第2話 同時に「えっ」という言葉が出て

「じゃあ行きましょう。多分あっちの方向です」


 私の困惑をよそに、バッハの髪の毛の一本がピーンと方角を指す。私は手にバッハを乗せたまま、そちらに歩きだした。

 しかし「ボクの身体を知りませんか」ってどういう事なんだろう。冷静に考えると意味不明だし怖い。

 モヤモヤしたままバッハの指示に従って少し行くと、ちょっと大きめの公園に出た。


「あ、あの……私この辺で帰っても?」


 やはり女の身で夜の真っ暗な公園に入るのは怖い。しかしバッハはすがるような情けない声を出す。


「お願いです! もう少しで身体に会えそうなんです!」

「で、でも夜の公園って物騒だし、変質者とかもいそうだし」

「……? 変質者、ですか……」


 バッハは何故か含みのあるような言い方をした。あれ、もしかして私、バッハに誤解を与えるようなことを言った?


「いや、あなたがそうと言う訳じ「大丈夫です! いざとなったらボクが守りますから」

「えっ」

「えっ」

「「……」」


 互いの言葉の意外性に同時に「えっ」という言葉が出て同時に私たちは押し黙る。


「優海さん、今、何か言いかけましたか……?」

「う、ううん、なんでもない! それより、バッハこそ何て言ったの?」

「変質者から貴女を守りますと言ったんですよ! あ、もしかして疑ってますか?」


 いやいやいや、疑うもなにも。移動するのもやっとなヅラ生物がどうやって私の身を守るのか。


「ううーん……」


 でも何となく、ここでバッハを見捨てて帰るのも気持ち悪い。親切心からというよりも……彼を見捨てたら祟られるというか、バチが当たりそうな気がするんだもの。


「あの、怪しい雰囲気とか、変な人とかいたら速攻で逃げて帰りますからね?」

「は、はい! ありがとうございます!」


 私は恐る恐る公園に入る。やっぱり怖い。

 この怖い、という感情は青みがかった黒い闇と、針を落としてもわかりそうなほど静まり返った環境と、黒々とそびえ立つ公園の木々が今にも動き出しそうな雰囲気から私が感じたもので、不思議と手の上に存在する謎の生物にはもうそんなものは湧かなかった。


 何故だろう。生暖かいから? 可愛い声だから? 口調だけは矢鱈と丁寧だから?

 頭の中でそんな疑問をくるくると回しながら、バッハが「こっちです」と指し示す方向に進んでいく。そのまま、茂みに沿ってくるりとカーブした道を曲がった瞬間に足が見えた。

 そう、足。茂みの隙間から靴を履いた人間の足首が一揃いでにょきっと生えている。


「ひっ、きゃああああ!!」


 叫ぶ私に、バッハが冷静に声をかけてくる。


「優海さん、落ち着いて。これがボクの身体ですよ」

「か、身体? だってこれ……どう見ても」


 どう見ても人間の足だ。マネキンとか人形じゃない。これが身体って……バッハはホントにヅラってこと!?


「うーん、言い方が悪かったですかね。でも身体としか言えないんですよ」


 と、突如後ろから男性の大声がした。


「篠原さん!!」


 私が振り向いて声の主を確認するよりも早く、手の上のバッハが動く。シュルルッ! という音を立ててバッハの毛が何本も長く伸び、声を出した人物めがけて飛んで行くと幾重にも絡み付いた。


「うわっ!! な……ぐぅっ!」


 あっという間に声の主は毛でぐるぐる巻きにされて黒い人型になり、最早誰だか判別できない。ギリギリと締め上げたのか、それとも窒息したのか、すぐに人型は膝をつきバタリと倒れてしまった。


「ちょ、バッハ、何やってるの!?」

「何って。約束したでしょう? 貴女を変質者から守って差し上げたんですよ」

「えええ!? でも、だって、今私の名前を……」

「変質者が知り合いでないなんて誰が言ったんです?」


 そう言いながらバッハは絡み付けていた毛を一斉に引き上げる。倒れた人物の顔があらわになり、私はその人を公園の灯りの下で確認して驚いた。


「あっ、佐藤さん……?」


 その正体は同僚の男性、佐藤さんだった。ヤバい。本当に知り合いじゃないの!


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