第三章⑮

 時は一瞬で過ぎ去り、その内容も頭に流れ込むように入ってくる。それまでを教えてくれる。見せてくれる。

 彼の生い立ちを知った。

 それは孤児院の中から始まり、その生活の途中でのレギンとの出会いと、そして裏切りによる別れ、ブリュンヒルトへの恋とその日常まで、彼の過去を全て見てきた。

 それを見ていく中で感じ取ったもの、それは嫌悪と不快。

 裏切り、不審、疑念、嫉妬、悪意。

 人間の醜悪な部分。それが各場所に散りばめられているかのごとく、彼の周りではそれが多かった。


「なんでこんなにも……」

「こればかりは、アイツに同情しちまうな」


 物語を読むように、彼の人生をなぞってきた。まるで本を読むかのように、彼が過ごす時間の流れはそこに無く、必要な物語の核を特に眺めてきた。

 その上で、思う。

 辛く残酷な人生だと。

 この物語の読み手であるカラドとレイエルも、彼のことを快く思っていないが、それでもこの生涯は憐憫に値するものだった。


知の探求者ブックイーターが、ああなってしまった理由が、分かった気がします」

「ああ、多分アイツは何もかもを失って。それで何かそれを埋めるようなもんを、求めていたんだ」


 裏切りに次ぐ裏切り。謀略に次ぐ謀略。それの繰り返しで、彼はもう、全てを信用出来なくなっていたのかもしれない。

 この物語を知っているからこそ、余計にそれに対する同情は生まれる。

 彼は、幸せであるままに、生涯を終えることは無い。

 彼は、悲劇の英雄なのだから。


「それにしても……」


 そして、その物語を知っているからこそ、ある人物の存在が気に掛かった。この伝承、いうなれば彼の伝説は幾つかの物語がある。国や時代によってその内容は変えられてきたのだが、そのどれもに、その人物は登場しないのだ。


「カラドさんはあの人、どう思います?」


 レイエルが指すあの人。ジークフリートと話す怪しげな老人のことだ。


「どう思うってそりゃ――」


 突然彼の前に現れた人物。それは物語上には一切登場しなくて、尚且つその物語の展開から結末まで全てを言い当てることが出来る者。

 答えは分かりきっていた。


「俺らと同じ、魔導書に入り込んだ者、だろ」


 それ以外に考えられない。魔導所に認められればその中に、その物語に入ることが出来る。カラド達もその中に入っている身だ。人のことは言えないが独特の、その物語上に登場する人物ではない雰囲気を漂わせている。

 ただ何時入ったのか。カラド達と同じタイミングか、それともずっと前か。そこまでは分からない。


「私たちが入る時、周囲に他の人の気配はしませんでしたし、あの人は結構前から入っている人なんじゃないですか」

「じゃあ未だに攻略出来てないってことか? いや……」


 彼は本の中から出て来ていた。誰かがその本を読み終えたわけでもなく、ただ一人、現実の世界に現れた。しかし、魔導書は未だに消えることなく存在している。

 恐らくこの老人は、魔導書に取り込まれたのではないか。


「まあどちらでもいいです。今はとにかく知の探求者ブックイーター、もといジークフリートの動向を探ることが大事です」


 ここは街の中。城を中心に建てられた、いわゆる城下町。ジークフリートはそこで老人と話していた。

 ジークフリートがこの老人と出会ってから、立て続けに彼を巡る環境が変わっていた。

 別国の王が毒を持ったことから始まり、臣下からの暗殺や信頼していたブリュンヒルトからの裏切り、全てが悪い方向へと向かっていた。


「喧嘩、でしょうかね。あの老人と口論してますよ」


 遠目から様子を窺っているので詳しい内容は聞き取れないが、雑踏に紛れて何やら口喧嘩をしているようだ。

 そのまま、二人は人目の付かない裏の路地へと入っていく。


「追いかけよう。何でか知らねえが、嫌な予感がする」


 街は活気があり賑わっている。その裏、誰も通らない細い小道、家と家の間のような場所へと、カラド達も入る。

 そこは太陽さえも当たらない暗くジメジメした空間。剥き出しの地は湿り、少し肌寒い。この辺りの地理は見当もつかないので、地面に僅かに残った足跡を追うしかない。

 しばらく歩いていると少し開けた場所に出た。相変わらず家々が陽の光を遮っているが、それでも風通しは良くなり、狭い圧迫からの解放で気も楽になる、はずだった。


「あっ……」


 そこに広がる光景は、佇む一人の男。崩れ落ちている首から上が無い人型。そして、鼻につくほどの鉄の臭いと地面に広がる鮮血。

 その状況がどう作りだされたのか。想像するに難くない。


「あなたたちは……?」


 振り返るジークフリート。顔、特に口元には血が滴っており、その瞳はいつか見た時よりも憔悴していて、生気が感じられない。それはまるで、現実の世界に現れた知の探求者ブックイーターの様相だった。


「俺達は……、ただの通りすがりだ」

「そうですか。それならば早くここから逃げた方がいいですよ。今のわたくしは何をするか自分でも分かりませんから」


 まだ理性は残されている。けれどそれが消滅するのも時間の問題だ。彼は最後の忠告として、一般市民だと認識している彼らに言葉を向ける。

 それはどこか切なく、諦観しているように感じた。


「どうして、こんなことしたんですか?」

「……わたくしは、ただこれ以上失いたくなくて――」


 街の賑わいが遠くに聞こえる。この空間、この場所が世界から切り取られたように、時間が止まってしまったように、形作られていた。


「知りたいのです、全てのことを。わたくしは少しモノを知らなさ過ぎる。無知とでも言えばいいのでしょうか。世界には何があって何が起きているのか、何が普通で何をするべきことなのか。誰を信じて誰を疑えばいいのか。そういった教育は、そういったことを知るための日常は、わたくしには無かったのです」


 これまでの彼の生涯は、とても教育など出来る環境では無かった。子供時代でさえ、得た知識は食べられる森の産物や農業の仕方。それ以外に、彼には何も教えられなかった。

 だからこそ彼は貪欲なまでに知識を得たがっている。


「知識があれば、わたくしはこのようなことにならなかったかもしれない。もっと上手く、楽しく生きていけたかもしれない。つまりわたくしには、知識が圧倒的に足りなかったのです。だから――」


 一人の男の独白だけが、この空間にある唯一の音。この言葉の真意こそが、彼が知の探求者ブックイーターとなった理由。

 ここが彼の転換点だった。


「だから人を食って、知識を奪おうって思ったのか」


 不気味なほどの静寂に包まれているこの場所に、カラドの声が響く。対する彼の反応は薄く、ただ口を閉ざしてカラドを見つめている。


「そんなことしたって意味ねえよ。お前は結局、何も見つけられねえんだ」

「……あなたに何が分かるというのですか。まさかあなた方も、ここに転がっている老人のように預言者を気取るのですか」


 少しだけ不機嫌の表情を覗かせて反抗する。散々悪いことばかりを予言されてきて、さらにまた予言されるとなれば、また不安に陥るだろう。

 けれど、カラドはそれに取り合わない。


知の探求者ブックイーター。それがてめえの成りの果てだ」

知の探求者ブックイーター……? 何を――」


 彼の言葉が途切れる。身体全身の動きが止まる。それが何を示す動作なのか、カラド達には分からない。

 ただ、改めて彼を見た時には、見てきたような青年ではなく、先程までいた人ではなく、現実世界で見た彼そのものの雰囲気を纏っていた。


「わたくしは、何を……。それにこの場所は――」


 辺りを窺うように視線を動かす。自らの肉体を確認するように手を閉じ、開く。


「戻って来た……? 本の中に……」


 独り言として呟かれたその言葉。それが意味すること。


「お前、知の探求者ブックイーターか?」

「……カラドさんに、確かレイエルさんでしたか。わたくしを戻してくれたのはあなたたちですね」


 この雰囲気に加え、名乗ったはずも無い名を呼ばれる。

 間違いなく、知の探求者ブックイーターだった。

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