第三章⑫
力そのものとしての光。カラドが身に纏っているそれがシャルの特筆すべき能力。
彼女の真名はローラン。
その伝承は現在でも語り継がれ、彼女自身が伝説の存在だ。ローランが所属するシャルルマーニュの騎士団において、その活躍ぶりから彼女の存在がシャルルマーニュの伝説と呼ばれるほどに、英雄であり伝説だった。
彼女の行使する能力はその伝承の中の、力が付け加えられた部分。それが光となって、彼女の能力そのものとなっている。
力は何も物を破壊するためだけのものではない。力は様々な意味を持ち、役割を持つことが可能だ。その光は当然基本的筋力の底上げから、超常的なほどの速度を出せる力まで、様々に応用が出来るのだ。
聖霊として、その指輪の所有者と一体化すれば、所有者自身がその能力を行使出来るようになる。
シャルが宿る指輪の所有者であるカラドもまた、その能力たる光で、自信の力を強化。それによる超速度を可能としていた。
今までのそれとは比べものにならない。持てる力の最大限を以て、カラドは
「――!?」
それはほんの刹那。視界からその姿が消え、気付けば
光そのもの。そう思えるほどに、突如現れたそれは眩く、そこにいるだけで身を退いてしまう、それほどの存在感を纏わせている。神とまでは呼べないが、それを見ただけでは人間とは到底思えない存在。そんな異質とも言えるカラドが、目の前にいる。
この青年を喰うために、
「どこ狙ってんだよ」
肉を切る感触はない。あったのはただ宙を薙いだ感覚のみ。
気付けば、光はその残滓を残し、後方からの声により
ステラを抱えたカラドは、呼吸を激しく、しかし何処か落ち着いたような表情を浮かべ、穏やかにその少女の身を壁際に寝かせる。
「これでてめえの盾は奪った。こっからが、本番だ」
最も懸念すべき要素は取り除かれた。
ステラの救出。それが済めば後はもう逃げてしまえばいい。戦う必要性は今消えたのだから。もう目の前の化け物を相手取る必要は、無い。
しかし、カラドの視線は尚も鋭く、
「てめえは生かしておけねえ。ここで逃げれば、また今日みたいなことになるかもしれねえんだ」
これ以上、自分のために誰かが犠牲になるなんてことはあってはならない。今ここで対処しなければ、これと同じ、もしくはもっと大きな被害となってしまうかもしれない。
それに、今日のこの全てはカラドを狙ってのこと。何よりもカラドはそれが気に入らなかった。狙うなら自分だけにすれば事足りるだろう。何より無関係者を盾にするという外道行為。これに何も感じない人間は恐らくいない。
止めなければ。二年前のそれも、近頃起きている事件も、その全てに、終止符を打たなければ、それらはこれからも続いてしまう。
もう一度、先程の最高速度で、立ち向かう。一度使ってしまったので虚をつくことは出来ないが、それでも、一度や二度見たところでこの速度には順応出来ないだろう。
カラドの身体が動く。そう、
「なっ!?」
「喋るなよ、舌噛むぞ」
驚きの言葉への反応が、背後から聞こえる。
そして、それでもカラドの連撃は止まることは無い。
壁と人、床と身体がぶつかり合う音がしばらく続き、ようやく終わった時には、カラドの乱れた呼吸音だけが、廃図書館に響いていた。
「どう、だ。これで少しはダメージが……」
瓦礫や木片、廃図書館を形成していたそれらの中に、
あれだけの、攻撃。あれだけの衝撃を与えたのに。その男の身体には、傷と分かるそれは無く、そして、いつも通りの薄気味悪い笑顔をカラドに向けていた。
やはり化け物。カラドは嫌でも、そのことを再認識させられた。
あれだけのことをされて、尚も無傷。この存在に、勝てる人間はいるのだろうか。
カラドの胸中には、そんな絶望にも似た感情が芽生え始めていた。
「俺は、こいつを――」
だから、気付けなかったのかもしれない。
知識を得るための、摂食。対象が人であるなら、その人物そのものを文字通り食らう、必殺の一撃。
それに気付いたカラドは、素早く後方へ跳んだ。それと同時、ただ知識が欲しい、そんな純粋な思いが形となったものが、放たれた。
先刻まで響いていた衝撃音とは比較にならないほどの、破砕音が周囲に渡る。直撃を受けた壁は崩れ、粉塵を巻き上げた。
「ようやく。ようやく、喰えました!! この味、この知識は、益々わたくしの知的好奇心を増幅させてくれますね」
そこに映る景色は、およそ図書館にはそぐわない鮮やかな赤。乾いた床を、伸びるようにしてその赤は浸食していく。それは勢いが収まることはなく、徐々に床を飲み込む。
「それにしても、流石ですね。自分の身よりもまず、その少女の身を庇いに戻るなんて。確かにそこまでは摂食範囲でしたからね、そのままあなたが避けていればその少女はわたくしに喰われていたでしょう。いやはや、中々出来ることではありませんよ。まあそのおかげで、わたくしはこうしてあなたの一部を喰うことが出来たのですけれど」
「て、めえ……!!」
ステラを片手で抱き抱える。膝を折ってしまっているせいでバランスが取れないが、しかしこうすることしか出来ない。片手で、少女を支えることしか出来ない。
あるべきものの喪失。左腕があった場所からは血が溢れ出て、それに伴う激痛が、全ての状況を物語っていた。
片腕が食われた。どうやら
これが、この結果が
呼吸はより乱れ、全身からは嫌な汗が噴き出てくる。
溢れ出る血の色はカラドの心を徐々に圧し折っていく。血が失われ正常な判断が出来なくなる。そして、やがて迎えるのは、死だ。
死。明瞭なイメージなど持ち合わせていないが、全身に走る痛みと、流れる血。そして何より、目の前で笑う化け物。それらにより、カラドのそれはより正確に、より鮮明に浮かび上がる。
死にたくないと、無意識に、生きるものとしての本能を以て、望む。
生きなければならない。死を間近に感じるからこそ、より強くそう思える。
それに、いい加減この知の探求者絡みの事件に嫌気も差してきた。もうあの存在に振り回されるのもうんざりだ。
カラドは折れ掛かった心を奮い立たせ、立ち上がる。
足元がふらつく。片腕を失ったからかバランスが上手く取れない。それでも、目の前にいる敵から目を離すことはしない。ただその視線を真っ直ぐに、化け物へと突き刺す。
「片腕を失ってなおその気力。尊敬の念さえ抱いてしまいますね」
心にも思っていない発言を一々相手取る余裕は、今のカラドには無い。立っているだけでもやっとだ。
「それで、立ち上がってどうするつもりなんですか。まさかその状態で戦うわけでも無いでしょう」
化け物が手をかざせば、カラドの命など今なら容易に奪える。幸い、シャルの能力は消えていないので多少凌ぐことは出来るだろうが、それも時間稼ぎに過ぎない。
現状、カラドには何の手立ても無かった。折角助け出したステラも、このままでは危機的状況であることには変わらない。
――結局。
何も出来なかった。両親を殺した
ステラを助けに行くと、息巻いてレイエルにそう言って飛び出たにもかかわらず、何も成し遂げられていない。
また、罵倒されるかもしれない。
「何ボロボロになってんですか。あんなに威勢良く出て行ったのに」
出血過多か、痛みによるショックか。いずれにせよ、とうとう幻聴まで聞こえ始めてきた。おまけにレイエルが近づいて来る幻視まで見える始末だ。
「ほら、シャキッとしてくださいよ」
「……」
幻聴幻視に加え、優しく叩かれた頬からは体温も感じる。
これは、身体が壊れ、それによる幻覚でも何でもない。
「レイエル、か?」
「今更何言ってんですか」
いつもの軽口。はっきりと確認が取れたわけでは無いが、それだけで十分だった。
「と言っても、僕はレイエルの聖霊、フェロー。この姿はレイエルに化けてるだけで、ホントのレイエルは今この廃図書館で奴の魔導書を探してる」
「……なるほどな、便利な聖霊だ」
レイエルであろうが、そうでなかろうが、どちらでも構わない。味方が来てくれた。それだけで、カラドの心身は楽になる。
一人だけではない。その事実で、幾分安らいだカラドとは対称に、フェローは険しい表情を浮かべた。その視線は、左腕だった場所に注がれている。
「……あんた、腕が」
「大したことねえよ。殺されなかっただけマシだ。それより、フェローって言ったか。こいつを頼む」
抱えていたステラを、フェローに引き渡す。色々と掛かっていた重圧が、カラドの身体から消える。
大分と出遅れたが、これでようやく思い切り戦闘に専念出来る。
「そいつを安全な場所に匿って、そんで助けを呼んで来てくれりゃ、助かる」
カラドの視線は真っ直ぐに
今のカラドに出来ることは、この化け物の足止め。それを妨げる要因は、徹底的に排除する。
何か言い掛けたフェローも、その意思を汲み取ったのか、大穴の開いた壁を通り、この空間から立ち去るため駆け出した。
「……しばらく様子を見てましたけど、彼女、いえ彼と言った方が正しいのですかね。彼は先日書庫で出会った少女の、聖霊でしょう。彼の味も、気になっていたんですよ。それに、これ以上危険因子を増やしたくは無いんですよね」
不気味なほど、静観していた
食らえば再生の余地も無い一撃を放つ手を、その場を離れるフェローへと向ける。
フェローは当然気付かない。気付かないまま、死んでいたはずだった。
構えていた
「やらせるかよ」
轟音が響き、粉塵が舞う。それでも知の探求者は、笑うことを止めない。
力を込めた所為か、カラドの傷口からはその血が止まることは無く、寧ろ勢いを増している。痛みが押し寄せる。死が迫る。けれど、倒れるわけにはいかない。
「効かなくたって、やらなきゃならねえんだ。時間稼ぎだって、誰かがしねえとな」
その結果は既に見えていた。こちらの攻撃が効かないことは、何度もやって思い知らされている。
ただ、そんな見え透いた結果にも、意味がある。一般人の退避と、救援までの相手。
レイエルが廃図書館で
着ていた服を破り、カラドはそれで口と片手だけで器用に負傷箇所を締め付ける。
倒れないために。これ以上、知の探求者に好き勝手にさせないために。
「追い詰められたネズミは、結構しぶてえんだ。覚えとけ」
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