第三章⑩
『なるほどな。大体話は掴めた』
トゥーラは納得したように、受話器越しでも分かる溜め息を吐いてそう言った。
今までのことを全て話した。今日起きたことが主なものだが、それだけで熟考しなくてはならない出来事が多数ある。その中でもやはり、カラドの父が残した手紙、
トゥーラが次に放った言葉も、それだった。
『
どうやら呆れ返っているようで、何度目か分からない溜め息が返ってくる。襲われたのはほんの昨日のことだが、二日続けて
ただ何時までも呆れてばかりでもいられない。現れたのならばそれなりの対処法を考える必要がある。
「トゥーラさんは、どう思いますか。この手紙」
『……分からないな。そもそもカラドの親父さんが残したものだ。彼の司書官としての活躍は知っているから信憑性はそこそこに高いだろう』
「じゃあ書いてあることは……」
『まあまず本当のことだろう。辻褄も合っているし、何より私たちはそれを確かめる術を持たない』
つまりこれを信じるしかない、というわけだ。筋も通っていて、納得出来るものだがやはり到底信じられない。
「じゃあやっぱり、
「そういうことになるな」
手紙に書かれていた内容、その一つ目がこれだった。
「魔導書ってことは、本なんですかね。本が擬人化?」
『本そのもの、というわけでは無いだろう。そこに書いてあるように思念体のようなもの、例えるならば私たちの指に嵌まっている聖霊、それに近い存在なのかもしれない。魔導書の思念体。指輪も無しで現界した例など聞いたことも無いが』
レイエルは視線を下に落とす。そこには煌めく指輪が嵌められている。
思念体。トゥーラの言う通り指輪に宿っている聖霊のような存在、そう言われれば妙に納得出来てしまう。彼らも同じように人の容姿を持ち、言語を話す。なるほど聖霊とかと知の探求者はあまり変わりがないのかもしれない。それでも、一緒だとは思いたくは無いが。
「なるほど。だからどんなに攻撃しても、傷がつかなかったんですね」
『そう考えるとな。飽く迄も推測に推測を重ねたものだが、理に適ってはいる』
それでも分からないことがある。
聖霊とかそういった類のものならば、魔導書からの現界という点は符合しても、攻撃を受けても傷がつかないという点は合致しない。レイエルの聖霊フェローもそうだが、ほとんどの聖霊は人間のように、攻撃を受ければ傷付くし、致命傷であれば死んでしまう。聖霊という以外、人間と何も変わらないのだ。
しかし、
その点で言えば、
「でも、それが分かって、
そう。
このことを知った意味が無ければ、また振出しに戻るようなもの。そうなってはいけないと思いつつも、どれだけ思考しても具体的な改善策が思いつかない。
そんなレイエルの焦りを受話器越しに捉えたのか、トゥーラはその声を幾らか柔和にさせ、告げた。
『だからこその、その次の内容だよ』
「次って、
『そう。舌の部分に何か文字のようなモノが刻まれていたらしいじゃないか。
魔導書と文字。これに一体何の関係があるのか。内容として手紙にはこれだけしか書かれていないのだから、二つに関連があっても何らおかしくはないが、レイエルにはその答えが導き出せない。
当然のようにそう語るトゥーラだが、レイエルにはそこまで瞬時に応えまで辿り着けない。レイエルの返答を待たず、トゥーラは続ける。
『レイエル、魔導書というのはどういったものか知っているか?』
「馬鹿にしないで下さい、それぐらい分かりますよ。魔導書っていうのは普通の本じゃない、先祖伝承などある存在を具現化させるためのもので、私たち司書官が集めるべきもの。大まかに言えばこんなところですかね」
『そうだ。その認識は間違っていないし、おかしなところは何一つ無い。ただ、魔導書は普通の本では無いが、本ではあるんだ』
「えーっと……、中身がそういったもの、って意味ですよね」
『そういう意味でもあるな。ただ私が言いたいのはそれ以前に、魔導書は本として扱われているということだ』
トゥーラの言葉にレイエルは軽く混乱する。言っていることは分かる。魔導書はその形は本であり、普通の人間にとって、つまり魔導書に選ばれなかった人間にとってはそこら辺にある本と同じなのだ。トゥーラが言いたいことはそこだろう。
魔導書という仰々しい名前ではあるが、そうなるまではただの本だ。一般的な書架に置かれているし、市民の目にも届く。図書館分類法できちんと区分もされている。と、そこまでに思考が達したレイエルはそれを熟考する前に、口に出した。
「図書館分類法……?」
『そういうことだ。魔導書だって分類されている。その考え方が必要だったんだ』
遂に正解を導き出したようだが、肝心のレイエルはその単語を呟いただけで実のところまだ今一つ分かっていない。それを知ってか知らずか、トゥーラは説明を始める。
『魔導書というのは普通の本なんだ。そこまではいいな。誰もそれが魔導書だとは思わない、普通の本と同じように処理されてしまう。だから、図書館分類法にだって当て嵌められる。選ばれた者でなければ、普通に貸し借りも出来る。魔導書とは、そういった存在なんだ』
これが図書館が魔導書を集める理由でもあり、簡単には集められていない現状を作り出している。
一歩間違えば戦力の提供。しかしそれは簡単には食い止められない。普通の本と同じなのだから、事前に止めるというのは、難しい話だ。
魔導書と本には見分けが無い。よってそこには平等に、図書館分類法によって文字が振り分けられているはずだ。
「魔導書に、知の探求者に刻まれた文字、それに、図書館分類法……」
『分かってきたみたいだな。
「
『ご名答』
二つの内容が、一つに繋がった。思えば簡単なことだ。もっと早くに気付けたかもしれないが、そこを嘆いている暇は無い。
「凄いですねトゥーラさんは。短時間でこんなこと導き出せるんですから」
『魔導書に成る条件までは分からない。そもそも魔導書が普通の本からの突然変異によって成る、という事実が発見されたのはつい最近のことだ。それが無ければ私だって分からなかっただろうさ。間違っているという可能性だって無いわけじゃない』
「それは、多分有り得ませんよ」
それまでとは違う、自信に満ちた声。即座に返ってきたそれにトゥーラは何処か嬉しそうに尋ねる。
『へえ、何故だ』
「カラドさんが、その文字を見たって言ってましたよ。書かれてた文字は『573』だそうです」
『なるほど。これで確定したわけだ』
『とりあえず、その番号で、尚且つ魔導書に成り得そうな本がこの図書館にも無いか探してみるとしよう』
「そうですね、何か手がかりになるかもしれませんし」
『悪いが少し電話を切らせてもらう。またこちらから電話を掛けるよ』
トゥーラはそう言い、通話を切った。
静寂がカラドの家に訪れる。緊張の糸が切れたような感覚が、レイエルを包み、今の状況を確認する余裕が生まれる。
レイエルの視線はある部屋へと向けられる。そこではニコが眠っている。走り、知らせに来てくれたニコは疲れからか寝てしまい、今はカラドのベッドで寝かせているのだ。
ニコが知らせに来てくれなければ、事はもっと大きくなってしまっていたかもしれない。今でこそカラドがそこに向かっているが、もっと遅くなっていた可能性もある。
全員が、思い思いに、自分にできる最大限のことをやっている。
――自分には何が。
その答えに辿り着く前に、電話が掛かってきた。
『レイエル? どうにか見つけた。済まないな、手間取ってしまった』
「いえ、寧ろ全然早い方だと思うんですが」
電話を切ってから五分も経っていない。あれだけ膨大な量の本の中から一冊の、しかもヒントは分類された数字の一部分のみでしかないにもかかわらず、ものの数分で探してきてみせた。
喜びよりも先に、驚きの方が速く口から出てしまう。
『まあ色々と方法はあるし、舌に書かれた文字をカラド君がそれしか見ていないってことは、図書館分類法、その最後の数字の羅列だと思ったんだよ。それで、大体は絞り込める』
さらりと言っているが並大抵のことではない。本全てを覚えていなければ出来ない芸当だ。
ともあれ、見つかったのならば僥倖だ。これで
『そうして絞り込んだ本が、ある国の英雄叙事詩について書かれているらしいんだが……』
珍しく、トゥーラが言い淀んだ。何か問題でも起きたのだろうか。レイエルは俄かに不安を覚える。
「ど、どうしたんですか? ていうか、らしいって……」
『そうなんだ、レイエル。見つけたとは言ったが本そのものは図書館には無かった。現物が無い、飽く迄もその本の情報だけをなぞっただけだ』
「え、本は、本はどこにあるんですか?」
『……ティーク・ボエロという人間が昨日その本を借りている』
二人の間を沈黙が流れる。借りられた。図書館なのだから本を借りるという行為にはおかしいところは何一つ無い。そのための場所なのだから、本を借りて当然だ。
ただ、タイミングが良すぎる。昨日と言えば
「あの日、
『とりあえず、そのことは今はいい。大事なのはその本についてだ』
気には掛かるも、本題はそこではない。借りられた本、
『図書館分類法によって定められているコードは124―5―573。その棚を、ブリューゼル第十廃図書館にあるそこを、調べて欲しい』
「分かりました。多分、それが――」
自分自身、レイエルのやることははっきりしている。
戦闘向きでは無い。だからこそ、こういった役回りで行動しなければ駄目だ。
誰にでも出来ること。けれど、今話している自分にしか出来ないこと。
ただ本を探す。
「じゃあ、ちょっと行ってきます」
『ああ気を付けてな。……私も向かうが、援護には間に合いそうにない。本当は私がしなくてはならないことだが……』
受話器から聞こえる声は、申し訳なさそうに耳に響く。
らしくない。自分が尊敬する上司は、もっと威厳がある。やはり、どうしても心配なのだろう。
「大丈夫ですよ。トゥーラさんが来るころには、全部終わってますって」
だからこそ、上司に無駄な心労を掛けさせないのが、良い部下の務め。レイエルは気丈にそう告げ、受話器を置いた。
「さてと……」
向かう先はブリューゼル第十廃図書館。カラドが先行して向かっていたが、果たして彼は道を知っているのだろうか。一度訪れたことはあるが、その図書館は結構奥ばった所に設けられていと記憶している。
「とにかく、急がないとですね」
レイエルの足取りに迷いは無く、確かな力で全ての元凶の元へと向かう。
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