第26話 自由

「少し、気になることがあるのだが」


「何でしょうか?」

 ちらりと彼を見上げると、月光を浴びた彼の顔は本物の彫像のように濃い影を落としている。


「高熱を出している時、お前が寝言で『隠れて暮らすのはもう嫌だ』と言っていた。それは、どういう意味なのだ?」


 リンネアはその問いに驚き、一瞬言葉を失った。彼にそのようなことを聞かれるとは思っていなかったから。


 ――寝言までは知りません!

 焦りを感じながらも、彼の視線が真剣であることに気づき、嘘を言っても無駄だと思った。


「悪いことはしていません」

 リンネアは言葉を選びながら答えた。


「でも、存在を知られてはいけないと、一族の掟があって……」


「一族の掟?」

 ラーシュに問い返される。


「も、もしかしたらご先祖様が何かやらかしたのかもしれませんねえ。私には関係のないことですけど」

 ごまかすように笑ってみたが、ラーシュはつられて笑うような性格ではなかった。


「ですが、一族の生き残りは私だけだから、村から出て自由に、自分の好きなことをして生きていこうって思ってここまできたんです。だから、私――」


「俺はお前を絶対に妃にする」

 皇妃にならないと言おうとしたのに、先手を打たれてぐっと言葉を呑む。


「聖剣を元に戻せたら儀式をやり直してくれるって言ったじゃないですか」


「そのままでもいい。聖剣がなくとも、竜など、我が軍の力で掃討してやる」

 無茶苦茶である。


 リンネアは困り果ててぬいぐるみに目を落とした。


「私は誰にも縛られずに自由に生きたいんです」

 その言葉を口にするたびに、リンネアの胸に重くのしかかる感情が押し寄せた。自由を求めて皇都に来た、けれど今はその自由がどんなものなのか揺らいできている。


 子孫に同じ思いをさせないためにも、自分の代で魔女の血を絶やさなくてはならない。


 結婚も恋愛も、自分を縛りつけるようなものには興味がない――そう思っていたのに。


 期間限定の婚約者に選ばれて、恐ろしいと思っていた皇帝が実は優しい一面を持っていて、気遣いのできる使用人たちがいて、気さくな皇女と交流できて、案外ここでの暮らしが楽しいと思ってしまっている自分が、こわい。


 一人でいることが当たり前なのに、誰かの温もりを知ってしまったら――。


「ここにいても、誰もお前を縛りつけたりしない」


「でも、皇妃になるってことは……」


「お前がそう望むのは自由な選択だと思うのだが」


「え……?」

 リンネアは目を丸くした。その青い瞳には綺羅星が映っている。


「妃になりたいと思うのも、なりたくないと思うのもリンネアの自由……だが、最後には頷いてもらうぞ」

 ラーシュのまなざしが鋭くなって、リンネアは身震いした。


「寒いのか? あのショールは持ってこなかった……ようだな」

 ラーシュはそう言って自分の上着を脱ぎ、リンネアの肩にかける。


 少し寒かったが、暖を取りたいと思うほどではない。震えたのはあなたのせいだと心の中で突っ込んだが、彼の体温の残る上着に包まれたら何も言い返せなくなった。


 ――これ、建国祭の時と同じ……。

 華やかな花の香りに混じって深みのあるシダーウッドの洗練された香りは、あの夜、転びそうになったところを抱き留めてくれた時に感じたものと同じだった。


 ――なんか、まるでずっと抱きしめられているみたいな気分。

 そう感じたら、みるみる体が熱くなっていく。もう上着なんていらないくらいだ。


 ――陛下はすごいわ。期間限定の婚約なのに、まるで本当に大切な人を想うような言動を、演技とは思わせないくらい自然にやってのけるんだもの。


「そう……ですね。やっぱり寒いから部屋に戻りましょう!」

 誰かの温もりに慣れてはいけない。


「これ、ありがとうございました!」

 急いで上着を返すと、リンネアは立ち上がった。


「リンネア!」

 ラーシュも立ち上がったので、彼女は彼から逃げるように駆けだした。


「暗さに目が慣れたので、一人でも大丈夫です!」

 実際、森の中で生活していたリンネアは夜目が効く。あっという間に扉までたどり着いて、階段を下りていった。


 ――早くここから出ていかなきゃ。

 ここを出れば自由になれるのに、そのことを考えると胸が苦しいのはなぜ?


 ――魔女じゃなかったら、もっと普通の生活ができたのかな。

 目頭が熱くなって、鼻の奥がつんと痛くなる。


「リンネア様!」

 部屋に戻ってくると、エリダが切羽詰まった表情で声をかけてきた。


「どうしたの?」

 潤んだ目元を慌てて袖で拭って尋ねる。


「さきほど一通の書簡を持ってきた者がいたそうで、リンネア様にと」


「こんな夜に? 誰が?」


「ファルクス村の者だそうです。一刻を争うとこのことで。詳しくは中をお読みください」

 書簡はすでに開封されていた。不審なものが届かないか厳重にチェックされるのだろう。


 リンネアは、手紙を受け取って記された文章を目で追った。


「……原因不明の病が村を襲って、薬が足りないですって!? 高熱、咳、全身に発疹、子供は衰弱……大変だわ!」

 医者の薬も効かず、唯一リンネアが調合した薬が効くようなので、至急戻って薬を作ってほしいと書かれていた。


「すぐに行かなくちゃ」


「いけません。こんな夜に出歩くなんて危険ですわ」


「でも……」

 こうしている間にも村の人たちが苦しんでいる。


 ――私が村を出たりしなければこんなことにはならなかった。

 両足が震えだし、顔から血の気が引いた。


「リンネア。どうかしたのか?」

 後ろから飛んできた冷静な声にハッとして振り返る。


「陛下……私、今すぐ村に戻らないと……」

 リンネアは書簡を彼に手渡し、事情を説明した。


「わかった。俺の直属の衛士を護衛につけてやろう。ただし……」

 ラーシュの瞳の奥がきらりと冷たく光る。


「必ず戻ることだ。わかったな」


「は、はい」

 数日ぶりに猛吹雪オーラを浴びて、リンネアはびしっと背筋を伸ばすと頷いた。


 おかげで目に見えない不安が吹き飛んで、かえって頭の中がすっきりした。


 ――焦っても仕方ない。

 薬は村に戻って森の中でハーブや薬草を調達すればいい。


「いってきます」

 そう言ってリンネアは、鞄に残っていた薬をたしかめ、護衛付きの馬車で夜の宮殿を出発した。



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