第三章⑤
家々が連なる集落地帯から少し歩くと、この辺りに住んでいた人達が眠っている墓が見える。
離れた場所ということもあって、ここは静かで、他人の目もほとんどない。神聖で、隔離されたような空間が作られていた。
その中を、カラドと聖霊シャルは歩いていた。カラドの家族はこの辺りに住んでいた。当然、死んだ父も母も、ここの墓地に眠っている。
カラドの足が止まる。そこには一つの石碑。刻まれた名はブラックスミスの姓。
二年前に死没した、父と母の墓石だ。
「あの時以来、ですね」
シャルの言うあの時とは、父と母を供養した二年前のことだろう。カラドはその時以来墓参りなど行っていないし、する気も無かった。
特に思い出らしい思い出も無かった。父と母に固執していたというわけでもない。育ててくれたことに対する感謝の念こそあるが、それはそれ。墓参りをしてまで、その思いを伝えることが馬鹿らしいと思えていた。
そんなカラドが今、親の墓の前に立っている。少し前までの自分ならば、考えられないこと。あの時父の部屋に入っていなければ、あの本を手に取っていなければ、あの手紙を見つけていなければ、恐らく何事も無くその日を終えていただろう。
ふと墓参りがしたくなったわけではない。
死んでいる者と対話をする。そんな夢見の出来事をしにきたわけでもない。
だから、これはけじめだった。自分自身に対する、これからのこと。父の手紙への答え。ただそれだけのためだけに、ここに来た。
「親父……、手紙、読ませてもらった」
きっかけは部屋で見つけた一枚の手紙。親の立場から書かれたカラドへの内容と、そしてもう一つ、司書官としての内容だ。
『
「まさか親父が
もの言わぬ墓石に、カラドは語り掛ける。仮に幽霊という存在がいたとしても、ここに相手たる父はいないかもしれない。それを承知の上で、話し続ける。
「というか、親父がこんな風に手紙を書いてくれていたことに驚いちまったよ。俺には興味なんて無いのかと思ってた」
生きている間は、ろくに会話も無かった。カラドの覚えている限りではという話ではあったが、いつもそうだった。引っ越してきた当時はそれほど酷くも無かったが、司書官としての仕事が忙しくなったのか、徐々に壁は形成されていった。
父はそのことをどう思っていたのだろう。こんな手紙を残すぐらいだから後悔はしていたのかもしれないが、今となってはそれを知る術は無い。
「話し掛けても素っ気無い返事しか返してこねえし、いつも不機嫌な顔してるしよ。かと思えば司書官としての道を残してくれてたり、謝るしお礼も言ってるし。本当、俺は親父のことが最後まで分からなかった」
本心だった。親として、父として。カラドは何一つとして自分を育ててくれた人間のことを知らなかった。それが悲しいことなのか、辛いことなのかは分からない。ただ知っておけば良かったと、心残りが無いかと言えば嘘になる。
もう一生、会えないのだから。
言葉が止まり、物音一つしない墓地に、静寂が戻る。目の前に映る景色にはただ文字が彫られている石だけ。
神秘的な空間だ。そこにはただ石が並んでいるだけなのに、ただの石なのに、思うことを全部飲み込んでくれているような気がする。まるで、本当にそこに人がいるかのように。
「どうしてだ」
ポツリと漏らす。その声は小さく、およそ聞き取れないほどの声量だった。しかしそれもこの沈黙が織り成す空間では目立つぐらいだ。
「どうして謝ったんだ。どうして感謝したんだよ。謝るぐらいなら、最初からやらなきゃいいだろ。それに、感謝されるようなことした覚えなんてねえよ。俺は親不孝で、あんたらの供養の時でさえも、泣けなかったんだからな」
父親は父親で子供に対して何もしてやれなかった。子供は子供で、親に対して何も思っていなかった。
それは悪いことなのだろうか。それは良いことなのだろうか。最早カラドにはその判断さえもつかない。善悪など、この際どうだってよかった。
「俺のことに興味が無かったんじゃないならさ、もっと遊んでくれても、もっと話し掛けてくれても、良かったんじゃねえの」
あの頃、それを望んでいて、期待していた。ニコやステラのような、暖かい家庭みたいに、なれると思っていたから。今ではもう、遅すぎる。
辛かったのかもしれない。寂しかったのかもしれない。半端に、他の家庭というものを知ってしまったから、自分の居場所にも、それを望んでしまった。
父も母も、嫌いだった。いや、その言い方は少し違う。
父も母も、大好きだった。人並みには、子供が親に抱く尊敬のようなものに近い感情は、常に抱いていた。
ただ司書官としての、父と母は好きになれなかった。
「二人とも帰りが遅いからさ。家ではいつも俺とシャルの二人だけ。それが仕方ないことだとしても、納得いくはずねえんだよ」
いつも寝てる頃に帰宅してくるし、家にいても会話らしい会話はない。実質二人で過ごしているようなもの。
「だからだろうな。俺は司書官ってのはあんま好きじゃなかった」
父と母を、悪い言い方をすれば拘束しているもの。司書官に対するカラドのイメージはそれだった。
幼い頃から図書館に通っていたので、それがどのようなものなのかは理解出来ていた。邪悪なものでも、人を堕落させるものでもない。その逆、優しくて頼りがいがあって、物知りで人々を導いてくれる存在。カラドの司書官への認識は、プラスに近いものだった。
だからこそ、父と母が背負わされている司書官というものが嫌いだった。
「憧れた。尊敬してた。夢だったんだけどよ。なるなら絶対に親父とかみたいにはなりたくないなって、そう思ってたんだ。まさか本当になれるなんて思ってもみなかったけどな」
そんな司書官に、なることが出来た。その経緯は納得のいかないものの、なれたこと自体は素直に嬉しかった。
「でさ、なってみて司書官ってのがすげえ大変な職業だってのを痛感させられた。数えきれないほどの本の把握に、利用者の対応。他にも覚えなきゃなんねえことがたくさんあって。正直、俺に出来るかどうか不安だったんだ」
でも、と。晴れやかな顔でカラドは続ける。
「楽しいぜ。知らねえことだらけだし、色んな人がいて面白えし。何より本に囲まれて仕事できるなんて、夢のようだ」
父と母が働いていた世界は、眼が回るような仕事量に、ハードな仕事内容。そしてそれを上回る、仕事に対する楽しさがあった。
初めは成り行き、しかもそれは父親の意図によるものだった。それでも、決して悪いものでは無かった。
「まあなんで親父が俺のために司書官への道を残してくれてたかは分かんねえけどよ。そのことに関しては、感謝してる」
そのおかげで自分は変わることが出来ている気がする。よく分からないが、恐らく変われているだろう。
きっと父も、自分に変わって欲しかったのだろう。司書官の楽しさを知って欲しかったのだろう。カラドはそう思うことにする。
そう、だからこそ。この道を残していながら、最後の内容が、あの存在に触れていることに引っ掛かりを覚える。
「
ここに記しただけなのならば、未だ
この『
「もしかしたらさ、あんた。俺に知の探求者をどうにかさせようって思ってたのか?」
理由は不明。ただ司書官になった時期。知の探求者が活発に動き回っているタイミング。そしてこの手紙。ただの息子に宛てたものならば、知の探求者についての中身は要らなかったはずだ。
嫌でも、偶然だとしても、そう勘繰ってしまう。
「残念、当てが外れた――って、本当は言いたいんだけどな」
盛大に、わざとらしく溜め息を吐いた。
「もう
カラドの口角が曲がり、意地悪く笑って見せる。
「親父の意図に乗ってやるよ。どんな考えが、どんな思惑があったかは知らねえし、知らなくても構わねえ。今更息子に命がけのことをさせる親父を、どうこう思わねえよ。司書官と一緒についてきたあの化け物への対抗策、存分に使わせてもらうぜ」
勢いよく、迷いなく、父と母が眠る墓石に向かって、カラドはそう宣言する。
シャルも、初めこそ驚いた様子を見せていたが、小さく、優しく微笑んだ。
「て、てっきりお墓の前で泣くのだと、思ってました」
「はあ? 俺が泣くわけねえだろ。なんだ、泣いてほしかったのか?」
「いえ、いつも通りのカラドさんで、安心しました」
二人の会話は、静かな墓地で良く響く。
そこに強い、ほんの少しだけ暖かい風が吹く。
「大丈夫だって、心配すんな。親父が残してくれた
楽しそうにカラドは振り返る。木々の間。カラド達が通って来た道に一人の少女がいた。
膝に手を付き、息を切らせている彼女の顔は、当然怒りのそれだった。
「遅いんですよ!! 一体どれだけ待たせるんですか。しかもここまで坂道で、結構長かったですし!! 私、一応怪我人なんですからっ」
呼吸を激しく繰り返している割は元気に怒ってみせるレイエルに、カラドは苦笑いで謝罪する。
迎えも来た。柄にもなく話しすぎてしまった。陽が落ちる前に集落に戻った方がいいだろう。
シャルは指輪に戻り、まだまだ元気な様子のレイエルを先頭にして進む。
一陣の風が吹いた。さっきよりも、柔らかい、穏やかな風。
――後悔なんてしてねえ。俺は俺のしたいようにするだけだ。
墓石へと向き直り、カラドは改めて自分にそう誓う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます