第三章⑯
「……とりあえず、彷徨っていたわたくしに、故郷同然のモノを探し出してきてくれたことは感謝しましょう。どの本から生まれたか、わたくしには分からなかったのです。生まれた時の記憶が無い。まるでわたくしの幼少期ですね」
ただ、それも一瞬。
「感謝はします。が、それとこれとは話は別。今尚わたくしはあなた方を食べたいのですよ」
両手を向けられる。それは瞬く間に人の命を奪う初動。避けなければ、化け物に全てを奪われることになる。
「あなたは、それでいいんですか?」
けれど、退く素振りを見せない。避ける姿勢も、警戒もしていない。
カラドもレイエルも、攻撃に備えるわけでもなく佇んでいる。
その光景が、その態度が、
「無知であること、無学であることを嘆いておきながら、ただ人の知識を奪うだけ。本当にそんなことでいいんですかね。私は、それは間違ってると思うんですけど」
「これしか方法は無いのですよ。何も知らない無知なわたくしが、自分自身の意義を知る方法。人から奪えば、わたくしは何も奪われない!! 善悪の判断だって、身につくはずです」
それが
何も無い彼が、貪欲に生きる術。それが
彼の熱弁の旨も分からないことでもないが、カラドは頭を掻きながらそれに応えた。
「突拍子も無さ過ぎてついていけてないんだけどよ。お前、そもそも前提が間違ってるぞ」
「これがわたくしの結論であり、到達点です。間違いなどありはしません」
「いいや違うな。何かを知る方法ってのは誰かから奪うもんじゃねえ。知識を得るためには自分がその目で、その足で、しっかりと経験しなくちゃ駄目なんだよ」
「……なるほど、それはそうかもしれません、が――」
貪欲であり無知。その足りない点を補うための知識の強奪。
これは悪だと。これは罪だと。そんなこと、無意識の中では分かりきっていたはずだ。もっと有用な、世界でも認められている方法など幾らでも取れただろう。けれど、彼は誰かから奪うことを選んだ。
それもまた
それは
「わたくしには、これしか方法は無いのです。最早一から学ぶことも叶わない。全て、手遅れなのですよ」
世界というものは非情だ。何事も若い内から学んでおかなければ、認められることは厳しい。皆幼少の頃から学び、そして世界を構成する歯車となるのだ。
だから、彼は必死に食らう。何よりも知識を求める。未知の世界に触れたがる。全てが物珍しく映る。それを知っている人間に追い付きたかった。
「止めたところで、また裏切りに遭うだけ。わたくしはもう引き戻れないのです」
「んなことねえよ。人間に手遅れってのはねえんだ。幾らでもやり直しが利く。一回失敗しただけで、生き方を見失うなんて世界なら、俺はとっくの昔に路頭に彷徨ってる。世界は、人間は案外やれるもんだ」
「……それでも」
もし本当に、まだやり直せるのなら、それは喜ばしいこと。人よりも優れていなくてもいい。ただ人と同じ目線に立てるなら。多少の判断が出来るなら。それだけで、構わない。
その根源には、やはり裏切りへの恐怖があった。
誰からも裏切られたくない。もうあんな悲しい思いはしたくはなかった。
自分を守るため、傷付かないために、彼は知識を欲していたのだ。
何かを経験したとしても。何かを学んだとしても。裏切られないという保証はどこにもない。
「それでもわたくしは――」
「怖いのか?」
「…………」
「弱い人間もいて、そういう奴らが強い奴に食われるのは当然だ。けど、それで諦めたりしねえ。人は初めから強いわけじゃねえんだ。経験して、知識を得て、色々見てきてそれで強くなる。それに人は、誰かと共にすることを常にしてきた。それだけで、強くなれるからな。だから――」
カラドの手が差し出される。
「俺達と一緒に、世界を見て回らないか」
「――っ!!」
予想出来ていたはずなのに、
「経験も知識も、皆で学べば辛くねえ。何かを学ぶことに一人でないといけないなんてルールは存在しねえ。それに例え裏切りに遭っても、一人でそれを抱え込むよりは大分マシだと思うぞ」
その言葉、その中身。本当にそう言っているのなら、カラドという青年は大馬鹿だ。罪を抱え込んだ
――でも、それでも望みを叶えてくれるならば。
「いいんですか? わたくしは少し厄介ですよ」
「望むところだ。お前に、世界を見せてやる。それよりも、良いのか? また、裏切られるかもしれねえんだぞ」
試すような笑み。酷く意地悪い笑いに、彼もまた、笑い返す。
「その時は、また知の探求者に戻ればいいだけです」
「そうか。なら、そうならないように気を付けねえとな」
彼は、カラドの手を取った。そこに躊躇や迷いは、無い。
「ほら、レイエルもだ」
「わ、私は別に」
「いいからやるぞ」
「……仕方ないですね」
渋々、けれどそこにあるのはやはり柔和な笑み。レイエルも握られている手の上に、その手を被せた。
「これが――」
――これが、人の温もり。それに今、包まれている。利害関係など一切発生しない、仲間とも友人とも言える暖かさ。その手に伝わる熱を、最後に感じたのは何時だっただろう。
不安だったのだ。何も持っていない自分が。他の人と比べ何も知らない自分が。誰も信じられず、不安であるのに、一人でいるしかなかった。
羨ましかったのだ。人間らしく、生きていけることが。誰かを信用できるということが。見る世界も、人とのつながりも、それを持っている人間が輝いて見えた。
自分の存在意義が分からなかった。それが、今まで数々の愚行を繰り返してきた要因だった。それを知らなかったから、不安で、羨ましかったのだ。
自分に出来ること。何をすればいいのか。それが希薄のままでは、生きていけない。存在意義が無ければ、生きていく意思も漠然としてしまう。
生きる目的が、知りたかった。
「カラドさん、レイエルさん。あなたたちに出会えて、本当に……」
――ようやく見つけられた。今度こそ本物だ。
全てを失い、何も知らない彼が見たのは、闇に射す光のような、そんな光景。
「ふふ、柄にも無いですね。わたくしが……」
言葉が上手く出てこない。頬を伝うのは一筋の滴。けれど、そこにあるのは悲しみや憂いではない。
感謝。胸に芽生えていたのは、彼が初めてそう思えるものだった。
迷い続けていた。無知であるまま知識を貪っていた。
けれどもう、何も迷う必要は無い。探す必要も無い。方々探求した挙句、見つけたものは単純なもの。
――ただ、本当に信じられる人が、欲しかっただけだった。たった、それだけのことだった。
彼の身体が眩い光に包まれる。その身は次第に細かい光の粒子となり、天上へと舞い上がった。
「これで……」
「ああ」
瞬間、太陽よりも輝かしい光が、世界を覆い、全ては白く、その物語の終幕を告げた。
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