終章①
「報告は以上だ。何か気になる点でもあるか?」
「いいや。特に無いな。
そこは埃の匂い漂う、いつか見た光景。トゥーラは机に向かい、病院から戻ったカラドはその前に立っている。トゥーラの姿は机に山積みにされた本や紙やらで見えない。
あれから、数日時が経っていた。
「それで、指輪は?」
トゥーラの催促に、カラドはその手を開いて見せた。そこには黄金に彩られた指輪が輝いている。
魔導書を読み終わると顕現する魔の装飾品。これは紛れも無い、
「やはり君の父の予測は正しかったわけだ。優秀な親を持ったな」
「優秀、なのか?」
「ああ。まあ、その話は置いておこう。それよりもその指輪、本当に図書館に預けなくても良かったのか。一応連中には指輪は紛失したと伝えているが」
「心配ねえ。誰かに預けた方が、よっぽど不安だからな」
連中、とは大図書館に所属する権威達のことだろう。魔導書から出た後、トゥーラと共によく分からない黒服の男達がその場に駆け付けたが、指輪のことはトゥーラにしか言っていない。
言った方がいいのだろうが、言えば恐らく、彼は一生日の目を浴びることが無いような気がしたのだ。
「すまないね。本来ならば、未曾有の大犯罪を犯したその指輪は、然るべき対処をしなくてはならない。これは、全ての責任を君に押し付ける結果になるが……、本当に良かったのか?」
「俺が決めたことだからな。俺はこいつの罪を、一緒に背負うつもりだ」
「そうか……。よし、これで報告書の内容は以上だ」
「ちょっ――」
トゥーラが立ち上がると同時、机は揺れ、積まれていたモノはその衝撃で崩れ落ちる。その机周辺に、紙や本が散らばった。
一度はそれを防いだが、今のカラドには、それが難しい。
「……腕、残念だったな」
「……」
あの時の戦闘で、食われ失った片腕。腕そのものが無いので、完全に修復することは、もう出来ないだろう。
今まで当たり前のようにあった腕。それが消えた時、無くなった時の、喪失感は今でも尾を引いて残っている。
カラドはその傷口に触れる。包帯が巻かれており、そこにはやはり、あるべきものは無かった。
「まあ、俺の左腕で、事件が終わったならこれ以上ない戦績じゃねえの?」
身体の欠損。それは苦悶であり、痛烈であるはずなのに、カラドは苦笑いで返した。
「……すまないな。私がもっと早く到着していれば」
「何言ってんだ、あんたが謝ることじゃねえよ」
軽いことであるように、笑い飛ばす。
それは強くないと出来ないこと。普通ならば、その表情に翳りがあってもおかしくない状況だ。
今の彼の面持ちには、陰影など一切無く、ただひたすらに前だけを向いているような明るさに覆われている。
「見違えたな……」
「何がだ?」
「いや、何でもない」
トゥーラが初めてカラドと会ったときは、とても頼りにならない、平凡な青年だと思っていた。才能こそあれど世界の広さを知らないだろうと考えていた。
無論それはその通りで、カラドは一般の青年の域を出ない。今でもそのはずだ。
ただ、その中に在った頼り無さは微塵も見えず、漠然と成長したと、感じる部分が窺えるようになった。
「ここへ来たのはついこの間のことだが、もう出て行くのか」
「ああ。
勝手な話だな、とトゥーラは苦笑し、カラドもそれにつられ笑う。
元々がカラドの父からのお節介であり、その都合を鑑みれば正式に働くことが出来るはずなのだが、飽く迄もそれは個人の都合。
難関であり、目指す者も多い司書官という職に、コネで入ったとなれば誰もの反感を買うだろうし、カラド自身それは嫌だった。
疑いが晴れるまで、と期限がついていたし、ここら辺が潮時なのかもしれない。
「私個人としては、いてくれても構わないんだが」
「そんなわけにもいかねえよ。第一そういう約束だったわけだからな。俺が泣いて頼んだって、どのみち辞めさせられてたはずだ。……それに、罪を犯した指輪があると知られたら、ここにも迷惑を掛けちまう」
「……そうか、仕方ないな」
トゥーラは心なしか、少し落ち込んだ様子で、制服のポケットから一枚のプレートを取り出した。薄い、四角く処理されたその鉄片をカラドへと差し出す。
「これは再来年に行われる司書官実技試験への参加許可証だ。大事に持ち歩くんだぞ」
「どういうことだ? 俺は司書官試験を受けたつもりは無いぞ?」
「私からのささやかな贈り物だと思ってくれればいい。それがあれば筆記試験を通過したものとして実技試験を受けられる。司書官が認めれば、それを自由に発行し渡していい決まりになっていてね。君は私のお眼鏡に適ったというわけだ」
渡されたそれは何の変哲も無い鉄の板。ただ実技試験の開催時期であろう月日と場所が彫り込まれているだけ。たったこれを渡すだけのことで、実技試験が受けられる。
「こういった方法でなるのが嫌なら、それでも構わない。実技試験を受けるか受けないかは、君自身の判断だ。出来れば、君には司書官になって欲しいんだが」
「……ありがとな。大切にする」
カラドは、それを強く握る。司書官になりたくないわけじゃない。寧ろ、今すぐにでもなりたいほどだ。目指してきたものだから。そうなることが、カラド自身にとって正しい選択だと思えるから。
これは、それの足掛かり。何も無かった地点からの、第一歩になる。
「本当に、旅に出るんだな」
「ああ、色んな場所を見てこようと思う」
「
「ああ。それに、俺自身もまだまだ知らねえことばっかだからな。お膳立てしてくれた親父には悪いが、良い機会だし行ってくる」
「そうか……、たまには顔を見せに来いよ」
「もちろんだ」
鉄の板をしまい、トゥーラに頭を下げカラドは部屋から出た。
そして、その出た先。ある少女が待っていた。この図書館で、この数日間で、世話になったもう一人の司書官。
「ようレイエル。お前も見送りか?」
「誰があなたなんかの見送りをすると思ってんですか」
相も変わらず、可愛げの欠片もない罵倒を浴びせられる。見送り以外に、果たして何の用事でここへ来たのか。カラドは更なる罵倒が面倒くさいので尋ねない。
「そ、それより。ええと、その……、ご、ごめんなさいっ!!」
「……はあ?」
唐突に謝られ、言葉も出てこない。必死に思い当たる節を探すがそれもなく、頭頂部を見せているレイエルの言葉を待つ他無い。
「私がもっと早く見つけられればカラドさんの腕は……」
「なんだ、お前もか」
何度このやり取りをすればいいのかと、真面目に謝ってくれているレイエルには悪いが、思わず笑ってしまった。一方レイエルにとっては予想外のことだったのだろう、姿勢を元に戻し驚いていた。
「怒ってるとか思ったか。そんなわけねえだろ。これは誰の所為でもねえんだ。まあ強いて言うなら俺の責任だろうな」
「で、でも――」
「でももどうもねえよ。本人が気にすんなって言ってんだ。もういいじゃねえか」
レイエルはまだ何か言いたそうだったが、無駄だと悟ったのかそれ以上腕に関しては触れなかった。
それ以降、彼女は黙りこくってしまっている。何か言いたいことでもあるのか、それとももう話は終わりか。その判断は出来ない。
何時までもここで待っているわけにもいかない。カラドはその足を前へと進める。
「じゃあな、レイエル」
「――本当に」
足を止め振り返る。そこにはらしくない、少し寂しそうな表情を見せる少女がいる。
「本当に、行っちゃうんですか?」
「何だ? やっぱり寂しいのか?」
「誰がそんなことっ。ちょっとおもちゃが無くなって、暇になったって思っただけですよ!!」
「そうかよ」
この罵倒がしばらく聞けなくなるのかと思うと、カラドも少し心寂しい。
そんな彼女はどこまでも、素直になれないようで、次の言葉をどう言えば良いのか、少し顔を紅潮させながら唸っている。
「あの、私も一緒に――」
「それは駄目だ」
「……どうしてですか」
僅かに不服である感情を込めながら、カラドの顔を覗きこむ。レイエルが何を考えてそう言い出したのか、大体は把握出来てしまう。
「私にもその指輪と世界を見て回る権利があるはずですよ。どうして駄目なんですか」
責任でも感じているのだろう。全てをカラドに背負わせることに引け目があるのかもしれない。
それは彼女らしい思考で、けれど今持ち出すべきものではない。
「お前は努力して、それで司書官になったんだろ。なら今あるそれを簡単に手放すもんじゃねえよ。これは俺に任せて、それでお前は、こんなことじゃなくてもっとやるべきことに目を向けてりゃあいい」
目の前に目標があること。それはとても喜ぶべきことだ。
それ自体が、存在する理由となれる。
「ここに来るまで、司書官に対しては悪いイメージを抱いていた。それは俺が無知だったからで、俺が直接何かをされたってわけじゃねえんだけどな。とにかくそう思ってた。でもな――」
未だ不安な色で瞳を彩っているレイエルに、カラドは楽しげに話し掛ける。
それは自慢するように。それは誇るように。嬉しそうに、カラドは語る。
「司書官の日々は楽しかった。口の悪い年下先輩と支えてくれる年上先輩。結構大変だったけど、楽しかったのは二人がいてくれたおかげだ。ありがとな」
「……いえ、こちらこそ……」
素直な感謝が少し意外だったのか、レイエルは言い辛そうに口を動かして返した。
そう、楽しかったのだ。司書官として過ごした若干の時間が。それまでの日々と比較にならないほどに、充実していた。
二年間。いや、それよりも前から、それは失われていたのだから。
「俺も――」
――存在理由が欲しかったのかもしれない。
司書官としてその答えのヒントを見つけ、世界を見るという取り敢えずの目標を見つけられた。それに、司書官になるチャンスだって残されている。
今はそれでもう、十分だ。
「どうしたんですか、カラドさん」
「いや、何でもねえよ」
そろそろ行かないと、このままズルズルと話してしまいそうだ。全く未練が無いと言えば嘘になる。カラドの目標は、今でも司書官になることなのだから。
それまでのイメージとは違う、彼女たちのような、新しい司書官に。
「……私、自分勝手でした。カラドさんが入って来て。後輩が出来て嬉しかったんですけど、でもなんだか慣れなくて。もっと自分は何でも出来ると思っていたのに、変な対抗意識燃やしちゃって。その節は、すいませんでした!!」
「……」
ここに来た初日。初対面が唐突だったことで怒っていたのかと思っていた。あながちそれも間違いでは無かったのだろうが、何よりも彼女の中で、やはりそんな感情が芽生えてしまっていたのだ。
カラドはそんなことは気にならないが、レイエルは気になるのか、罪を償うように言葉を紡ぐ。
「でも分かったんです。自分一人では、全部のことは出来ないって。誰かに頼ったり、誰かから教わったりして、それで一つ一つ解決していくんだって。今回の件も、そうでした。……だから、これからもっと、人と協力して、頑張っていきます!!」
晴れやかな笑顔で、そう告げた。彼女は彼女の中で何か変わったのだろう。全部を知っている人間なんていない。人は皆、生きていく中で答えを見つけていく。
レイエルも、カラドも、彼もまた、その自分だけの答えを見つける。
「絶対に、また会いましょう」
「ああ、絶対だ」
別れを済ませ、カラドは図書館を出る。トゥーラの計らいか、入り口付近には見たことのある馬車が停まっており、既に出発の準備は整っているようだった。
「さてと……」
名残惜しいが、もう図書館にはしばらく戻れそうにない。これからは世界を見て回るが、その前にもう一つ、これまでの生活を支えてくれた人に挨拶を済ませなければならない。
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