間話② 『プロローグ: えり』

 

――北方えり視点――


 私がいるのは、どこか神聖な、天上のような場所だった。

 四方を包み込むのは眩い白光で、まるで宇宙の中心にいるかのような錯覚を覚える空間。

 そして、世界中が見渡せる場所。

 この場所を私は勝手に「天空」と呼んでいる。


 ここに来てから、もう十年が経った。

 もし私が生きていたなら、今頃は二十七歳。

 だけど、死んでしまった私には、その年齢の概念ももはや意味を持たない。

 

「キタカタ!お前という者は、何という愚か者なのじゃ!」


 その声は、年齢を感じさせる深い響きを持ちながらも、顔はどこにも見えない。

 ここに来てからというもの、彼の顔を一度も見ることはなかった。

 いちいちうるさいと感じるこの存在を私は「オジちゃん」と呼んでいる。

 彼は神に近い存在だと自ら豪語しているが、どこか胡散臭さを感じる。


「なんですか、オジちゃん?」

「またしても地上に降りて、奴と接触したのか!」


 本当にうるさい。

 彼はまるで親のように、私を怒鳴りつけてくる。


「別にいいじゃないですか」

「何度も言っておるじゃろ、無駄な接触は避けるべきだと!」


「無駄な接触ではありませんし……」


 全てを見透かされているとわかっていた。

 ただ、私は言い訳をした。

 実際、無駄な接触というよりも不可抗力によるものだった。

 

「それに、私は水の迷宮【オアシスの泉】の点検に行ってただけですよ! 最近はもう攻略方法がバレてしまって、リヴィアスさんも困ってたんですから」

「ほう? なら聞くが、お前が奴を最下層に連れてくるために形成した落とし穴はどういう意図だったんじゃ?」


 ギクっ!


「そ、それは不具合で……」


「では、あの【人魚鬼リヴィアス】が彼に向かって一度も歌声を響かせず、わざと倒されたフリをしたのも、単なる不具合であって、お前の仕業ではないというのか?」


 私は彼が戦いやすくするため、リヴィアスさんには歌声を出さないように指示していた。

 理由は、彼女の戦い方が実に残酷であるから。

 リヴィアスさんの歌声は、その美しさと甲高い響きで聴く者を魅了する。

 だけど、同時に恐ろしい呪いを秘めているとされている。

 その音色を聴いた者は、最も悲惨で苦しい過去の記憶を呼び起こすというもの。

 つまり、体験するは心の奥底に刻まれた恐怖と絶望の数々。

 そのような体験は、彼に味わわせたくなかった。

 あんな記憶を思い出させるのは、あまりに酷だから

 

「そ、そうです……」

「良い加減にしろ、キタカタ!! 去り際に奴の本名までも言いよって」

「……はい……」

「お前は当分の間、地上に出ることを禁ずる!」

「えーー!!!」

「当たり前じゃ。お前はとりあえず奴の《ガイド》を担当しておけ! 他のことはワシがやる!」


 初めてオジちゃんにしっかりと怒鳴られた。

 そして、私の仕事は彼の《ガイド》だけとなってしまった。

 《ガイド》の仕事は、彼の監視を四六時中行い、ピンチの時には言葉で導くというもの。

 監視は全て「天空」でできるようになっている。

 あとは、スキルの習得時には「習得しました」と告げるだけの仕事。

 これがどれほど難しい仕事かといえば、実際のところ、全く大変ではない。


 職務中は何度か、決まりを破ってしまったことがある。

 彼の変な勘違いを正すために

 《勘違いスキル…………習得しました》

 って冗談を言ったりした。

 でも、楽しかった。

 彼がその声に反応してくれて、まるで久しぶりに彼と直接会話しているような気分になれた。

 彼がユリシアちゃんにキスしようとした時、ちょっとしたヤキモチで、無理やり彼の外見変化スキルを暴走させちゃったけど……

 そのせいもあってか、彼の外見変化スキルの発動条件が

「目を閉じてごらん、ユリシア」

 とかいう変な詠唱になっちゃったことは……うん、いつか謝ろう。


 しかし、オジちゃんに叱られてから、ふと胸に刺さる思いがあった。

 私はもう北方えりじゃない。

 そして、彼もまた煌くんじゃないと。

 あの頃の二人は、今はもう存在しない。

 だから、過去を捨て去り、新しい一歩を踏み出すつもりだった。

 私はこの世界での自分の役割を果たし、彼は彼の道を歩む。

 それでいいと、自分を無理やり説得していた。


 ……それでも、彼と再会した時、

 見た目もあの頃のままだった。

 昔のように彼の名前を呼んであげた。

 

 ……でも気づいてもらえなかった。

 心が締め付けられるような感情が溢れ出る。


 

 《ガイド》用の監視映像機器が冷たく煌めく中、ルクセリオの姿が画面に映し出されている。

 その無機質な画面を前に、私は虚ろな目で彼を目で追い続ける。

 彼の姿は手に届きそうで、しかし決して触れられない、冷たい距離を取っている。


 その映像をどこか遠目に見ながら私はかすれる声で呟いた。


「私だよ、煌くん…………えりだよ……」


 その一言が、涙と共に静かに流れ落ちる。

 頬を伝う涙は、映像の中の彼には届かず、ただ空気中に消えていく。

 心の奥底からこみ上げる悲しみは、抑えきれずに溢れ出し、周囲の空間を重く包み込む。

 過ぎ去った日々の幻影が、今も心に深く刻まれ、どこまでも切ない余韻を引きずっている。




◇◇◇


 十年前――。

 

 北方えりは、複雑な思いを持って、異世界に転生した。


 この世界で最初に受けた説明は、異世界転生の意義。

 なぜ、中沢煌のようなクズを転生させるのか?

 そして、なぜ彼らに再びやり直す機会を与えるのか?

 

 それは、クズ共に新たな生きる意味を見つけさせ、彼らが誠心誠意で生きる気力を持つように導くための試みだった。

 彼らが心から変わり、人生を前向きに歩むための心意気を引き出すことが、その根底にある目的だと端的に説明された。


 しかし、その説明だけでは何かが腑に落ちないと彼女は考えた。

 善人にはなぜ再び生きる機会が与えられないのか?

 なぜ、選ばれるべきは悪人だけなのか?

 善良な人々こそが再生のチャンスを得るべきではないのか?

 その答えは、すぐに何者かによって答えられた。

 

 それは、人生を前向きに生き始め、全てを手に入れたと思ったその瞬間に、突然どん底の深淵を突きつけるためだった。

 高い場所から転げ落ちるほど、その痛みは深く鋭くなるように、彼らには一層の苦しみを経験させる。

 それがこの異世界転生の意義なのだと。



 そして、北方えりに与えられた役目とは、それを全面的にサポートすることだった。

 十年後、その対象が彼女の最も愛した人になるとは知らずに。

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