間話③ 『霜海豚の団長』


 次の階層への道は、ルクセリオたちがロックス迷宮を訪れた二週間前に、ある冒険者たちによって発見された。

 彼らの名は「霜海豚」。

 五人から成る本格的な冒険者パーティーで、その名は、あの世界最強のギルド「焔鯨」を意識して付けられたものだが、実力はそれに劣らない。


 特に注目すべきは、霜海豚の団長、ケヴィン=ヤネット

 彼はかつて焔鯨の一員だった冒険者で、その戦技と知恵で数々の難関を突破してきた。

 彼の指導のもと、霜海豚は迷宮の探索においてもその名に恥じない成果を上げている。


 霜海豚が一番乗りで三階層に到達したのは、偶然の賜物だった。

 彼らはニレニアの隣街、リビレアでガーゴイルの大群の討伐依頼を受けていた。

 そして、ロックス迷宮発見と世間に明らかになる前に迅速にニレニアへと駆けつけた。

 その敏速さと精鋭ぶりによって、どの冒険者よりも早く迷宮の第三層に足を踏み入れることができた。


 彼らが目にしたのは、息を呑むほどの光景だった。

 広大な空間には、まるで古の学者ロックスがその知識を凝縮したかのような、整然と並んだ本棚がひしめき合っていた。

 まるで時間が止まったかのような静寂が漂い、その美しさは迷宮の深奥に隠された知識の神秘を予感させた。


 一階層、二階層はスムーズに攻略し、攻略を始めてから一日も掛からずに三階層に着いていた。

 しかし、探索を進めるうちに、彼らの期待はあっけなく裏切られた。

 下層へと続く階段や通路は一切見当たらず、ただただ広がるのはその本棚の連なりだけだった。

 唯一の異物は、大きく装飾が施された荘厳なドアだった。

 しかし、そのドアには恐るべき巨大な鍵穴があり、どれだけ力を入れても、開けることはできなかった。

 周囲の地面は強力な防御魔法によって固く守られており、どんな手段を使っても突破することは不可能だった。


 霜海豚のリーダー、ケヴィン=ガーネットはその状況に直面し、苦悩の表情を浮かべた。

 彼らの探索は思わぬ困難に直面し、何も得られずに戻らざるを得なかった。

 迷宮の深層にはさらなる謎と試練が待ち受けており、霜海豚は次の手を模索し、慎重に計画を立てなければならなかった。


「クソっ、どうして鍵がどこにも見当たらないんだ!」


 ケヴィンの怒声が、広大な空間にこだまする。

 彼の眉間には険しいしわが寄り、拳を固く握りしめていた。

 彼の言葉には焦りと苛立ちが込められており、迷宮の壁さえもその感情に震えているようだった。

 目の前に広がる本棚の群れは、彼の希望をあざ笑うかのように静かに佇んでいた。


 彼は一冊の本を掴み、怒りに任せて放り投げた。

 とたんに、本が空中でくるくると回り、地面に激しく落下する。

 ドサッ、という音が響き渡り、本は無造作に床に広がったページがむき出しになる。


 ケヴィンは深呼吸をし、目を閉じて冷静さを取り戻そうと必死だった。ここまで運良く進んできたが、現実は冷酷だ。彼の内なる葛藤と焦りが渦巻く中、次に取るべき策を必死で考えていた。


 だが、その葛藤の中に、影は潜んでいた。


 本が地面に落ち、乱雑に開かれたページから、突然、巨大な闇が解き放たれた。

 闇はあっという間に広がり、まるで生き物のように彼らを包み込んでいく。

 光が吸い込まれ、辺りは一瞬で真っ暗になった。

 闇の中でケヴィンたちはただ、漠然とした恐怖と強い魔力の気配に圧倒された。


「シャイニングライトっ!」


 パーティーの魔法使い、ウィレフの叫びが響き渡り、彼女は全身全霊で魔法の力を集中させた。

 魔法の杖から放たれた光線が、濃密な闇を切り裂くように広がり、周囲の視界を明るく照らし出す。

 しかし、その光の中に現れたのは、単なる魔物や罠ではなかった。


 闇が包み込んでいた先には、古代の秘密が潜んでいた。その秘密がついに姿を現した。

 目の前に広がるのは、巨大な影。

 光が照らす先に、恐ろしい存在が見えた。


 それは、ひどく巨大な牙を持つ。

 ギョロッとした目を持つ。

 幾多の戦場を乗り越えたであろう毛並みを持つ。

――巨王猪グラトスだった。

 その全長は百メートルを超え、圧倒的な存在感を放っていた。


 その巨体が静かに待ち構える部屋に、彼らは一瞬のうちに放り込まれた。

 空気は重く、圧倒的な恐怖と緊張が部屋を包み込んでいた。

 彼らの目の前にはただ、圧倒的な死が待ち受けるのみだった。

 ここで何を試みようと、優先すべきはこの命の危機からいかにして生き延びるかだった。


「ケヴィン! 指示を出せ!」


 セバスチャンが叫び、汗で湿った顔を上げた。

 

「ちょっと待て、セブ! 今考えてる!」


 ケヴィンは必死に頭を回転させながら、冷静さを保とうと努めていた。


 恐怖が圧し掛かり、立ち尽くす者もいる中で、どこかで生きる術を探し求める姿があった。

 全てが無意味に見えながらも、人はそれでも必死に戦おうとする。


「こっちに向かってきてるぞ、このバケモンっ!!」


  ヒエルトが叫び、巨王猪グラトスの動きに気づいた。

 

「このままだと死にますッ!!」


 ピヨエルの声が震えていた。

 

「わかった。とりあえず俺が一打を入れて、奴の防御力を測ってみる」


 ケヴィンが決意を込めて言う。

 

「なんでもいいから早くしてッ!」


 サマンサが焦りを隠せない。


 ケヴィンが全力の一撃を放つも、巨王猪ベヒーモスの圧倒的な力に対して、その攻撃は全く無力だった。

 巨体の前に、彼らの努力と勇気は儚く消え去り、圧倒的な無力さが彼らに突きつけられた。


 そして、霜海豚のメンバー、計六人――

ケヴィン=ヤネット

ウィレフ=ジャネン

セバスチャン=ロゼリエット

ヒエルト=カミエンスキー

ピヨエル=クラリコ

サマンサ=サリエナント

トビー=コリエンス


は物理的に押し潰され、潰れた缶のように死んだ。


◇◇◇

 

 つまり、ロックス迷宮の三階層に配置された本、およそ二万冊。

 その全ての書物に強力な封印魔力が込められていた。

 それらはページを開くことでその封印が解かれる。

 そのうちのどれかに、肝心の巨大な鍵が隠されていると信じて、それから数十組の冒険者パーティーが三階層に着く。


ケヴィンのパーティーに続いて多くの者たちが本を開けては、何かの反応を待っている。

 しかし、全ての本が魔物を封じているわけではなく、いくつかの本には無反応のままのものも多い。

 だが、魔物が封印された本を引いてしまった場合、待つは圧倒的な死。

 

 現在、一千冊弱の本が彼らによって開かれたものの、鍵が見つかる気配は依然としてない。


 

 残された三階層の本の数――


 一万九千三十六冊。

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