第二十一話 『ユリシアたんとデート』


 次の日――。


 俺は古びた小さな宿の一室で、一人取り残されたように佇んでいた。

 心の中には重い霧が立ち込めている。

 なぜここにいるのか、俺の存在意義は何なのか。

 誰かが教えてくれればと思う答えはいつも闇の中だ。


 昨晩の激闘を思い出すと、今までの成長が幻だったかのように感じられる。

 ベルタのあの圧倒的な力を目の当たりにしてしまったせいか、俺の中で張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れてしまったようだ。


 今日はベルタの用事で訓練はお休み。

 どうやら久しぶりの休日が訪れたらしい。

 だが、何をすればいいのか、手持ち無沙汰で途方に暮れる。

 俺がこの世界に来る前、俳優として駆け回っていた頃、休日なんて概念は存在しなかった。


 朝から撮影現場に入り、夕方までノンストップで仕事。

 そこから続くドラマや映画の宣伝のバラエティ出演。

 仕事が終わる頃には、夜の街での酒と女。

 そんな日々に「休み」なんて贅沢はなかったのだ。

 今にして思えば、心身共に疲弊していたのだろう。

 だから、性格もどんどん腐っていったのだと、今更ながら理解できる。


 ふと時計を見ると、朝の八時を指している。

 隣の部屋にはユリシアがいる。

 もう起きているだろうか。

 少し気になって、彼女をどこかに誘ってみようかとも思ったが、きっと断られるに違いない。

「私はいいので、一人で楽しんできてください」と冷たく言われるのがオチだろう。


 そもそも、なぜ彼女は俺に対してこんなにも冷たいのか?

 俺が彼女をイヤらしい目で見ているのが原因か、それともこの外見のせいなのか?

 考えても答えは見つからず、俺はただ無意味な自問を繰り返すばかりだった。


 そうだ。

 見た目が違えば、どうだろうか?

 彼女の態度も変わるのではないか?


 俺はふと、《外見変化》のスキルを思い出した。

 これを使えば、俺は中沢煌になれる。

 彼女が心を許すような姿に、声に。


コンコン。


「ルークですか? 今は忙しいので、また後でお願いします。」


 冷たく言い放つユリシアの声が、扉越しに聞こえた。

 彼女はドアを開けることすらせず、俺を拒絶する。

 しかし、俺は負けない。


「いや、俺だよ、ユリシアちゃん」


 だが、その声は今までの俺、ルクセリオのものではない。

 役者として磨き抜かれた、低くて魅力的な、中沢煌の声だ。

「俺だけど、俺だけど……」

 まるで反響するかのように響く、色気を帯びたその声。

 瞬間、ユリシアの反応は一変した。


ガチャ。


 ドアが急に開き、彼女が驚いたように顔を見せた。

 その瞳には、期待と喜びが交錯している。


「き、来てくれたんですか……?」


 恥じらいを含んだ声で、彼女は上目遣いで俺を見つめる。

 その瞳の奥には、戸惑いと共に隠せない喜びが滲んでいた。

 俺は《外見変化》の力を使い、彼女が想いを寄る『俺』になっていたのだ。


「ああ、ルークが宿の場所を教えてくれたんだ」

「そうだったんですね。でも、嬉しいです……今日はどんなご用で?」


 彼女の声は、抑えきれない興奮で震えていた。

 俺の胸の奥に、複雑な感情が沸き上がる。

 この姿に惹かれる彼女の気持ちが嬉しくもあり、どこか寂しくもある。

 彼女は照れた様子で、綺麗な赤髪を耳にかけ、寝間着のまま俺を見つめ続けていた。


「少し、俺と出かけに行かないか?」

「……はい! すぐに行きましょう!」


 彼女は喜びを隠せず、すぐに答える。

 しかし、俺は少し悪戯心を抑えきれなかった。


「でも、その前に着替えた方がいいんじゃないかな、ユリシアちゃん?」


 俺が優しく囁き、ユリシアの腰に手を当てると、彼女は急に自分の格好に気付き、顔を真っ赤にした。


「す、すぐに着替えるので、少しだけ待っててください!」


 恥ずかしさから声を上げる彼女の姿は、どこか愛らしく映る。

 ツンとした態度を見せていたユリシアが、俺――いや、中沢煌にだけはデレデレする。

 その変わりように、俺の心は複雑な思いで満たされていった。


 ドアが静かに開かれ、彼女が姿を現した。

 その瞬間、俺の胸が高鳴るのを感じた。

 普段の無防備な彼女とはまるで別人だ。

 彼女はまるで貴族の令嬢のような気品を纏い、可憐な白いワンピースを身にまとっていた。

 その姿は、赤髪とのコントラストが絶妙で、まるで絵画の一部のようだった。

 髪には可愛らしいヘアピンが光り、いつもとは違う魅力がそこにあった。

 メイクをしていないにもかかわらず、その顔立ちは驚くほど整っており、自然な美しさが際立っていた。


 俺は思わず息を飲んだ。

 こんなにも見惚れるとは思ってなかった。

 彼女が照れくさそうにモジモジとした仕草を見せるたびに、俺の心はますます惹かれていった。


「その……似合ってますか?」


 彼女が恥ずかしそうに尋ねるその声に、俺は慌てて返事をした。


「あ、ああ……」


 似合っている、という言葉では到底表しきれない。

 独占してしまいたい――そんな欲望が胸の奥から湧き上がってくるほどに、彼女は完璧だった。


「それじゃあ、行こうか」

「はい!」


 俺は彼女に促し、二人で街へと足を運んだ。

 しかし、油断は禁物だ。

 彼女の完璧な姿に心を奪われすぎれば、《外見変化》の効果が切れてしまうかもしれない。

 それほどまでに、彼女の存在感は圧倒的だった。


「どこに行きますか?」


 彼女が問いかける。

 俺たちはニレニアの街の中心部へと向かい、ショッピングデートを楽しむことにした。

 彼女は俺の腕にしっかりとしがみつき、歩くたびにその温もりが伝わってくる。

 この瞬間がずっと続けばいいと思った。


 まず最初に足を踏み入れたのは、魅惑的な魔法店だった。

 ニレニアの街に溶け込むように佇むその店は、一歩通り過ぎても、ユリシアの視線をしっかりと捕えていた。

 振り返るたびに彼女の瞳が輝き、その先にあるものへと惹かれているのが明らかだった。


「コウさん、見てください! エナメルドラゴンの頭部ですよ! わぁー綺麗!」


 彼女の言葉に促されて目を向けると、店の中央に堂々と飾られた巨大なドラゴンの頭部が、威厳と美を放っていた。


「ほ、本当だね……」


 俺の口から出たのは、それだけだった。

 ユリシアとデートできる喜びは何にも代えがたい。

 しかし、彼女の「綺麗」という感覚に一抹の違和感を覚えずにはいられなかった。

 

 現実世界の女は、

「シ◯ネルのバッグだ! わぁー、素敵!」

とでも言う場面で、彼女が「綺麗」と称えたのはドラゴンの、それも頭部だった。

 驚きを隠せなかったが、彼女が「買ってほしい」とせがんでこない点では、現実世界の女よりはマシだと思う。


 

 次にユリシアが俺を連れて向かった場所はアクセサリー店だった。

 その瞬間、俺の心は安堵に包まれた。

 彼女もやはり、普通の女の子なのだと、ひとまず安心することができたからだ。

 もし次の店が拷問器具屋だったなら、俺はすぐさま帰っていたところだ。


「このルビーのネックレス、ユリシアちゃんに似合いそうじゃない?」


ガラスケースに飾られた、鮮やかなルビーのネックレスに目を留め、俺は彼女にそっと提案した。


「え、そうですか?」

「うん、ちょっと後ろ向いてみて」


 彼女が素直に背を向けると、ほのかに香る甘い香りがふわりと俺の鼻をくすぐった。

 その瞬間、心がドキリと跳ねる。

 彼女の髪をそっと上げて、光り輝くルビーのネックレスを彼女の首にかけた。

 彼女が俺の方を向くと俺はこう声を掛けた。


「似合ってるよ」

「本当ですか?」

「うん、赤い色が君にすごく合ってる」


 彼女に似合うことは、紛れもない事実だった。

 しかし、その一方で、心の中で小さな葛藤が芽生えていた。

 日本円にして二十万円――そんな高価なネックレスだった。

 買えるわけがない。


 その時、目に留まったのは、同じケースに並べられていた小さなルビーのブレスレットだった。

 控えめな輝きが、彼女の手首に優しく寄り添う姿が目に浮かぶ。

 しかし、その価格も二万円ほどで、今の俺の手持ちでは少々厳しい。


 そんな時、店の奥から優しげな声が聞こえた。


「あんたたち、素敵なカップルね。もしお金が足りないなら、少しおまけしてあげるわ」


 そう言いながら、店主のおばちゃんは二万円のブレスレットを一万五千円まで値引きしてくれた。

 それでも、まだ俺には高価な買い物だった。

 ただ、この二年間、彼女には数えきれないほど助けられてきた。

 そう思えば、たった一万五千円のブレスレットでは、その感謝を伝えきれないかもしれない。

 とりあえず、俺は迷わず購入を決意した。


「これ、タイムブレスレットですよね」


 店を出てしばらくして、彼女が手首に付けたままのブレスレットを見つめながら呟いた。


「タイムブレスレット? 何それ?」


 俺が尋ねると、彼女は微笑みながら説明してくれた。


「特別な瞬間を永遠に記憶する腕輪のことですよ」

「へー、面白い腕輪だね。特別な瞬間は自分で決められるの?」

「いえ、今まで生きた中で、私が一番特別だと感じた瞬間を記憶するようになっています。ルビーの宝石に触れることでその記憶が何度も脳内に再生されると言うことです」

 

 中々に面白そうなブレスレットだ。

 彼女の言葉を聞き、俺はこのブレスレットを手に入れて本当に良かったと思った。


 それから、俺たちは再びショッピングデートに没頭した。

 二人で過ごす時間はあっという間に過ぎ去り、気がつけば空は夕暮れの色に染まり始めていた。

 すると、彼女は俺の手を引き、どこかへと向かおうとしていた。


「どこに行くんだ?」


 何度尋ねても、彼女は

「着いてからのお楽しみです!」

と微笑んで、答えをくれない。

 無邪気で可愛い。


 ニレニアの街を抜け出し、俺たちは砂漠のような荒野へと足を踏み入れた。

 日が傾き、暑さが少し和らいだ空の下で、彼女の後ろ姿を追いかけるように進むと、やがて目の前にぽつんと異空間のような場所が現れた。


 人影は一切なく、生命の気配すら感じられない不思議な静寂が、そこには広がっていた。


 砂漠にあるは、秘密の花畑だった。

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