第三章⑧

 攫われた。ステラが。

 耳を疑う言葉だったが、それだけで、ニコの今の姿や必死さは説明できた。何があったのかも、容易に想像出来てしまう。

 驚いているカラド達に、ニコは絶え絶えになりながらも続ける。


「ステラの家行ったらさ……、カラド兄ちゃんの、就任祝いするって……。ステラは倉庫に物を取りに行ったって……。だからさ、俺、追いかけてったんだ……。そしたらさ、ステラが、ステラが首を掴まれててっ」

「落ち着け、ニコ」

「何が何だか分かんなくてっ。とにかく助けなきゃって。落ちてた棒を拾って、助けに行ったんだ。向かっていったっ。……でも、ダメだった」


 何時の間にか、ニコの呼吸の乱れは、嗚咽に変わっていた。それは恐怖か悔しさか、落ちる涙は止められず、言葉もまた漏れ続ける。


「足も身体も、震えてて。一回避けられただけで、もう動けなかった。そんな俺を、見下したみたいに、あいつはっ、あの男は知の探求者ブックイーターだってっ。そう、名乗ってた」

「っ!!」


 ニコの嗚咽と共に出て来た化け物の名。昨日と今日で、その呼称は随分と聴き慣れてしまった。図書館を、司書官を、それら全てを喰い彷徨っている存在。それがここまで、こんな郊外にまで現れてしまった。


「……ブリューゼル第十廃図書館にいるから来いって、そうカラド兄ちゃんに言えって、そう言って……、逃げやがった。そんでさ、そいつがいなくなった途端、俺、怖くなって。気付いたらカラド兄ちゃんの家に来てた……」


 ニコは身体を折り、涙を声に詰まらせている。

 知の探求者ブックイーターの狙いは明確。カラドだろう。ここまでされれば誰だって、分かってしまう。だから尚のこと、怒りは増すばかりだ。

 カラド自身が狙いであれば、一人を狙えばいい。自分と戦いたければ、目の前に現れるだけでいい。しかし、知の探求者はそうしなかった。


 無関係の人間を巻き込んで、危害を加えた。しかも狙いはただ自分をおびき寄せるためだけのもの。正直言って、とても不愉快だ。

 こんなことをされて気分のいい人間などいないだろうが、自分の名前を出されてそれをされると、それの関係者だと思えてきてしまう。満更関係者と言えなくもないが、そう一緒にされるのはカラドにとって心外だった。


「あの野郎……っ」

「ちょっ!? カラドさん、どこ行くんですか」


 わき目もふらず、玄関へと飛び出していったカラドに、レイエルは呼び掛けたが、聞かなくても分かる。カラドという人間性は、この二日間で分かるぐらいには単調で、あっさりしている。


「決まってんだろ、ステラを助けに行く」


 容易に予想できた返答。だからこそ、レイエルは溜め息で返す。


「こんな時だからこそ、冷静にいかないでどうするんですか。一人先走って、やられちゃったら目も当てられません」

「こんな時だからこそ、だろ。俺が原因なんだ。他に誰が適任だ」


 責任、のようなものを感じているのだろうか。兄のように慕ってきたステラを、やはり一刻も早く助け出したい。だからこそ、いつもよりも感情的で、直線的になっているのかもしれない。

 だが、ステラを助けたいという気持ちは、何もカラドだけでは無い。


「これはあなただけの問題じゃ無いんですよ。私も、行きます」


 ただ日常を過ごしていただけの人間を、恐怖に陥れるなど外道もいいところ。知の探求者ブックイーターに対してはカラド同様、怒りがレイエルの中でも込み上がっていた。


「でもその前に、トゥーラさんに連絡を取りたいところですね。何か分かるかもしれませんし」

「冷静にいるのは賛成だけどな、悪いがそれまで待ってろってのは無理だ」


 カラドには焦燥こそ見られはしないが、こうしている時間でさえも惜しいのだろう。極めて精神は冷静に努めているが、それとこれとは話が別だ。

 冷静になっても、結局行動しなければ手遅れになるのかもしれないのだから。

 ただレイエルは、そのことを踏まえて冷静になれと言っている。助けに行ってやられれば元も子もない。そう伝えても、カラドは止まらない。


「カラドさん!?」

「トゥーラさんにはお前が連絡付けてくれ。俺はちょっと、その間の時間稼ぎだ。ニコ、わざわざ言いに来てくれてありがとな」


 言うが早いか、カラドは指輪からシャルを降臨。瞬時にその身に光の衣を纏い、玄関口から飛び出していった。

 残されたレイエルは嘆息を一つ吐く。

 何を言っても無駄だということは分かりきっていた。どう言葉を変えても、どう説得しても、彼はステラの元へと向かったはずだ。

 正直それが得策とも思えないが、トゥーラへの連絡は一人でも出来る。この場に二人いる必要が無い。それならば確かに、二手に分かれて行動に当たった方が効率はいい。

 カラドは自分のやることを。レイエルも自分に出来ることを、今はするしかない。

 レイエルは受話器を手に取り、ブリューゼル第八図書館へと繋がるためのコードを入力する。数回のコールの後、その人物の声が届く。


『はい、こちらブリューゼル第八図書館――』

「トゥーラさんですか!? 私ですよ、レイエルです」

『レイエル? 電話だなんて何の用だ』

知の探求者ブックイーターが出ました。しかも、今回は民間人を誘拐してるんです」


 受話器の向こうで息を飲んだのが分かった。これまでは知の探求者ブックイーターは司書官にしか手を出していなかった。それが今回は民間人、そういった存在とは縁の無い人が狙われた。それなりに衝撃だろう。


「……そっちで何があった」


 トゥーラの声色は重く、厳しい。嘆いているのか、怒っているのか、電話越しでは詳しく判断出来ない。

 何から話せばいいのか。レイエルの頭では今日起きた複数の出来事が、渦を巻くように巡っていた。

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