第三章⑨
廃図書館というものがある。
現世界で、図書館の数はそれこそ多く存在するが、中には廃れてしまったものもいくつか存在する。
理由は様々。単純に人が全く来ない利便性に劣ったモノ。開発途中で様々な諸問題、例えば開発企画者の意向変更や費用の不足などにより中途半端に作られて放置されたモノ。事故や事件によって、それまで通りのその図書館の運営、開館が困難になったモノ。そういったモノは決して少なくは無い。
それぞれ原因は違えどそうして廃れていき、利用されなくなった図書館は打ち壊されることは無く、今でもその場所に在り続けている。
開発費も無駄ならば、それを取り壊す費用にも莫大なお金が掛かる。幾ら図書館が世界的権威であっても、民衆にそこまでは認められていない。その結果として、取り壊されることは無く、誰も使わなくなった図書館は放置されているのだ。
そしてここ、ブリューゼル第十廃図書館もまた、そうして生まれた廃図書館だ。この廃図書館は事件事故によって出来上がってしまった場所。そこには誰の介入も無く、当時のままの姿が残されていた。
誰もいない。誰も入れない。廃図書館は、図書館の許可を受けなければそこに入ることは出来ない。だから、今ここには誰もいてはいけないはずだった。
「ここも懐かしいですね」
しかし、人の声が響く。
入ることは一部にしか許されていない。けれどその人影は堂々と、入り込んでいる。その領域に、我が家のように。
寂れた図書館を慈しむように、知の探求者はその光景を眺めていた。
辺りには本や棚の木片、捲れ上がった床や倒壊した柱、崩れた壁などの砕片が散らばっており、それはここが昔図書館として利用されていたことを示している。
雨風ですら防げない、この建物とも言えるのか疑問である廃図書館。その中を散策するように
ここも、
崩れた壁や床には歯形上にくり貫かれた穴が多く見られ、最早図書館では無く遺跡の様相を呈している。
ここは今までの図書館の被害の中で最も酷く、そして最も古い場所だった。
暴虐の限り、本能の赴くままに食い散らかした跡が、生々しく今でも残されている。当然だ、誰も訪れていないのだから。誰の記憶にも、とっくに残っていないのだから。
覚えていないのは当たり前。触れられないのは必然。人はそうやって、忘我の最中、遺却した上で過ごしている。
無かったことにされた存在。そう、知の探求者の目には、この廃図書館は映っていた。
初めからゼロだったわけではない。それこそここの図書館は、その当時は国の中心地にも引けを取らないほどに利用者に溢れていたらしい。求められていた。その図書館自身には意味があった。
けれどそれも滅んでしまえば無となり消える。そうして消えた物は、何時の間にか人々の心からいなくなる。簡単な理屈だ。
人々は自分たちが使ってきたもの、利用してきたもの、作ったものでさえも、平気で壊し、そして忘れる。折角覚えたのに。折角その存在を認知出来たというのに。そこに躊躇いも未練も見せず、忘却し、そしてまた新しく覚える。
何という不器用な生き方だろうか。そのことを常に覚えて心に刻みつけていれば、同じ過ちを繰り返すことも、同じ作業を繰り返すことも無くなるだろう。そんな生き方は、自分には出来そうも無い。
いや出来ない。やろうとしても、出来ないのだ。自分自身は元々知識そのものは持っていない。頼れる知恵も、役に立つ経験も、何もかもゼロの状態から始めている。忘却出来るものは持っていない。覚えてもそれを手放したくは無い。人間のように、いらないものを忘れることなど出来なかった。
何も無い自分が怖かった。空虚な存在が嫌だった。そんな思いが、あったのかもしれない。
今となっては自分でどう思っているのか分からない。とにかく食えるものは食う。得ることが出来るものは得る。そうして、知識を増やせるのだから。そうして他の人のようになれるのだから。そうすれば、存在することに意義も見出せるのだから。
それならばどんなことだってしよう。人を殺すことだって、盗みを働くことだって、無関係の人間を巻き込むことだって、必要なことだ。しなくてはならない。
腕の中では、一人の名も知らない少女が眠っている。意識は飛ばしただけ、傷一つ付けていない。
それがどうしたと、結果として犯罪行為に及んでいるではないかと、言われてしまえばそれまでだ。実際自分にはそれほど犯罪意識というものがない。人を殺すことに罪悪感など無いし、やっていることは自分のためだと、きっちりと線引きは出来ている。
ただやはり憐れという想いはあり、少女に手を加えるという行為には及ばない。カラドという人間をおびき寄せるためだけの餌なのだから、残忍な人間でなければ無駄に傷つけることなどしない。
ただ純粋な知識欲のみによって、動いていた。
忘れないように。覚えようとして。知の探求者は今まで活動してきた。それだけを生き甲斐としてきた。
眺める景色を見て思う。今この状態の図書館と、昔の自分自身は、酷く似た者同士なのではないのかと。
今は何も無い。英知の結晶と謳われた図書館も廃墟同然。人々から、忘れてしまわれるような、小さな存在と成り果ててしまっている。何者でもない、存在すらしていないも同様。そう、自分はなっていた。
だから個性が欲しかった。だから知恵が欲しかった。だから何か一つでも、支えになれるものが欲しかったのだ。だから生きる意味が欲しかった。この図書館のように、廃れ、記憶の海に流されてしまうような存在にはなりたくなかった。
何も無い状態から、ここから全てを食べ始めた。人も本も、様々な物質も、それら全てを糧と、知識として吸収していく他無かった。けれど、そうしても、食べても食べても腹も脳も何も刺激されない。知識を得ているという感覚は有り、それが幸せでもあるのだが、どうにも物足りない。
その点で、カラドは光り輝くものがあるように見えた。それまでの知とは違うものを持っているのではないか。それまで自分が見てきた経験、知識。そんなものとはまた別のものを教えてくれる気がしたのだ。
故に
あれさえ手に入れられれば、自分という存在そのものに、意味を、意義を見出すことが出来るはずだ。
誰にでもある、存在する意味。そればかりは幾ら知識を得、吸収したところで確立させることは出来ない。誰かの助けを請い、初めて辿りつける真理。それにカラドという男は道標となってくれる。
そうであってほしい。そうでなければ、困るのだ。
待ち遠しい。彼が、あの男が。来るかどうかは知らないが、先程から胸が高鳴って仕方ない。
早く、はやく、ハヤク―!!
「見つけたぞ、知の探求者!!」
自分でも笑みが深くなっているのが分かる。それほどまでに、その声は待ち侘びていたものだった。
振り返る。そこには、光の衣に包まれた、赤髪の青年がいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます