日のメニューは焼き鮭、味噌汁、あとなんか漬物、ご飯。デザートに小さい桜餅がついた。嬉しい。
土屋は焼き鮭をほぐしながら、また長々とした花崎の演説を聞いていた。ごくろうさんである。
「だからさー、やっぱりお花見といったら三色団子じゃない?」
「そーですか」
「……聞いてないよね」
「俺は今鮭食ってんの。団子の話されてもどうしようもねえの」
「じゃあ好きな魚料理の話でもする? ……やっぱ私はムニエルかな」
「そういう問題じゃねえんだけどなー」
頬杖をつく細い腕に黒光りするムカデが走る。
花崎は変わらない。変われない。ずっと土屋の隣に座り、たわいもない話をし続ける。
それに違和感はない。
……
夕焼けに照らされた廊下を、二人は歩いていた。
職員室まで大量のワークを運ぶためである。面倒だからと言って一度に運ぼうとしたのが良くなかった。土屋は今、ワークに押しつぶされそうだ。
「……重い!」
「頑張って〜。応援だけするから〜」
雑な応援にイラつきながらもなんとか廊下を進んで行く。
「少しは手伝おうって心持ちはないのか?」
「えー、だってさーやるやらない以前にもう持てないじゃん」
黒い腕を前に伸ばしながら花崎は言った。
「君のせい……ではないか。私も少しは望んでたと思うし。君は律儀に遺言を叶えようとした。それだけだよね」
一人分の影が廊下に伸びる。
「……それが?」
「だからなんの問題もないってことだよ」
ため息を吐く。やっぱり花崎香織が言うことはよく分からない。適当に聞き流したのち歩き始める。
「ねーねー、本当にやらないの?」
「……桜の下の話か」
「そ、いつかはやらなきゃいけないことだよ? 今日でも明日でもいいけどさ、桜が散る前にやって欲しいなぁ」
上履きが擦れる音は、やっぱり一人分しかなかった。
クラスは花崎を入れて三十一人であるのにワークは全員提出しても三十冊しかない。出席番号順の席のはずなのに野口さんの後ろは日野さんである。花崎香織は掲示板の行方不明者ポスターの中でいつもニコニコ笑っている。誰も花崎の話はしない。だからずっとずっと土屋に語りかけてくる。それが土屋桜介の最近の日常である。
「覚悟は決まった?」
蛆が蠢く口の端を歪めながら、花崎は聞いてくる。
どう数えても三十冊しかないワークを持ち直しながら適当に返事をした。
「それなりに」
……
廃団地。ネット上じゃ心霊スポットやらなんやら騒ぎ立てられているが、実際には事件も何も起きてない場所。
そんな場所の真ん中の広場に、何故だか一本だけ桜が咲いていた。隠れたお花見スポットであるが、いかんせん治安が悪めな場所なので住民は近づかないのである。
さて、説明はこれぐらいに。
ただいまの時刻は午前二時。立派な真夜中である。良い子は寝る時間に土屋と花崎は約束通り桜の下を暴きにきた。
「頑張ってね!」
「俺が掘るのかよ……」
「か弱い女の子には無理かなって」
「か弱い女の子は桜の下を掘り返そうとしない気がするな」
用もないのに最近買ってしまったスコップでザクザク掘っていく。
花崎はじっとその作業を見ていた。
短い黒髪をいじりながら、黒い目で、見たこともないような真剣な顔で。制服のスカートに土埃がつくのも厭わずに。
ここまで来たら引き返せないし花崎がそれを許さない。戻すのが面倒だなぁと思いつつ、ザクザク掘り進める。
自分の膝の高さぐらいまで掘って、そこで初めてガツン!とスコップになにかが当たった。
花崎はずっと見てくる。無言の圧に負けてさらに掘る。
最初に見えたのは腐敗しかけの腕だった。
次は短い黒髪、濁った黒い目、ボロボロになった制服。
辛うじて読めた名札には、花崎香織とあった。
あー、そういえば。
──俺が埋めたんだっけ。
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