第十三話 『感情に呑まれるな』


 ベルタに決闘を申し込まれたとき、俺はその提案を軽く受け流した。

 毒蛇に噛まれて助けを求めるような相手が、俺に対してどれほどの力を示せるというのだろう?

 彼女が引きずる大剣の重さが、戦士としての限界を物語っているように見えた。


 だが、その油断こそが、俺の致命的な過ちだった。


ユリシアの「開始!」の声が響くやいなや、突如として強烈な風が吹き荒れ、砂漠の砂が舞い上がった。

 瞬時に視界を奪われ、俺は思わず身を固めた。

 そして、砂嵐が過ぎ去ると同時に周囲を見渡すが、目の前にいたはずのベルタの姿は消えていたのだ


そのとき、頭上から冷静な声が降ってきた。


「頭上注意してくださ〜い」


 反射的に詠唱を唱え、アーマードゴーレムの姿へと変身する。

 だが、変身が間に合ったところで、全てが遅かった。

 ベルタの一撃が、重装甲を一瞬にして粉砕する。

 俺の背中を激痛が走り、地面に叩きつけられるようにして倒れた。


「ユリシア」

「はい」


 その声が耳元で響く頃、俺の体はまるで鉛のように動かなくなっていた。

 ユリシアの「ヒール」の治癒魔法がかかると、じわじわと痛みが和らいでいく感覚があり、ようやく息をつくことができた。

 膝をついて座り込んだ俺の前に、ベルタが冷たい目で立っていた。


「あなた、全くダメね。このままだとロックス迷宮、二階層で死ぬわよ」


 その一言が、胸の奥に炎を灯した。

 苛立ちが一気に募り、心が煮えたぎるようだった。

 俺のこれまでの努力が、こんな言葉で片付けられるのか?

 俺は二年もの間、鍛錬を積んできた。

 血を流し、汗を流し、必死でここまで来たんだ。

 それなのに、ただ砂を浴びせて、たまたま運が良かっただけで俺を貶めるとは、許せる話ではなかった。


 ニレニアの宿へ戻る道すがら、怒りは増幅するばかりだった。

 ベルタの言葉が頭の中で何度も反響し、そのたびに怒りの刃が研がれていく。

 後悔が心の奥底に沈んでいく中、俺はひとつの結論に至った。


「こんなやつに負けたわけがない……」


 ふいに、ベルタの小さな背中が目に入った。

 無防備な姿が俺の怒りをさらに煽る。

 感情が頂点に達した俺は、瞬時に駆け寄り、その背後から襲いかかる決意を決めた。


 だが、その一瞬の判断は誤りだった。

 狙いを定めて頭を打とうとしたが、ベルタは驚くほど素早く頭を避け、まるでそれを予測していたかのようにすんなりと身をかわしたのだ。

 

 そして、彼女は振り向かず、前を向いたまま冷静な声で告げた。


「ほらね。

だからダメなのよ。

感情に振り回されている限り、あなたは何も掴めないわ」


 その言葉は、剣よりも鋭く胸に突き刺さり、俺の中に残されたわずかな誇りさえも打ち砕いていった。


◇◇◇


 宿舎に戻る道すがら、俺はユリシアと黙々と歩いた。

 心の中では、ベルタの冷たい言葉が繰り返し響き渡っていた。

 悔しさが込み上げてきたが、それは単なる自分の弱さを嘆くものではなかった。

 自分の全てを見透かされたような気がした。

 無力だと感じた。

 このままではいけないと心身ともに危険信号を出していた。


 これまでの人生で積み重ねてきたものが、根底から崩れるような感覚を抱きながら、ただただ沈黙していた。

 

「大丈夫ですよ、ルークは十分強いです」

「……ありがとう」

 

 ユリシアに慰められた。

 感謝の言葉を口にするのが精一杯で、心の中のもやもやは晴れなかった。

 今かけて欲しかったのはそんな言葉じゃなかった。

 

「ごめん、ユリシア……先に宿に戻ってて」


 言葉を絞り出し、ユリシアを先に帰らせた。

 薄暗い街灯に照らされた道を、ひとりぼっちで歩かせることの無責任を考える間もなかった。

 彼女が黙ってうなずき、先に歩いてく姿を目にすると、孤独が一層深まった。

 今の俺には、慰めの言葉よりも一人の時間が必要だった。


 酒場に入ると、酒を手に取る。

 長い間の喉越しが気になり、飲み慣れない味に苦しんだ。

 ルクセリオの年齢のせいなのか、それともこの世界の酒が口に合わないのか、どちらにせよ、心の中の渇きを癒すには程遠い味だった。


 ふと視線を感じた。

 隣の席に現れたのは、ベルタだった。


「やっぱり、いた」


 その声には、期待とも冷ややかさとも取れる複雑な感情がこもっていた。

 心の中の迷いが再び揺れ動き、俺の心は静かな嵐に包まれた。


「さっきはすみませんでした。でも、今は話したい気分じゃないです」

「いいよ、想定済みだったから」


 その言葉を受けて、またしても自分がすべてを見透かされているような気がした。

 しかし、今はもはや悔しささえも感じられない。


「ルークはさ、これまでの人生が順調すぎたんじゃないかな?」

「え?」

「やっぱ、そうでしょ? 人生なんて飽き飽きだって顔に書いてあるもん」


 彼女の言葉に、驚きと疑問が混じった。

 なぜ彼女がそんなことを理解しているのかが不思議で堪らなかった。

 確かに、こっちの世界に来てからも、壁にぶち当たることなんて大してなかった。

 壁という壁にぶち当たった記憶が無かった。


「……ど、どうしてそんなことがわかるんですか?」

「なんとなくね」

「はーー……?」

「今日の君を見て、一つ伝えたかったことがあるの」


 彼女は冷静に続けた。

 

 「人生が順調に進んでいる人ほど、壁にぶち当たると感情に振り回されやすい。

そして、その感情が暴走すると、周りの大切な人たちも巻き込んじゃうんだよ」


 まさに、彼女の言う通りだった。

 確かに、少しでも上手くいかないと、感情的になりがちだった。

 でも、それは今に始まったことではない。

 あの時、SNSで炎上しかけた時もそうだ。

 俺は結局、批判してきたアイツらのせいにした。

 アホな奴らの意見なんて聞いてられないと言って。

 

 今思えば、俺には壁が存在したのだ。

 ぶち破っていくはずのいくつもの壁が。

 だが、俺はそれにぶち当たるどころか、そこから逃げていくばかりだった。

 そのことを「順調な人生」と名付けて満足していただけの愚か者に過ぎなかったのだ。

 そう思えば、なんだか不思議と冷静になれた。

 

「あのさ、イシアって知ってるでしょ?」

「イシア? ユリシアの母親の?」

「そうそう、今は冷静で立派な子だけど、昔は感情だけで動く化け物だったんだから〜」

「そ、そうなんですか?」


 あの冷静沈着で俺にとっては憧れな存在のイシアが、かつては感情だけで突っ走っていたなんて信じ難い。

 

 「感情的になりすぎて、それは弱くて弱くて。

取り柄なんて、あの大きなバストくらいだったのよ」

「……ウッヒョー!!」


 不覚にも鼻から血を垂らしてしまった。

 これで二度目だ。

 しかも、イシアに対して。

 なんというリスペクトの無さだ。

 全く困ったものだぜ、俺。

 

 ……溜め息をついたものの、ベルタはこの会話全てを見透かすようにして、俺に微笑を浮かべ、穏やかな声でこう言った。

 

「時間もあるみたいですし、明日から訓練でもしようかね?」


 もちろんだ。

 アルフといい、イシアといい。

 そして、今度はベルタだ。

 この世界に来てからは良い大人に揉まれている。



 

「はい! お姉さまぁぁ!!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る