第18話 嵐の夜に
夕食の後、夜の支度を終えたリンネアは深夜になっても眠れなかった。両陛下が使うという寝室を使う気にはなれず、用意された部屋にあった一人用のベッド(それでもリンネアが今まで使っていたものの倍くらい大きい)に腰かけ、深紅の焔獣のぬいぐるみを両手で持ち、その愛くるしい顔を眺めていた。
「明日にはお別れね……」
今日一日やれるだけのことはしたが、聖剣に戻る気配はなさそうだ。
あと可能性があるとすれば、聖剣を抜いた人物が持ち主でなくなること――つまりこの世からいなくなれば、聖剣は新たな持ち主を選定するために元の姿に戻るかもしれない。
「自由になりたいなんて、掟を破ったから罰が当たったのかしら」
どうして他の人と同じように生きていけないのだろう。
魔力なんていらなかった。普通の生活を送りたかった。
大きなため息をついた時、窓ががたがたと大きな音を立てハッと振り返った。
「風……?」
立ちあがってカーテンを捲ると、窓は激しい雨風に打ちつけられていた。
「春の嵐ね」
毎年、この季節になるとひどい嵐がやってくるのだ。ただ一晩で通り過ぎるから家の中でじっとしていれば問題はない。
「あ……花」
カーテンを閉じかけてリンネアは手を止めた。今は真っ暗で何も見えないが、中庭にはラーシュが大切にしているというあの花があったはずだ。
一晩だけだし、大丈夫だろう。毎年咲いているのなら、これくらいの嵐でどうにかなるものではない。草花は案外逞しいものだ。
「でも、もし耐えられなかったら……」
リンネアの心配を煽るように強い風が窓を叩いた。
「様子を見に行くだけなら……」
彼女は意を決し、部屋を飛び出した。宮殿内は静まり返っていたが、ところどころに燭台が灯され、足元が見えないということはなかった。
大広間のそばに出入り口には鍵がかかっておらず、そこから外へ出てみる。
雨は冷たく、彼女の体を容赦なく濡らしていった。羽織っていたナイトガウンも着ていた寝衣もすぐに水を吸い込み、重くなる。しかし、リンネアは気にせず、庭の中心に向かって歩を進めた。
掌に魔力を込めると、ぼうっと光の玉が浮かび上がる。それを頼りに花を探す。
「あった。これは……ひどいわ」
打ちつける雨が土を削り、大きな水たまりを作っていた。風でべったりと地面に凪いだ花びらには茶色に汚れている。いくつか散ってしまったものもあるようだ。
様子を見に来て正解だった。これでは朝まで持たないだろう。
「静寂の盾よ、風を跳ね返せ。シグナトル・ノルディス!」
花々に近づいたリンネアは、しゃがんで息を整え、両手を広げて魔法を使い始めた。彼女の指先から放たれた微かな光が花々を包み、風雨を遮るように保護の魔法が展開されていく。
「せめて雨の勢いが弱まるまで、耐えて」
嵐との根比べだ。
普段ならこれくらいの規模なら長時間の魔力の放出はなんということはないが、今日は昼間に魔法を使い過ぎた。
「でも……もう死んじゃうなら全部なくなったっていい」
弱まりそうになるたびに魔法をかけ直す。その度に掌から魔力が抜けていくのがわかる。体の中にあるヴィタルの流れが細くなっていくのだ。
時間が経つのも忘れ、彼女は時々気が遠くなりかけながらも魔法を維持し続けた。
ようやく東の空が白んできた頃、雨は小降りになり、風は気づけば収まっていた。
リンネアの注いだヴィタルによって花は生気を取り戻し、しっかりと真っ直ぐに伸びて綺麗な花をつけている。
「よかった……」
ようやくリンネアは手から力を抜いて、部屋に戻ろうとした。
ところが雨に濡れ、冷え切った体で立ち上がろうとしても思うように足が動かない。なんだか視界がぼやけ、意識が遠のく中、彼女の耳に聞こえたのは誰かの足音だった。
「リンネア?」
呼びかけられて後ろを振り向けば、そこに立っていたのはラーシュだった。
「へ、陛下……? こんな朝早くにどうして……」
リンネアは震える瞼をぱちぱちと懸命に動かした。
「それはこちらの台詞だ。というより、なぜそんなにずぶ濡れなんだ?」
「陛下の花を守りたくて……」
リンネアはにこりと笑った。
「申し訳ありませんが、聖剣は元の姿に戻りませんでした。処刑される前に、みんなの役に立とうと思って……」
謝ろうと頭を下げたら、そのまま視界がぐるんと回って、唐突に意識が途切れた。
暗闇を漂っている間、誰かの腕の中で眠っている夢を見た。温かい大きな手。
――ああ、こうして誰かにぎゅっとしてもらうの、落ち着く……。
どれくらい眠っていたのか、ふと目を開けたら部屋の天井が視界に入ってきた。
どうやらまだ生きているらしい。
「なんか……重い……?」
体の上に何か乗っているようだ。それが誰かの腕であることにぎょっとし、ちらりと横を見たらラーシュの寝顔があって、思考が停止した。
「は? え? なんで?」
思い出そうとしたが、何も思い出せない。
自分は乾いた寝衣を着ているようだが、これは誰が着替えさせたのか。ラーシュはシャツにズボンというラフな格好だったが、靴は履いたままだ。
状況がまったく理解できない。
「なんだっけ……嵐が来て……」
そうだ。庭の花を守ろうとして魔法を使い続け、朝になって力尽きた。その時、ラーシュと会ったことは覚えている。
「リンネア……?」
ふとラーシュが目を開けた。長い睫毛に隠れたアメジストの瞳に目覚めたリンネアを映した途端に、大きな手が頬を撫でる。
「ひゃ……っ」
くすぐったくて思わず、変な悲鳴が出る。
「熱は下がったか。峠は越したようだが、ゆっくり休むといい」
鋼鉄の表情筋がわずかに緩んで、リンネアに向かって目を細めた。
「はぁ?」
いったい、何がどうしてこうなった――⁉
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