第19話 嵐の翌日(ラーシュ視点)
一日の公務が終わり、夜の支度を済ませて寝室に向かったラーシュは、扉を閉めてベッドに腰かける。
深い青色の絨毯が敷かれ、豪華なシャンデリアは柔らかな灯火が室内を淡く照らしている。かすかな光の粒を天井から床にかけて静かに落とすのを見て、ふと、建国祭の夜の光を思い出した。
不思議な光だった。あんなものは生まれて初めて見た。
「聖剣の加護……」
誰もがあの素晴らしい光景に驚き、目を奪われていた、リンネア以外は。
振り返ったラーシュに向かって笑ってみせた彼女は、まるでああなることがわかっていたような落ち着き方だった。
今日も、宮殿内の使用人たちが困っているとさっとやってきて、あっという間に解決したという。
「よくわからない娘だ……」
他の人間たちのようにラーシュに対して怯えた顔を見せたかと思うと、普通の友人のように立場も考えずに本音でぶつかってくる。
皇妃選定の儀は、たまたま列に並んだだけで、妃になるのは嫌だという。自分が不愛想で無駄な会話をしないから、冷血だと貴族令嬢から敬遠されていることは知っている(昔、母親が招いた皇妃候補の女性たちとの茶会で、なんとか候補から外させてくれと令嬢たちが懇願しているのを扉越しに耳に入れてしまった)。
それを知らないのは近くで関わったことのない平民の女性たち。彼女たちは皇妃という立場とラーシュの見た目だけに夢を見て皇妃選定の儀に臨みに来る。
リンネアの場合はラーシュが嫌だというより、自由がないことが嫌だと言っていた。たしかに皇妃――皇后ともなればその責任は重くなる。
「そろそろ休むか……」
聖剣を元の姿に戻せば婚約期間も終わりだ。考えるだけ不毛というものである。
頭の中からリンネアのころころと変わる表情を追い払いながら、彼は横になった。
窓がガタガタと激しくなっている。風の音に紛れて大粒の雨が叩きつける音もする。
「今年も嵐がやってきたか」
花散らしの嵐は毎年のことだ。ラーシュが祖母と育てた花は、本来ならもっと早い時期に咲くので今の時期の雨風で気にしたことはない。
だが、今年はちょうど今頃綺麗に開いた。せっかく咲いたばかりなのにもう散るのか。自然の摂理は時に残酷だ。
どうすることもできないと思いながら、彼はベッドから起き上がり、カーテンを捲ってみた。
「あれは……?」
ちょうどラーシュの花がある辺りに、小さな光が灯っているように見えた。だが打ちつける雨のせいで目を凝らしてもはっきりとは見えない。何かが反射してそう見えただけかもしれなかった。
どちらにしても確かめるなら明るくならないといけないだろう。
ラーシュはそう思い、ベッドに戻って静かに眠りについた。
翌朝、早くに目が覚めたのは花のことと昨夜の光が気になったからだ。
カーテンを開けた彼は、花のある辺りにしゃがんでいる黒髪の女性の背中を見つけ、ハッとした。
宮殿内に長い黒髪をもつ者は、いまのところリンネアしかいない。彼女は昨日庭にも姿を見せたというから、何か気になって外へ出たのかもしれない。
ラーシュは手早く室内着に着替える。礼装に比べれば簡易のものだが素材は一級品だ。
急いで部屋を後にし、廊下を進んでいく。普段は静寂が支配する早朝の宮殿も、彼の心の中は嵐のように急き立てられていた。
中庭に出ると、雨上がりのひやりとした空気が頬に冷たく触れる。
泥と砂利で汚れた石畳の上を進んでいくと、明るみ始めた朝日が照らす庭園に、リンネアの丸まった背中があった。
自分と同じように朝早くに目が覚めてやってきたのだと思っていたが、彼女の後ろ姿を見て目を見開く。
頭の先からずぶ濡れで、水を吸ったナイトガウンは裾が泥まみれだ。
「リンネア?」
呼びかければ彼女はハッとこちらを向いた。
「へ、陛下……? こんな朝早くにどうして……」
リンネアは震える瞼をぱちぱちと懸命に動かしている。
「それはこちらの台詞だ。というより、なぜそんなにずぶ濡れなんだ?」
「陛下の花を守りたくて……」
リンネアは色のない顔で、にこりと笑った。
「申し訳ありませんが、聖剣は元の姿に戻りませんでした。処刑される前に、みんなの役に立とうと思って……」
謝ろうとしたのか、彼女は頭を下げ、そのまま地面に倒れそうになる。
「リンネア!」
ラーシュは彼女が崩れ落ちる寸前のところで素早く彼女を抱き起こし、その冷たさにぎくりとする。重たく湿った服が彼の腕に染みこんできた。
「しっかりしろ、リンネア」
呼吸が浅い。花がどうとか言っていた気がして、ラーシュはちらりと花壇の方を見た。
そこに咲いていたのはラーシュが大切にしてきたもの。凛と真っ直ぐに茎をのばし、花びらの一枚一枚が生き生きと色づいていた。まるで陽光を浴びた後のようだ。
「どうなっている……?」
これも例の聖剣の加護か?
だが、ぬいぐるみはどこにもないようだ。リンネアはいつからここにいたのだろうか。
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