第十八話 『中沢煌とルクセリオの境目に』


 近づいてきたユリシアは、この世界の歴史に残るほど衝撃的なことをした。

 

 ユリシアは突然、俺の腕を両手でギュッと掴んできた。

 そして、腕を挟むようにして優しく胸を俺に、押し当ててきたのだ。

 

 表現できない最高の感触。

 腕の筋肉がしなやかに沈み込み、その心地よさに俺は思わず息を呑んだ。

 俺の腕は勝手に成仏した。


 彼女の顔立ちはそのままでも美しく、ただ、少し照れたように目を伏せながら胸を押し当てる様子が、まるで夢の中の出来事のように映る。

 ユリシアの呼吸は微かに乱れ、その鼓動が俺の腕に直接伝わる。

 彼女の体温と興奮がじわじわと溶け合い、肌を通じて感じるその熱気が、深いエロスの渦を巻き起こしている。

 

 彼女の身に纏う香りは、香水とは異なる。

 まるで彼女自身の体から漂う、官能的な魅力そのもの。    

 甘く誘うような、昇天しそうな芳香が、より匂ってくる。


 そして、何よりも国宝級なTANIMA。

 今度は目がイカれた。

 そして、全身に快感が渡り、ついに俺は完全に成仏した。

 我が、生涯に一片の悔いなぁぁしぃぃ!

 初めて転生して良かったと思えた。


《はぁー》

 

「お久しぶりです……私のことを覚えていてくれたのですね……嬉しいです、」


 彼女の声には喜びと感激が込められていた。

 しかし、俺は混乱した。


「え?」


 どういう意味だ?

 俺は彼女の恋人だったのか?

 いつそんな関係になった?

 いや、そんなはずはない。

 しかも俺は中沢煌だぞ。

 面識があるはずがない。


「私、あの時からあなたのことずっと探していたんです」

「……あの時?」

「はい……! あ、そうだ。よろしければ、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「お名前って……ルークだけど」

「ルーク? ……あー、そういえばルーク、遅いですね」

「え? ルークが遅いって……」


 その瞬間、俺は気づいた。

 俺は今ルクセリオじゃないのだと。

 二年ほど、ルクセリオとして生きてきた癖がついてしまっていたため、ルークと名乗ってしまった。

 

「……煌」

「はい?」

「俺の名前……コウ」

「コウさんですね! ずっとお名前を聞きたかったんですよ! でもやっぱりルークと知り合いだったんですね」


 これでさらに混乱が深まった。

 つまり、ルクセリオはルクセリオで、俺は俺で、中沢煌は中沢煌で。

 待てよ、俺は今誰だっけ。

 ルクセリオ?

 いや、違う。

 そうだ、中沢煌の姿に外見変化を使ったんだ。

 だが、なぜ彼女は中沢煌を知っているような口調で話しているのだろう。

 出会ったことはないはず……だが……


 突然、記憶が鮮明に蘇った。

 そうだ。

 彼女は一度だけ、中沢煌に会ったことがある。


「目を開けてごらん、ユリシア。」――あの夜、詠唱の合図で中沢煌に姿を変えた俺は、そのまま彼女にキスをしてもいいか訊ねた。

 そして彼女は頷いた。

 つまり、彼女が同意したのはルクセリオではなく、中沢煌の姿をした俺だったということだ。


 俺はなんだか面白くなりそうな状況を抱えながら、話を合わせることに決めた。


「久しぶりだな、ユリシアちゃん。ルークは元気にやってるか?」


 ユリシアの目が再び輝き、期待を込めて俺を見つめてきた。

 彼女の柔らかな胸が俺の腕に押し当てられ、俺の心臓はその温もりに応えた。


「はい! ちょっと遅いみたいですけど、そろそろ来るので、よかったらコウさんもどうですか?」


 俺はその申し出に軽く微笑みながら、急いで返事をした。

 「ああ、ごめん。俺ちょっと用事があるからもう行かなくちゃ」


 心の中では、彼女がまだ俺の腕に胸を押し当てるその感触を、できるだけ長く堪能したいと思っていた。

 ただ、ルクセリオの姿に戻る必要があった。

 彼女は本来ルクセリオと待ち合わせをしていたからだ。


「そ、そうですか……」

「うん、じゃあルークにまたよろしく伝えておいて」

「はい!」

「それから、またどこかで会おうね、ユリシアちゃん」


 彼女にウィンクをすると、その反応はまさに可愛らしいものだった。

 顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに俺の目を見れない様子に、俺は心の中で一層興奮した。

 なんという幸運だろう。

 ワクワクが止まらない。


 念のために言っておくが、俺はユリシアを騙そうという気持ちは全くない。

 ただ彼女が勘違いしているだけだ。

 俺は何も悪くない。


◇◇◇


 すぐにルークの姿でユリシアの元へ向かうと、彼女の冷たい視線に迎えられた。


「お待たせ〜。遅れてごめん〜」

「いえ、待っていませんので」


 彼女の対照的な反応に気持ちが少し複雑になった。

 ただ、これで確信した。

 ユリシアは中沢煌とルークを区別できていないようだ。


「えーっと、そちらの方は?」


 イケメンの男はまだそこにいたが、彼が誰なのかを聞いてみたが、正直どうでもよかった。


「あー、この方はルーファスです。私の幼馴染ですよ」

「へえ、そうなんですか!」


 幼馴染だという言葉に、正直なところ、少し羨ましくも思った。

 ただ、ユリシアが中沢煌に惚れていると知った今、そんな感情はどうでもよかった。

 先ほど、無礼な態度を取ってしまったことに対しては、謝罪の気持ちがあった。


「君がルークかな? これからよろしくね!」

「はい! ……って、これから?」


 ユリシアは何か知っていそうな口ぶりで、彼女に質問を投げかけてみた。


「お母さまの言っていた助っ人ですよ」

「あ! そういうことですか! ベルタさんだけじゃなかったんですね!」


 ルーファス=ドヴィエンヌは、ユリシアの幼馴染であり、彼女とほぼ同い年のようだ。

 彼の背は、中沢煌よりもわずかに低く、ルクセリオよりも少し高い、平均的な身長に近い。

 薄青色の髪は、風に吹かれてサラサラと流れ、その姿は一層の品位を醸し出していた。

 確かにイケメンであるものの、彼はその容貌に溺れることなく、むしろ落ち着いた態度が印象的で、どこか大人びた余裕を感じさせる。

 なんだかむかついた。


「ルーファスは『焔鯨』のリーダーなんですよ」

「焔鯨?」


 ユリシアの言葉に対して、正直なところ、何がすごいのかはよく分からなかった。

 しかし、その名を聞いた瞬間、彼が十分に頼りになる助っ人であることは確信できた。


 焔鯨――その名は、世界を震撼させる冒険者ギルドの頂点を示す。

 善の象徴として知られる彼らは、単なる冒険者の集まりにとどまらず、こちらの世界の警察と言ってもいいほどに正義に力を入れている。

 ただ、世界を取り締まるという意味でも、このギルドは世界最強であって、そうでなければいけない。

 焔鯨は単なる「世界最強」を自称するのではなく、その名に恥じぬ圧倒的な力で数々の伝説を作り上げてきた、恐れ知らずの冒険者たちの集団なのだ。

 彼らの存在の有無で、この異世界を一変させるほどの衝撃をもたらしているほどに。

 

 

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