終章②

 辺りは薄暗く、人の気配もしない。

 郊外へと戻ったカラドは必要最低限の分の荷物をまとめ終え、いよいよ出立しようとしていた。

 帰路に就いたのが夕刻過ぎで、それからここに住んでいる人全員に挨拶して回っていた。全員が見知った顔。誰もがお世話になった人。別れの挨拶を終えるのに、僅かな時間では足りなかった。


 特にニコは大変だった。行かないでくれと喚いたり、付いていくと言い出したり、説得するのに一苦労だ。対してステラは大きな感情の起伏を見せず、それはそれで少し寂しかった。

 ともあれ、全員に挨拶を終え、その日はささやかだがパーティのようなモノが催された。基本的にはニコやステラの家族だけなので、パーティとも呼べないが。


 その小さな宴が終わり、一眠り着いた後。未だ皆が寝静まる頃、カラドは日の出前に起きて身支度を整えていたのだった。

 この時間に旅立つ理由は単純。誰もいないから、スムーズに心置きなくここを離れることが出来る。わざわざ人が起きている時間に行く必要も無いだろう。


「この景色とも、しばらくお別れだな」


 長い間見てきた風景。当たり前になってしまっていたが、いざ離れるとなるともう少し見留めておきたくなってくる。

 そうならないためにこんなに朝早くに出るのに、カラドは自分でも嫌になってしまうほど予想通りに、少しその景色に魅入ってしまっていた。


「ん?」


 しばらく眺めていると、その光景に二つの人影が映りこんだ。人が起きているような時間帯ではないが、その人影は、足早にカラドの方へと向かってくる。

 遠目からでも、その二人が誰なのか分かる。


「ニコに、ステラ……?」


 呆然と見ている間に、二人は目の前にまで駆け寄ってきていた。余程全力で走ったのか、二人の頬は紅潮し、呼吸を荒くさせ肩を激しく上下させている。


「どうしたんだよ、二人とも。まさか、まだ一緒に連れてけとか言うんじゃないだろうな」


 この時間にわざわざ起きて見送りだけというのも、カラドの中では考え難く、そうなると答えは限られてくる。


「何度も言うが、一緒には――」

「……違います、カラド兄さん。私たちは」

「どうしても、言いたいことがあったんだ」


 呼吸が乱れることにも構わず、二人は口を揃える。いつもとは異なる雰囲気を漂わせ、芯のある瞳でカラドを見つめている。

 そこまで、そうまでして、伝えたいこと。カラドの姿勢も自然と真剣なそれになる。


「今まで――」


 肺に空気を送り込み、それはそのまま言葉へと変わる。


「ありがとうございましたっ!!」


 弾かれた声は、遠くにまで響き、それは次第に、澄み切った朝の空気の中に溶け込んでいった。

 想いは言葉に乗り、伝えたい人間に確実に届く。例え空気に消えても、その意味は残り続ける。カラドは表情を驚きから、笑みへと変えた。


「こっちこそありがとな。お前らがいてくれたおかげで、毎日が楽しかった」


 今のカラドがあるのはこの二人がいたから。それは紛れも無い事実だった。二人とはまるで兄弟のように接してきた。ほぼ毎日のように過ごしていた。

 ニコとステラ。二人がカラドの支えになっていた。


「カラド兄さん……、助けてくれてありがとうございました」

「そんなお礼別に良いっての。俺一人で助けたわけじゃねえし」

「いえ、私自信がそう思っているので。それだけで、十分です」

「俺も!! 俺もさ!!」


 ステラは笑い掛け、ニコは興奮したようにカラドへと身を近づける。この二人は、どこまでも変わらないなと、ぼんやりと考えてしまう。


「俺も、司書官になるよ!!」

「おっ、そうか!!」

「ああ!! 司書官になって、カラド兄ちゃんみたいになって、それで……」


 ニコの視線が、僅かにずれる。それはステラの方へと向けられたが、ステラもカラドも、それに気付いた様子は無い。


「守りたいもんも、守れるようになってみせる」


 何かを決意した瞳。ニコが司書官になるなんて、昔のカラドなら考えられなかったことだが、今のニコなら、心配する必要も無いだろう。


「カラド兄さん。私も、司書官になります。もっと色んなことを知るために。それから、もっともっと、付いていけるように……」


 ニコに引き続いて、ステラもその目標を口にする。

 それらの言葉の真意がどこにあるのか。それは彼、彼女自身だけが知っていればいいこと。余計な問いかけはしない。


「そうか、頑張れよ。二人共」


 こんな風に。ただ励ますことだけしか、今のカラドには出来ない。けれど、たったそれだけのことで、目の前の二人は喜んでくれる。笑ってくれるのだ。

 こんなことしか出来ない人間に、付き合ってくれる二人。

 カラドもまた、感謝の想いを胸に溢れさせていた。

 だから、敢えてその言葉は口にしない。


「じゃあな、また会おう」


 今生の別れになるわけでもない。死別するわけでもない。

 必ずまた、どこかで会えるから。それを約束する言葉だけで、今は十分だ。


「ああ!!」

「必ず、会いましょう」


 二人とも、それが分かっているのか、悲哀な表情は見せない。別れる時は、やはり笑顔でなければ安心して旅立てない。

 もう、そんな心配とは無縁だが。

 次に二人に会う時。一体どれだけ変わっているのか、成長しているのか、頼もしくなっているか、それが楽しみだ。

 カラドは振り返ることなく、その一歩を踏み出した。

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