イカれた信号機

春になると頭のおかしいヤツが増える。

ンなわけない、と赤城清明は考えていた。ちょっぴり気候が暖かくなっただけで狂う人間がいるものか、と。

しかし、今この瞬間をもってその考えは撤回することとなってしまった。


『危険デスよォー! 危険デスよォー!』


いつも通りの通学路。何の変哲もない交差点の信号機前に、ソイツは我が物顔で立っていた。

いや、我が物顔かどうかは正確に言えば分からない。なんてったって顔と思われる部分は、壊れかけの信号機で構成されているから。

歩行者用の信号機。その『止まれ』を意味する電飾をチカチカ点滅させて、口なんてないのに言葉を発している。じゃあその下はどうなっているかというと、警備員の制服を着たマネキンを無理やりぶっ刺したような感じである。

どう見たって、どう考えたって、人間では──いや、生き物ですらないソイツ。


『危険デスよォー! 危険デスよォー!』


質の悪いスピーカーから流れるような音声。かなりの大音量のはずなのに、周りの人間は気にもとめていない。こんな異様なヤツがいたら今のご時世、隠し撮りされてネットの海に放流されるだろう。だというのに赤城の前にいる女子高生はスマホに夢中で見もしないし、サラリーマンはあくびをしている。混乱しているのは赤城のみ。


「俺、疲れてんのかな……」


それとも春になって気が狂ったか。そんな迷信さえ信じそうになるほど、目の前の景色は現実味がなかった。

そんなことウダウダと考えている内に、信号は青になり単調なメロディが流れだす。止まっていた人間が一斉に動きだした。もちろん赤城もその一人。


『危険デスよォー! 危険デスよォー!』


……青になったのに?

後ろから聞こえる音声に思わずツッコミをいれる。赤なら分かるが、青で渡れるようになったのにまだ忠告するのか。それともアレか、道路は信号の色関係なく危険だから注意しろ、みたいなことか。

明日にはいなくなってますように、と祈りながら学校に向かった。


……


……いる。

もう当たり前だと言わんばかりにいる。相も変わらず赤信号をチカチカさせて、赤く光る誘導棒をブンブン振り回して。ガサガサの声を大音量で響かせている。


『危険デスよォー! 危険デスよォー!』


言ってることもムカつくぐらい同じだ。珍しく空っぽになっている車道のなにが危険か。

……まぁ、やっていることはそれだけだ。よくある怪談話のように襲ってはこない。なら無害かもしれない。あんまり気持ちのいいモンじゃないけど。普通にうるさいし。

あまり意識しないようにすればいいだろう。こういった類いのものは『認識されている』と気づいた瞬間追いかけてきたりするのが定石だ。なんにせよ、ジロジロ見ないほうがいいのは確か。関わらないのが一番だ。

そそくさと横を通り過ぎた。


……


それから一、二週間たったころ。相変わらずソイツは信号機前にいた。寸分も変わらぬ文句を言い続け、誘導棒を振り回し、ソレを横目に通り過ぎる。毎朝よくやるもんだ。関心すら覚える。

ある種のルーティーンになってしまったソイツ。今日も今日とて危険を訴えながら頭をチカチカ点滅させているんだろうと、ぼんやりとした確信をもって交差点まで歩いた。


『安全デス! 安全デス! どーぞどーぞお通りクダサイ!』


……あれ?

言っていることが違う。頭と思われる信号機も青く点滅させていて、誘導棒をもつ腕は『通っていいよ』のポーズになっている。昨日とは何もかもが真反対。


『通ってクダサイねェー! 通ってクダサイねェー! 安全デスからねェー!』


今日は交通量が多い。車はビュンビュン通り過ぎていって、どう考えたって安全じゃあない。

そのうちに車の信号機は黄色のランプを光らせて、じわじわと赤になる。当たり前だが、立ち止まっていた人間が向かいに渡ろうとぞろぞろ歩きだした。


『安全デスよォー! 安全デスよォー!』


赤城は動けないでいた。昨日までさんざ危険だと言っていたコイツが、安全だと言い出したのがどうも引っかかっていた。


『通ってクダサイねェー! 安全デス!』


信号機は赤から青になる。本格的に人間が動き出す。

何度も何度も繰り返し、安全だと宣う理由。

根拠の無い予感が赤城の足を引っ張って前に進ませない。思わず一歩後ずさった、次の瞬間。

──信号を無視したトラックが横断歩道に突っ込んできた。

悲鳴と衝突音。人間の塊に思いっきり飛び込んだトラックは、何人かを引いて、引いて、向かいのコンビニの車止めにぶつかって止まった。

……もし、ソイツの言うことを真に受けて渡っていたら。


『……』


そこまで考えて、辺りがざわついているのに気が付きハッとした。警察……いや、救急車? どちらでもいい。とりあえず通報しなければ。

スクールバッグからスマホを取り出そうと、急に黙り込むソイツから目線を外す。


『……危険デスよォー! 危険デスよォー!』


……危険。

この事故を受けて車は止まっている。なんなら巻き込まれた車だっている。渡るだけなら危険はない。

なら、なぜ危険だと訴える?

恐る恐る前を向いた。


『危険デスよォー! 危険デスよォー!』


ソイツは惨状を気にもとめず、赤く点滅しながら、誘導棒を振り回し、ガサガサした音声を周りに撒き散らしていた。

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