第17話 魔法の力
翌日、リンネアは机の上にぬいぐるみを置き、掌をかざしていた。部屋には誰にも入らないように伝えてある。
「……かすかにヴィタルを感じるけど、私の魔法には一切応じてくれないみたい」
まるで拒絶されているかのようだ。聖剣にも意思があるということだろうか?
「戻し方がわからない……もうだめだわ」
集中すれば魔法が効くかと思ったが、深紅の焔獣はつぶらな瞳でこちらを見つめ返すだけ。
――命はないと思え。
ラーシュの言葉を思い出し、リンネアはため息をつく。
「私の人生、ここでおしまいかぁ……」
なす術もない、とはこのことだ。
「せめて……死ぬ前に人の役に立ちたいわね」
リンネアはぬいぐるみを抱いたまま部屋を出た。
温かな春の光が差し込む廊下を歩きながら、昨日の夜会のことを思い出していた。
ラーシュの腕の温もりが頭から離れない。
「私には関係のない人だし」
リンネアは首を横に振った。
その時、前方の廊下で慌ただしく動き回る数人の侍女たちが目に入る。何かトラブルでもあったのだろうかと、そこで足を止めた。
侍女たちは焦りの表情を浮かべながら、大きな銀の燭台を一生懸命に持ち上げようとしていたが、どうにも重くて運べない様子だ。
「どうしたの?」
リンネアは彼女たちに近づきながら尋ねた。
「ああ、リンネア様……」
侍女たちは一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに困ったような顔に戻る。
「大広間の装飾を直そうとしているのですが、この燭台がどうにも重すぎて……」
燭台は確かに大きく、精巧な彫刻が施されていた。彼女たちだけで運ぶのは無理もないことだ。
「少し、休憩してはどうかしら?」
リンネアは微笑みながら提案した。
「無理をすると怪我をするかもしれないし……私が少し様子を見ておくから」
「でも……」
侍女たちは躊躇したが、リンネアが再度微笑むと、彼女たちは顔を見合わせてから礼を言い、廊下の片隅に腰を下ろした。
彼女たちが少し離れたのを確認してから、リンネアは手を燭台の方へそっとかざした。心の中で小さな呪文を唱え、魔力を注ぎ込む。
すると燭台はふわりと持ち上がり、まるで羽根のように軽くなった。それを慎重に移動させ、大広間の所定の位置に配置する。重い音も出さず、静かに、そして自然に見えるように魔法を制御するのは、少し緊張を伴ったが、うまくいった。
「これで大丈夫よ」
リンネアがそう声をかけると侍女たちが戻ってくる。
「えっ、まさかリンネア様がお一人で運ばれたのですか?」
侍女たちはぎょっと目を見開いた。
「こ、こう見えて力持ちなのよ」
リンネアは肘を曲げ、力こぶを作るポーズをして見せたが、その細腕にはあまり説得力がなかった。侍女たちが不審に思う前に退散した方がよさそうだ。
「では、ごきげんよう」
リンネアは笑ってごまかすと、足早にその場を立ち去った。
その後も、宮殿内を歩いていると、いくつかの困り事を耳にした。例えば、天井の高い場所に飾られているタペストリーがずれてしまったり、中庭の噴水が突然止まってしまったり。
リンネアはそれらの小さな問題を、侍女や庭師たちに気づかれないように魔法で解決していった。どれも簡単な魔法ばかりだったが、少しでも宮殿の人々の役に立てたことに、心の中で密かな喜びを感じた。
「リンネア様は本当にすごいですね」
「いえ。きっと聖剣の加護です」
説明のしようがないことはすべて聖剣の加護でごり押しだ。けれど人々はそれで納得してくれるので、リンネアが魔女であることは誰も気づかないようだった。
「あら。とても素敵な花ね」
庭の中ほどにある小さな一角が目に留まる。そこには他の植物とは違う花が咲いていた。細い茎から伸びる青白い花弁が優雅に開き、群生している。
「これは陛下がお小さい頃に亡き
庭師はにこりと笑みを浮かべた。
「へえ……」
冷血漢だと思っていたが、花を愛でる趣味があったとは意外だ。
リンネアは貴重な話をしてくれた彼に礼を言って、再び宮殿内に戻ってきた。
大広間には誰もおらず、昨夜の出来事が夢の中のことのようだ。
「あれは……」
大階段の近くの廊下では、昨夜宿泊した賓客たちが、徐々に帰り支度を整えているのが見える。遠くからその姿を見ていたら、ラーシュが廊下の一角に立っている様子も窺えた。
出発する人々に挨拶をするのも公務の一環なのだろう。彼の目は鋭く、冷静に周囲の動きを把握している。
「少しは笑えばいいのに」
リンネアは苦笑しながらその場を立ち去ろうとしたが、ふと上から大きな音が響いて足を止めた。
振り向くと、大広間の天井からシャンデリアが不安定に揺れ始め、重い金属音を立てながら留め具を弾いて落下してくるところだった。
「嘘!」
リンネアはさっと青ざめた。
周囲の人々は悲鳴を上げて慌てて避けようとしたが、その動きが遅れている。その中心には最後まで彼らを庇おうとするラーシュの姿があった。
「ルーメン・ヴェルディス!」
リンネアはとっさに口の中で詠唱していた。
魔法の光が前方に伸ばした彼女の手から放たれ、シャンデリアは空中で静止し、そのまま誰もいない場所へと移動した。
パラパラと埃が天井から落ちてきたが、その場にいた人間たちは茫然として言葉を失っていた。
だが、さすがにラーシュは一番に冷静さを取り戻し、衛兵を呼びつけた。
「お怪我はございませんでしたか?」
衛兵の問いに彼が頷く。
「ああ……幸いなことに誰一人傷つくことなかった。だが、至急、宮殿内のシャンデリアの金具が緩んでいないかすべて点検させよ」
ラーシュはそう命じてから、床に倒れ込んだ賓客に手を伸ばした。
「真っ直ぐに落ちてきたシャンデリアが急に横に飛んでいったように見えたのだが、目の錯覚かね?」
賓客は目を丸くしながら首をかしげている。
「聖剣の加護に違いない。今日一日みんなリンネア様に助けられているから」
「ああ。ラーシュ様も聖剣に守られたのだろう」
砕けたシャンデリアを片付けに来た使用人がそう話すのを、ラーシュが耳に入れないはずがない。
急いでその場を離れようとしたが、ラーシュがこちらに向かって歩いてきたので、ここで逃げればかえって心証を悪くする。
「リンネア。どういうことだ?」
「姿はぬいぐるみでも、聖剣の力が発揮されているみたいですね」
「聖剣の力……?」
表情は変わらないが、こちらを疑っているのは確かだ。
一筋縄ではいかない人。
「礼を言う。助かった」
まさか素直に感謝してもらえるとは思っていなかったので、リンネアはきょとんとした。
「え、そ、そんな、私はただみんなを助けたくて――」
「私はフランムルージュに礼を言ったのだがな」
ラーシュに言われて、彼女はムッとする。
「し、知ってます! 全部、聖剣のおかげですっ」
リンネアはそっぽを向くと、足早にその場から立ち去った。
やはり、人がいるところで魔法を使うのは危険なのかもしれない。
――でも隠れて暮らすなんて、もう嫌なの。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます