第三章⑥
陽が沈み切る前の、闇と光が交じり合う時間。昼間の陽気な気候はどこへ行ったのか、吹く風はやけに冷たく感じる。
そんな中を、ステラは歩いていた。
町の鐘はとっくに打ち鳴らされ、それはありとあらゆる営業時間の終了と、一日の市民活動の終わりを意味する。通常それは成人した仕事に就いている人間に当てはまるモノなのだが、外で元気よく遊ぶ子供にも該当する。
それでも、その時間を過ぎてステラが外出しているのは、親にお使いを頼まれたからであった。カラドの司書官就任祝いで、カラドとレイエルを家に呼び盛大に祝すらしい。
「それはとてもいいことなんですが……」
何も足りない材料を買いに行くほどのことでもないだろう。それでなくても、カラドの就任を告げたのが昼頃で、母はその時から既に準備を始めていた。その上でまだ必要なものがあるのだろうか、などと脳内を不満で埋め尽くす。
ブリューゼル首都から離れているこの郊外は、そもそもが住んでいる人数が少なく、今のように鐘が鳴ってから外出している人間はほぼいない。
おまけに郊外でも今ステラが歩いているこの辺りは普段から人通りが多くなく、夜ともなれば不気味な雰囲気に包まれる。出来ればこんな道、通りたくないぐらいだ。
明かりと言える明かりは月のそれのみ。小道に沿って生えている草木が闇を一層濃く演出させており、そこからいかにも何か得体の知れないものが飛び出してきそうで、ステラの鼓動は自然と速くなっていた。
「ん?」
見えない恐怖に気を取られていた所為か、前方に一人の男が立っていることに、直前で気が付いた。ろくな明かりも無く、具体的な表情までは分からないが、その男の衣服はボロボロで、頬は痩せこけている。それに、よく分からないが関わってはいけない雰囲気のようなモノも感じる。
ここは家と少し離れている倉庫とを繋ぐ道路で、こんな場所に人がいること自体稀だ。とっとと追い抜かしてしまおう。そう考えていたステラの足は次第に速くなり、特に何も起こることなく、その男を横切った。
無事通り過ぎ、それで少し安心する。人がいなくても怖いが、見知らぬ人がいた方が何倍もその怖さは膨れ上がるものだ。
「カラド兄さんも来ますし、早く帰らないと」
手早く用事を済ませて帰ろう。そんな気持ちとは裏腹に、恐怖の山場を乗り切ったステラの歩行は徐々に緩くなっていった。
安堵の気持ちが少しでも芽生えたおかげか、歩行速度だけでなく、他のことを考える余裕も出てくる。主に今日起きた出来事についてだが、本日のイベントは今まで当たり前に続くと思っていた生活を一変させるほどのものだった。
尊敬していたカラドが司書官になった。秘めていた恋心が初めて出会った人に一発で看破された。
驚きの連続で、ステラ自身未だについていけていない。ただそれらは決して悪いことでは無いのだ。カラドが司書官になったことも、しばらく気軽に会えないことは寂しいがそのこと自体は良いことだ。恋心だって、いつまでもウダウダと考えてばかりで、行動しないわけにはいかない。レイエルはそれに早めに気付かせてくれたのだ。
本当に賑やかな日だったなと、いつもの日常と比べて考える。
これからどうしていこう、どうなっていくのだろう。そんなぼんやりとした未来にまで思考を張り巡らせてしまう。
「あの、そこの御嬢さん」
「ひゃいっ!?」
唐突に放たれた音。
余りに考え事に没頭しすぎていたことと、微かにあった恐怖とが入り混じり、ただ声を掛けられただけで、おかしな声を出してしまった。
声のした方向へと振り向く。そこには先程見かけた、くたびれた男がいた。
「すみません。驚かせてしまったようで。まあ無理もありませんね。夜、しかも暗がりでわたくしのような身なりの男が話し掛けたのですから」
話す男の声は上ずっていてやけに上機嫌にみえる。酒にでも酔っているのだろうか。警戒心を強めたステラに、男はトーンを落とし残念そうな感情を作り出す。
「最近の女性は警戒心が高いのでしょうか。こんなにも上品な口調で話しているのにも関わらず、必ず用心されてしまう。悲しいものです」
男が言葉の通り悲しんでいるのかは分からない。もしかすると無表情かもしれないし、下卑た笑いをしているかもしれない。何せ唯一照らす明かりは月のみ。しかも顔は影となっていて全くその表情は分からない。
ともかく今は悠長に話している時間も男の素性を探っている時間も無い。かといって無下にあしらうのも気が引ける。話し掛けてきたのだから何か用があるのだろう。それだけ聞いて、適当に終わらせよう。そう考えていた。
「あの、私に何か御用ですか?」
「あなたに、というわけでは無いのですが。今さっきカラド、と仰られていましたよね」
何気なく紡がれた、何よりも看過できないその一言。心臓が止まった気がした。
ステラにでは無い。何となく放ってしまったカラドという言葉に、この男は反応した。自分では無く最も強く思う他人への反応は、それだけで、何処か恐ろしかった。
何者かも分からない男。この男はカラドと一体どのような関係があるのだろうか。適当に済ませようと思っていたステラだったが、そうも言っていられなくなった。
ステラは緊張と、最大限に気を張り詰め、男に面と向かう。
「言っていません」
「いいえ確かに言いました。今のわたくしには毒とも薬とも成り得る奇跡の存在。聞き間違えるはずもありません」
そこには確信があった。より一層、カラドとの関係性が気に掛かったが、それよりも何よりも、この男とカラド、二人を会わせてはいけないと直感的に感じ取る。
それまでは感じ取れなかったが、男の放つ雰囲気は独特で、異常で、それなのによく分からない。
「ズバリお聞きしますが、あなたはカラドとどのような関係をお持ちなので?」
質問の意図が、予想出来ない。これに応えて、この男に一体何の得があるのか、何を企んでいるのか、ステラには到底理解出来ない。
どちらにせよこんな怪しさに満ち溢れた人間に、答えない方がいいだろう。それに、もう目の前の男とは関わり合いたくない。
ステラはそのまま、何時でも逃げ出せるよう足に力を入れる。
「そ、そんなこと言えるはずありませんっ」
「まあ何でもよろしいんですけれどね。当てずっぽうでもわたくしとしては問題ないわけですよ」
何やら意味の分からないことを呟いているが、得体の知れない男の言葉に、これ以上耳を貸す必要も無い。
ステラの逃亡への意志はより固く、そこから全力で立ち去ろうとした。
「恋人、とかどうですかね」
「……っ」
一瞬、脚に込められていた力が硬直してしまった。
何に反応する必要があったのか。自分はカラドの恋人などではない。想いを告げられていないし、それはまだ先になることだ。
違う。恋人じゃない。
誰に弁明しているのか、ステラの胸中が目前の男に伝わることは無く、却って動揺を悟られてしまったようだった。
「図星、というわけでも無さそうですが。まあそういう想いがあるということですかね。これは幸先が良い」
悟られてしまった。
この男は危険だ。未知の存在だ。そんなことが今更わかったところで、ステラに何か策があるわけでもない。
そして、そんな後悔をする彼女は、それを見た。
「申し遅れました。わたくし
月明かりに照らし出された邪悪な笑み。それと、最低最悪の化け物を。
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