第20話 看病(ラーシュ視点)

 呼びかけても反応がないので、彼女を横抱きにかかえ直し、すぐさま宮殿内に引き返す。

 体温が異常なほど低すぎるが、かろうじて息はしているようだ。


 廊下を急ぎ足で進みながら、彼は侍従に強く命じた。


「侍女を呼べ、リンネアの着替えを頼む。それから侍医をすぐに呼んできてくれ」

 その声にはいつも以上に冷静さと鋭さがあり、周囲の者たちに緊張が走る。ラーシュの腕の中でぐったりしているリンネアの姿に、侍従たちはすぐに行動を移した。


 リンネアの部屋に着くと、すでに連絡を受けた侍女たちが到着している。彼女を主寝室に連れて行こうとしたら侍女に止められた。


「陛下、そちらではありません。リンネア様はこちらのベッドをご使用になっております」


 てっきり、ラーシュの部屋と将来の皇妃の部屋の中間にある広いベッドを使い、悠々と一人で眠っているかと思ったのだが、彼女は皇妃専用のこじんまりとした寝室を利用しているらしい。


「そうか。まずはこの濡れた服を着替えさせてくれ。今、侍医が来る」

 ラーシュはそっとリンネアをベッドに横たえた。彼女の顔は青白く、胸がぎゅっと苦しくなった。


「リンネア……」

 名前を呼んでみたが、返答はない。


 着替えが終わるまで寝室の外で待ち、侍医の診察が始まるとそばで見守った。


「これから熱が上がってくると思われます。薬を飲めば一時的に落ち着くと思いますが、油断は禁物です。丸一日ですっかり下がれば安心ですが、意識が戻らなければかなり危険かと。では何かありましたらお申しつけください」


「意識のない者にどうやって薬を飲ませる?」


「薬を少量の水に溶かして、水差しで飲ませてみてください」

 侍医に言われ、試しに彼女の背中を起こして侍女に水差しを口端にもっていってもらったが、リンネアは飲み込む動作もなく、ただ胸元に薬が零れていくだけ。


「これでは熱が下がらない!」


「では、リンネア様がご自身でお飲みになれるよう、目覚める時を待つしかありません」

 侍医はびくりと肩を震わせ、申し訳なさそうに頭を下げる。


 ラーシュはため息をついた。


「すまない、言い過ぎた。何かあればまた呼ぶ。下がっていい」

 これではただの八つ当たりだ。


 侍女たちも下がらせ、ラーシュはベッドの傍らにある椅子に腰かけて、リンネアの頬をそっと撫でた。


 たしかにさきほどよりも熱くなっている。だが、手足は氷のように冷たいまま。


「何もしてやれないのか……」

 目線が枕もとにいるぬいぐるみに移る。


「聖剣の加護がなぜリンネアには効かない?」

 ラーシュや周囲にいる人々を助けた聖剣が、リンネアには効果がないというのはどういうことなのだろう。


「あの力は聖剣によるものではないのか?」

 リンネアはなぜここまで自分たちを助けてくれたのだろう。


 ――陛下の花を守りたくて。

 自身の体調を顧みずに、誇らしげに笑ったリンネアの笑顔が胸に痛い。


 おそらく建国祭で光を降らせたのも彼女の仕業で、落下するシャンデリアを誰もいない場所へ移したのも、リンネアが何かしたに違いない。


 どういう仕掛けなのかは知らないが、すべてはラーシュの為にしたこと。


「リンネア」

 ラーシュは彼女の冷たく細い手を握りしめた。


「そんなに俺のことが好きだったとは、気づかなかった……」

 真剣に瞳を潤ませ、両手で包み込んだ彼女の指先を額に当てる。


 命を懸けてでもラーシュの大切なものを守ろうとするなど、深い愛がなければできないことだ。今までの皇妃候補とは違う。それならば全力を賭してその愛に応えなければ。


 キリリと思い詰めたような表情で、リンネアの背中に手を差し入れて彼女を抱き起こすと、水差しに残っている薬の溶けた水を少量口に含んで、リンネアの唇に合わせた。


 ほとんど零れてしまったが、わずかに彼女が口を開き、喉がこくんと動いたのを確かめる。


「絶対に助けてやる」

 先ほどよりも量を減らして同じように薬を飲ませると、今度は零さずに飲み込んだ。それを数回繰り返すと、やがてリンネアの体全体が熱くなってきた。


「ずっとそばにいてやりたいが、公務もおろそかにできないからな」

 ラーシュは名残惜しそうにリンネアの額に乗せた濡れたタオルを交換しながら、日中の看病を侍女たちに任せた。


 時間が経ち、薬の効果が切れると再びリンネアの体が冷たくなり、ガタガタと震えだす。その度に同じようにして薬を飲ませた。


 だが夜になっても、彼女の意識は戻らないまま。


「今夜、意識が戻らなければ厳しい……」

 ラーシュは椅子に腰かけて呟きながら首を横に振った。


「初めて俺に好意を抱いてくれた娘を絶対に死なせはしない」

 薬を飲ませても、震えが続き、リンネアは苦しそうに浅く速い呼吸を繰り返している。


 その唇が何か言葉を発したような気がして、ラーシュは顔を寄せた。


「隠れ……暮らす……も……嫌なの……」

 途切れ途切れの声は聞き取りにくかったが、たしかに彼女は隠れて暮らすのはもう嫌だと言ったように聞こえた。


 ――今までリンネアは隠れて暮らしてきたのか?

 たしかファルクス村に住んでいたと言っていた気がする。


 なぜ隠れる必要があったのか、なぜ皇都へやってきたのか。


 思えば、彼女のことを何も知らない。


 再び、リンネアが呻き、ぎゅっと爪を立てて手を握り込んだのでハッと我に返る。


「頑張るんだ、リンネア」

 ラーシュはそっとベッドに上がると、シーツの上からリンネアの体を抱き締めた。


 ――もう一度、笑ってみせてくれ。


 どこにも行かないでほしい。


 腕に力を籠めると、少しずつリンネアの震えが落ち着いてきた。と同時に彼女の体が熱を帯び始める。その熱を感じながらラーシュはそのまま眠りに落ちてしまった。

 

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