第3話 非常識な存在に常識を説かれる

 どうしよう。佐藤さんがこのまま起きなかったら、と考えた私の背中に冷たいものが走る。ついバッハを責める様な口調になってしまった。


「どうするの!? 変質者と間違えて気絶させちゃうなんて!!」


 ところがバッハは涼しい顔(をしてるかどうかはわからないけれど、そんな感じの声)で答える。


「だから、間違いじゃなくて変質者ですよ。優海さんやっぱり気づいてなかったんですね。この人、ずっと貴女をつけてきていたんですよ」

「……え?」

「貴女と出会った時から、ずっとこの人の気配が後ろにありました。ストーカーってやつですね。貴女がさっき叫んだから慌てて出てきたんでしょうけど、そうじゃなかったら家までコッソリついていくつもりだったんでしょう」

「いや、そんな」


 否定しながらも、さっきバッハに出会う前、住宅街に響く足音が二つに聞こえていた事を思い出す。私の背中に今度は別の寒いものがゾッと通った気がした。


「え、え、でも、何かの間違いじゃ。たまたま近所に住んでるとか」

「たまたま近所に住んでるなら、何故家に帰らず公園までついてくるんでしょう? 貴女の名前を呼んだってことは明らかに貴女と認識している訳ですよね。やましい事が無ければもっと早く声をかけている筈です」

「それは……」


 きわめて非常識な存在であるバッハにごくごく常識的な正論を言われぐうの音も出なくなった。そう。本当は私にもわかっている。バッハの言う事を……自分がストーカーに付きまとわれてるなんて事を信じたくないから反論していると。

 だけど。やっぱり信じたくはないでしょう? だって佐藤さんって職場では目立たない、ホントに普通の人だったんだもの。こんな事をしているなんて思えない。


「もう。意外と優海さんって優柔不断なんですね。じゃあ証拠を探しましょう」


 バッハはそういうと再びシュルルと毛を伸ばした。その一房が倒れている佐藤さんのポケットに入り込み、出てきた時には彼のスマホを器用に掴んでいる。


「えーっと、指紋認証があればいいんですけど」


 そういってスマホを佐藤さんの指にあてがった。


「あ、ロック解除されたんじゃないですか? 見てくださいよ」


 バッハはわたしの目の前でスマホを操作して見せる。髪の毛の束ってスマホ操作できるんだ……。と、どうでもいいことを現実逃避のように考えていた私の目に画像フォルダ内の写真が飛び込んできた。


 私、私、私……。

 フォルダの中は私の写真で埋め尽くされている。それも、どの画像も目線はこっちを向いていない。つまり隠し撮り、盗撮って事だ。私の背筋は今度こそ、気のせいでなくばっちり冷たくなった。


「い、嫌あッ……」

「ね? やっぱりストーカーですよ」

「そのくらいにしてやれ、毛羽毛現けうけげんの。そのおなご、怯えているぞ」


 バッハとはまた違う、三味線のような甲高い女性の声が夜の公園に響く。

 振り向くと誰もいない。……いや、一匹の大きな三毛猫がいる。暗い中でも目立つほど美しい毛並みと黄緑の瞳。天を指す尾が二本に分かれてゆらゆらと揺れて……ええっと、猫又ってやつ!?


「あっ、ミケさんじゃないですか! なんでこんなところに?」

「なんでも何も。この公園はワシの縄張りさね。大体、お前の身体をここに隠してやったのは誰だと思っている?」

「えっ? ああ、なんでこの茂みにあるのかと思ったら!」

「あんな図体が道の真ん中で寝転がってたら騒ぎになるだろう? ここまで引っ張ってきてやったんだぞ。ああ、肩がこったわ」


 ミケさんはそう言いながら右前足で肩のあたりをつるりと撫でる。

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