第三章⑭
元々、自分でもこの存在はよく分からない。
生まれる前の記憶が無く、目を覚ました時、そこは本が揃えられた神聖な場所だった。
何故神聖だと思ったのか、何処からどのように生まれたか。そんなこと分からない。
気付けば、その場所以外の本や装飾、内装等を喰らっていた。
自分には何も無い。経験も知識も、何もかもが欠如している。そう感じ取れたのは、本を喰い知識を得たから。
それを奪うことで、知識を得る。自分の物に出来る。そのことを知れたことに、喜びを隠しきれなかった。
そこからはもう無我夢中だ。目についた図書館に入り込み、そして本を喰らった。それを繰り返すようになった。途中心優しい人間に出会ったが、やはりそれでも満足出来ない。何も分かり得ない。
そうしている内に、何時の間にか人まで喰らうようになっていた。そこに罪悪感とか、贖罪の心などは無い。在るのはただ知識を増やしたいその欲求だけ。人や本そこから知識を奪うことだけしか考えないようになっていた。
けれど何時の間にか、そこに意味を見出すようになっていた。自分という存在を確立させたい。他の人のように、知識や経験を身に着けたい。自分自身を知りたい。そんな願望が生まれてきた。
それからまた、それらを知るために、それらを叶えるために、食らい尽くす。
それが
そしてカラドという青年と出会う。一見何の変哲も無い、ただの青年。初めはそうとしか見ていなかった。
昨日書庫で出会い、その認識を改めさせられた。あれだけ他者を圧倒してきた自分が、逆に圧倒された。今までの人間とは違う。もしかするとこの人間を喰えば、何か自分のことが分かるかもしれない。それまでに味わったことの無い感情が、
「これでようやく、あなたはわたくしのものになるのですね」
そんなカラドが、今目の前で苦しそうに佇んでいる。
思わずその笑顔が深くなってしまっているのが、分かる。それほどまでに嬉しく、そして楽しみだった。
食らうのが。知識がつくことが。本当の自分の存在を知れるかもしれないことが。
ふらついているカラドに、手を向ける。これが当たれば、その欲は満たされる。
「くっ……!!」
「……やはり簡単には食べさせてくれませんか」
飛び退いたカラドにそれは当たることは無く、壁と装飾を破壊して、地を震わせる豪快な音が響いた。
標的の片腕は奪った。手傷も相当負っている。摂食攻撃が当たるのも、時間の問題だ。
「大人しく食べられてくれませんかね。楽しみを取っておくことは好きですが、焦らされるのは嫌いなんですよ」
「言っただろ、追い詰められたネズミは、しぶといって」
言葉強さは感じられるが、それは単なる虚勢だろう。カラドは息も上がり、血を失い生気が乏しい。このまま続ければ、まず間違いなく死ぬはずだ。
だがそれは
だから、出来るだけ早く、今の状態のカラドを喰いたかった。
「良いんですか。あなた、それ以上派手に動くと死ぬかもしれませんよ」
「お前に食われて死ぬぐらいなら、のたれ死んだ方がずっとマシだ」
手を振るうが、当たらない。先読みをしても、食えない。適当に狙っても、触れることすら出来ない。
カラドの速度は、これ以上早くなることは無いのだろうが、どういうわけか遅くなることも無い。あれだけの傷を受けて、どうしてそこまで動けるのか。目の前で動く人間が、不思議でならない。
「どうして、そこまで頑張れるのでしょうか」
ふと、漏らしてしまった言葉。どうしてこんな言葉が出て来たかは分からない。ただ単純に、疑問に思ったのだ。死にたくないからなのは分かる。
何故死ぬことを省みず、ここで足止めに徹しているのか、そこが分からない。カラドの残されている体力ならば、ここから逃げ出すことも十分に可能だったはずだ。敢えて立ち向かう、その理由が知りたかった。
「どうして、あなたたちはそんなにも、強いのですか。わたくしには到底、理解し難いのですが」
手を下ろしてしまう。カラドも、それに併せて動きを止める。
このまま追い詰めていけば、必ず喰えたのに。自分は一体どうしてしまったのだろう。
突然の奇怪な行動に、眉を顰め出方を窺うカラド。警戒心を緩めた様子は無いが、その問いには応じるようだ。
「どうしてって、普通の人間なんてこんなもんだ。人によってその強さは違うけど、人間は全員、強えよ」
当たり前だと。それが常識だとカラドは語る。
羨ましい。そんな強さが欲しい。だから、今まで人や本を喰って、知識や経験を得てきたのだ。そう願ってきた。
しかし、食ってきたものに、そんな自分の願いを満たしてくれるものは無かった。
だから、今目の前にいるこの人間を、カラドを喰らう。これを食べれば、きっと自分の願いは果たされる。
「あなたさえ……、あなたという存在さえ奪えれば。わたくしは、そんな人間のような強さを身に着けられる。早く、わたくしに強さを!! 存在を!!」
再び手を向け、カラドに照準を合わせる。食べたい。強さが欲しい。知識が欲しい。経験が欲しい。全てが、自分には無い。
だから、全てを――
「てめえが何を思って俺に執着してるかは知らねえが。俺を食っても、多分何も変わんねえと思うぞ」
「……そんなこと、食べてみてからではないと分かりませんよ!!」
必死になっていた。生きること、と言われればそうかもしれないが、とにかく、目の前のこと、願いに近づけると思ったら、そこしか見えなくなっていた。
絶やさなかった笑顔が消えていた。そんなことにも、気付かない。ただ全力で腕を振り、カラドを喰おうとする。
けれど、何度やっても。何回攻撃しても。カラドの身体を食うことは出来ない。
「隙だらけだぞ」
「……っ!?」
気付けば、カラドが懐に入り込んでいた。それに対して、何も対処出来ず、知の探求者は腹を勢いよく蹴られ、僅かに残っている壁に打ち付けられる。
どうしてしまったのか。あれだけ圧倒していたのに。あれだけ勝ち誇っていたのに。今はこうして地に伏してしまっている。
ダメージそのものは無いが、だからといってそれでいいはずがない。
何とか立ち上がり、カラドと改めて相対する。
その瞳は力強く、澄み切っている。何も迷いなど、抱いていない。彼も限界であるはずなのに、精力は尽き掛けているはずなのに。勝てる気がしない。
そんなカラドは、戦闘の最中であるにもかかわらず、今日の戦いで初めて、明確に視線を別の場所に向けた。
「……遅かったじゃねえか、レイエル」
カラドの視線を追う。そこにはある少女。衣服を乱している見覚えのある少女が、膝に手をついて呼吸を整えていた。
突然の少女の介入。それにも驚いたが、それよりもその彼女が手にしている一冊の本。見覚えのあるそれ。あれは――
「っていうか、レイエルで良かったよな? フェローっていう聖霊とかじゃねえんだよな」
「私は私ですよ――って、そんなことより!! カラドさん、その、腕が……」
「大丈夫だって、これで二回目……じゃなかったな。あん時はお前に化けたフェローだっけか。ややこしいな」
神聖ささえ醸し出していたこの空間が、一気に賑やかになった。そして、生気に乏しかったカラドもまた活力を取り戻したように、表情豊かに笑う。
少女が一人来ただけなのに。未だに不利な状況であることには変わりはないのに、何故笑っていられるのか。
「どうして、あなたたちはそこまで……」
また問い掛けてしまった。この世界は、分からないことが多すぎる。それを知っている人間が羨ましく、そして妬ましい。
一人の少女が、歩み寄ってくる。そこには恐怖があったが、それに臆する様子も見せず、目の前で立ち止まった。
「これ、何か分かりますか?」
少女が見せるそれは知の探求者には見覚えがある。昨日も、その本を借りたばかりだ。
「これはあなたのルーツが書かれている本、魔導書です。あなたは聖霊に近い存在。どうやって出て来たのかは知りませんが、聖霊ならば魔導書とセットなはずです」
「ルーツ……」
知りたかったもの。知りたかったこと。
あの本の中に、それが書かれている。
「魔導書のことは、全く知りません。これであなたがどうにかなる確証も無いんです。でも、これしか方法は無いんですよ」
彼女の手に持つそれ。その中にいた記憶は無いが、それはとても懐かしいものに感じた。
少女は本を掲げ、
「魔導書は開いた瞬間、導かれるようにその中に入り込んでしまいます。これが魔導書であるのならば、恐らく……」
そして、それは開かれた。
この空間を包み込むほどの光。暖かくて、そして、何処か懐かしい。
それは視界を塗り潰し、保っていたはずの意識は、何時の間にか途切れてしまっていた。
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