第二十三話 『ルーファスという幼馴染』
ユリシアは、ニレニアの街にたどり着く頃もまだ涙をこぼしていた。
街の灯りがぼんやりと薄暗い道を照らしていたが、酒場から漏れる笑い声やざわめきが、かすかな明るさをもたらしていた。
その中を、彼女はうつむき加減で歩き続けた。
酒場の扉が乱暴に開き、酔っぱらった冒険者二人がふらりと出てきた。
彼らはユリシアの姿を見つけると、興味を引かれたように彼女の前に立ちはだかり、絡み始めた。
「おい、見ろよ兄弟! 泣いてるぞ、この娘!」
「ほんとだ、どうしたんだ? 迷子でもなったのか、嬢ちゃん?」
二人は彼女をからかうように声をかけたが、ユリシアはただ一礼をして、そのまま彼らを無視して歩き出そうとした。
彼女の無言の拒絶に腹を立てたのか、酔っ払いの一人が手にしていた空のビールグラスを突然投げつけた。
「舐めた態度、取ってんじゃねえよ、こらぁ!」
ビールグラスは彼女の頭をめがけて飛んでいったが、ユリシアはそれに気づいていなかった。
だが、グラスが彼女の後頭部に当たる寸前、ぴたりと空中で止まった。
止めたのは、一人の男だった。
彼は片手でビールグラスを掴み、冷静な声で言い放った。
「舐めた態度を取っているのは、あなた達の方だ。」
次の瞬間、男はビールグラスを投げ返した。
だが、それはただの投げ返しではなかった。
彼の手から放たれたグラスには、強烈な魔力が込められていた。
グラスは冒険者の一人に当たると、瞬く間に割れ、その破片が火花を散らした。
そして、炎はたちまち冒険者たちの服に燃え移り、二人は瞬く間に丸焦げになってその場に倒れこんだ。
だが、男の意図した通り、命を奪うほどの火力ではなかった。
「大丈夫か、ユリシア?」
ユリシアはその優しい声に驚いて振り返ると、そこにはルーファス=ドヴィエンヌの姿があった。
焔鯨のリーダーであり、彼女の幼馴染でもある彼は、彼女を心配そうに見つめていた。
「一体何があったんだ? 誰かに何かされたのか?」
「ううん……」
ユリシアは首を振ったが、その表情には疲れと悲しみが滲んでいた。
ルーファスはそんな彼女を見て、何も言わずに彼女の手を引き、静かなバーへと足を運んだ。
店の中は人影もまばらで、静けさが漂っていた。
ルーファスはユリシアの様子をじっと見つめながら、静かにワイングラスを彼女に差し出した。
その瞳には、言葉にしなくても伝わる優しさと、何かを知りたいという思いが宿っていた。
「それで、何があったんだ?」
問いかけに、ユリシアはため息混じりに応える。
声には、どこか自嘲めいた響きが混じっていた。
「大したことないよ、ただ……彼に振られただけ。」
その言葉は、まるで彼女自身を納得させるためのもののようだった。
「彼って、あの前に酒場の前で会った彼のことか?」
「うん……」
ユリシアはか細い声でそう答えた。
だが、ルーファスは慰めるような言葉をかけることはしなかった。
彼の口元は少し歪んでいる。
「そっか……でも、正直、そうなるんじゃないかって思ってたんだ」
その予想外の言葉に、ユリシアは驚いて顔を上げた。
涙で曇った瞳で、彼を見つめる。
「どういう意味よ、ルーファス?」
彼女の問いには、明らかに苛立ちが滲んでいたが、ルーファスはその表情を気にする様子もなく、肩をすくめた。
「彼を悪く言うつもりはないけど……正直、ユリシアには釣り合ってなかったんだ」
その言葉が、まるで彼女の中で何かを引き裂いたようだった。
ユリシアは怒りで顔を真っ赤にしたが、その怒りが純粋すぎて、少しも恐ろしくなかった。
むしろ、その不慣れな様子が、彼女が怒り慣れていないことを物語っていた。
彼女は深く息を吐き出し、次第に冷静さを取り戻していくと、今度は自分を責め始めた。
「わかってるわよ……私みたいな人を、彼が好きになるわけないって」
一口も飲まれていないワイングラスを遠目に見ながら、そう言った。
すると、ルーファスは驚いた表情でユリシアを見つめた。
その眼差しは、何かを言い間違えたような困惑に満ちている。
「いや、違うんだ。俺が言いたいのは、あいつがユリシアに釣り合ってなかったってことだよ」
「え?」
その言葉に、ユリシアは呆然とした表情を浮かべた。
ルーファスも同じように、驚いた顔でユリシアを見つめ返す。
まるで、二人の間に流れている時間が一瞬止まったかのようだった。
「優しくて、頭が良くて、頼りになるユリシアが、あんな男と一緒にいたなんて、俺は信じられなかったよ」
「……そ、そう?」
ユリシアは戸惑いながらも、心の中で少しずつ何かが溶けていくような感覚を覚えた。
ルーファスは、そんな彼女に微笑みかけ、言葉を続けた。
「俺、強くて、頼り甲斐のあるユリシアに憧れてたんだ。君みたいになりたくて、旅に出たんだよ」
「そうだったの?」
ユリシアの心の中に、昔の思い出がよみがえってくる。
ルーファスが彼女に向けるその眼差しは、尊敬と感謝に満ちていた。
幼い頃、彼女が優しく彼を包んでくれたあの記憶が、彼の胸に深く刻まれていたのだ。
「俺たちがオークの群れに囲まれた時も、ユリシアは泣かなかったよね。だから、今日の君が泣いてるのを見て、相当怖い体験をしたのかなって思っちゃった」
「……ちょっと感情の整理がつかなかっただけよ。それに、いつの話をしてるのよ」
「俺だけが泣き虫で情けなかったな……でも、あの時イシアさんが助けに来てくれたんだよね」
「そうね、そんなこともあったね」
二人は、次第に過去の思い出に浸りながら、その夜を過ごした。
かつて、ベテンドラで過ごした楽しい日常、幼い頃の何気ない日々が次々と語られ、そのたびに笑顔がこぼれる。
その夜、二人の間に流れていた距離は確実に縮まっていた。
幼馴染という枠を超えた、もっと深い何かが確かに芽生え、その絆はより強固なものとなった。
言葉にしなくても、お互いの心が少しずつ近づいていくのを感じ取れるほどに。
彼らの関係は新たな段階へと進み始めていた。
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