第25話 デートのお誘い


「それで最後まで二人きりにできなかったって?」

 アスゲイルは、日中のお茶会の一部始終をユーリアから聞いて、自室のソファに座ったまま腹を抱えて笑い出した。


「ラーシュお兄様が不器用すぎるのですわ」

 ユーリアは、悔しそうに顔を真っ赤にし、ぷんと頬を膨らませる。


「だから、余計なことはしない方がいいと言っただろう」

 目尻に溜まった涙を指で拭いながら、彼は隣に座るかわいい妹の頭を撫でた。


「でも、アスゲイルお兄様が提案した贈り物作戦は成功していたようです」


「そうか。贈り物の内容までは進言しなかったが、真剣に選んだものがリンネア嬢の心に届いたのだろうな」


「ラーシュお兄様は、リンネアお義姉様のお気持ちが変わって妃になると言ってくれたと話しておりましたけど、ご本人はそうではないようなことをおっしゃっておりましたわ」


 ユーリアは、リンネアがあくまでも聖剣を元の姿に戻すまでの間だけ婚約者でいるという認識のようだと話した。ただしラーシュを嫌っているわけではないことも。


「だから、もう一押しが必要なの。贈り物作戦の他にいい考えはありませんか?」


「そうだなあ……リンネア嬢は星を見るのが好きと言っていたのなら、空中庭園に誘ってみるのはどうかな?」


「宮殿の屋上にある庭園に? つまりデートということね!」

 ユーリアの目がキラキラと輝く。


「ああ。静かで雰囲気もいいし、あそこで俺が口説いて落ちなかった女は一人もいなかった。キスの一つや二つ造作もないだろう」

 ふふんとアスゲイルは胸を張って答える。


「まあ……最低ですが、最高の提案ですわ」

 ユーリアは女慣れした次兄に軽蔑のまなざしを送りながらも、それなら二人の仲も進展するかもしれないと期待した。


「今日は空も綺麗そうだし、早速、兄上に勧めてこよう」

 アスゲイルはそう言って、うきうきとした足取りで部屋を出ていったのだった。



          ※



 その夜、夕食を済ませたリンネアは自室で一人、静かに過ごしていた。

「はあ……クリーミーな野菜のテリーヌとカリカリのトースト、明日も出るかしら。鴨のローストも、柔らかくてワインのソースがよく絡んでいておいしかったわ。昼間のお茶会のお菓子もどれも可愛くて食べるのがもったいなかったし……」

 満たされたお腹を撫でながら、彼女はハッと我に返る。


「こんな生活に慣れちゃだめよ、私!」

 聖剣を元の姿に戻したら、ここを出て一人で生きていくのだから。自由だけど贅沢はできない。


「一人で……自由に……」

 ぽつりとつぶやくと、胸に一抹の風が吹き抜けた。


 そんな時、突然、扉が軽くノックされる。


「は、はいっ」

 エリダが湯あみの準備をしに来たのかと思ったが、扉を開けに行くと、そこにはラーシュが立っていた。


「今から、少し外に出ないか?」

 彼の表情は昼と変わらず無表情で、何を考えているのかを読み取ることは難しい。


 ――二人きりで?

 リンネアは一瞬戸惑った。


 まさか、誰も見ていないところで粛清されるのではという恐怖に駆られ、ぞっとする。

 しかしラーシュの感情はわからないが、少なくとも殺気は感じられなかったのでおとなしく彼に従うことにした。


「はい、少しお待ちください」

 外は寒そうなのでショールを羽織ろうかとソファに戻ったが、またおかしな誤解をされかねないので、代わりにそばにあった深紅の焔獣を胸に抱いて彼の下へ戻ってくる。


 ――ぬいぐるみもあったかいわ。

 部屋を出ると、ラーシュが歩き出したので素直についていった。どうやら階段を上がっていくようである。


 ――あれ、外に行くんじゃないの?

 上階は王族の居住区ということで、王族の招待した者や特別な使用人しか立ち入れないとエリダに聞いていたから、どんな場所なのかは知らない。


 やがて、ラーシュが階段の突き当りの扉を押し開くと、涼しい夜風がリンネアの頬を撫でていった。


「ここは……」

 リンネアは息を呑んだ。


 そこには、広大な夜空が広がり、無数の星々が瞬いていた。ぽっかりと暗闇に口を開けているのは丸い光、満月だ。


 宮殿の最上階らしいここには、手入れの行き届いた美しい庭園が広がっていた。


「星を見るのが好きだと言っていたから」

 ラーシュがこちらを振り返り、手を差し出してきた。


「少し段差がある。暗いから気をつけろ」

 たしかにここには星と月以外の光がない。慎重に彼の掌に手を重ねると、きゅっと握り込まれた。その温かさに胸がどきんと跳ねる。


 ――冷血、冷血。

 リンネアは心の中で呪文のように繰り返しながら、彼に手を引かれて、石造りのベンチに腰かけた。


 ――わざわざ星を見せてくれるためにここまで……。

 彼が自分の小さな言葉を覚えていてくれたことに驚き、胸に温かいものが広がるが、それは同時に痛みに変わった。


 いくら優しくされてもそれは期間限定の偽りの感情だと思うと、素直に喜ぶのは滑稽だ。


 ――秘密を守りながら生きていくには、一人が一番なの。

 リンネアは迷いを振り払うように、そっとラーシュの手を離し、夜空を見上げた。


 銀砂を撒いたような美しい光景がどこまでも続いている。月の光が冴え冴えと降り注ぎ、体の中にヴィタルが満ちてくるのを感じた。浴びすぎてもいけないと祖母に教わっている。過剰なヴィタルは制御不能の魔力となって溢れだし、大惨事を引き起こすことがあると。


 二人はしばらく無言で星空を見上げていた。静かな夜風が庭園を包み、花の香りが漂ってくる。


 その沈黙を破ったのはラーシュだった。

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