第三章③

 カラドの家庭は決して裕福なものではなかった。ブリューゼルの中心地ではなく、郊外に住んでいるという点から見ても分かる。かといって貧乏なわけでもない。日々の暮らしに支障があったわけでもない。

 青年、カラド=ファブロ・ブラックスミスの親は司書官だった。


 非常に若く、そして期待もされていた。別にカラド自身そのことを振りかざしたり、自慢することもしない。

 寧ろ司書官である父や母は嫌いだった。口を開けば図書館のことばかりで、もの心つくまではそんな親に憧れてこそいたが、月日が経つにつれつまらない家庭に嫌気がさしていった。

 それでも、本は好きだったし、司書官という存在には憧れもした。だからほぼ毎日のペースで図書館には通い詰めている。幼いころからも父や母と共に図書館を訪れていた。


 ただ司書官になろうと思えばそれなりの知力と実力が試される。好きというだけではなり得ない。父や母のようにはなりたくないが、司書官にはなりたい。それがカラドの夢だった。

 しかし、ある日父も母もこの世から去った。知の探求者という謎の存在に図書館を襲われ、絶命したらしい。特に悲しみが生まれたわけでは無い。供養の場でも涙は流れなかった。それは二人が親としてでは無く司書官として生きていたからかもしれないし、遺体一つ残らなかったので、現実に起こったことだと思えなかったせいかもしれない。ただそこで、カラドから目標達成への意気込みが消えたわけでは無い。寧ろ、その想いは強くなっていった。


 二年間。たった一人で暮らしてきた。何をするのにも一人。周囲の人々は手伝ってはくれたが、それでも最終的には何事も一人でしなくてはならない。だからほぼ独学で、司書官を目指そうとした。

 何も無い、ゼロからのスタート。家にある書物を読み漁り、図書館にある本も大体読み尽くした。司書官である親から受け継がれた知識は皆無だ。生前に聞こうとしたが、他の司書官を目指す者はお前のように親が司書官というわけではない。同じラインからスタートし勝つことで初めて意味を成すのだ、と言われ一蹴された。


 だから全力で勉学に身を注いでいたが、あまり頭は良い方では無く、覚えるべきことを中々覚えられない。経験則でならば覚えられるのだが、頭にのみ入れるという行為が、カラドには合わなかった。そんな自分のことをよく理解していたから、司書官になるための試験も受けなかった。

 分かっていた。もう諦めるしかないと、これ以上続けても成長しないし、発展する見込みもないと。親が残したお金も僅かにしかないので、そろそろしっかりとした場所で働かなければならないと思っていた。


 だから、司書官になったという状況はカラドにとって都合が良かった。なる過程が望むものだったかは別としてだが。

 とにかくごく普通の、一般的な家庭層にカラドは生まれた。よって家の広さもそれに比例する。それほど広くも無い家の中から、必需品をかき集めることにそれほど時間は掛からなかった。


「まだやってるよ、あいつら」


 窓から望む景色には元気よく走り回る子供たちの姿と、それに振り回されているレイエルの姿が見える。レイエルがその役目を交代してくれていなければ、夕方まで鬼ごっこに付き合わされていただろう。その点は彼女に感謝しなければならない。

 ともあれ大体の荷造りは終わった。カラドは他に必要なものが無いか、部屋一つ一つを見て回る。

 目ぼしいものが特に無い。ほとんど詰め終えてしまったのだろう。あまり時間を掛けてもレイエルに悪いので、切り上げようとした所で、ふと一つの部屋が目に入った。


「……」


 父の部屋だ。ほとんどの部屋は見て回ったが、そこだけはまだ見ていない。別に生前父に部屋に入ることを禁止されていたわけではない。ただ何も用事もなく、その部屋に入れば父に窘められた。

 ――何か用事か、用事が無いのなら入って来るな、忙しいんだ。


 その三つの言葉が決まって聞かされた。懲りずに入っていった時期もあったが、ろくに相手もしてくれない父から、カラドは次第に離れていった。

 父と母二人ともが司書官で、仕事に真面目な人間だった。同じ職場で働いている二人が遅くに帰ってくることもある。ニコやステラの家庭にお世話になることもあった。時間が経つにつれ、親との時間が短くなりつつあった。

 カラド自身それでも良かったと思っていた。仕事ならば仕方のないことだし、二人は親では無く司書官として生きているのだから正直どうでもいい。無理に話して、怒られるのも癪に障る。カラドからも、親と関わり合いにならなくなっていったのだ。

 そういった理由からカラドはこの部屋に長い間入ってはいない。二人が死んだ時、一瞬入ったぐらいだ。


 今日も入るつもりは無かったが、司書官として働いていたのだから、それに対する心得のようなことが書かれている書物の一つや二つあってもおかしくはない。もしそういったものが見つかれば使わせてもらおう。そんな淡い期待を込めて、カラドは父の部屋へと足を踏み入れる。

 部屋は片付いていて、あるものは壁に備え付けられている本棚に収められている本と机、それと椅子それだけ。供養した時に粗方共に埋葬したので、必需品や父が愛用していたものは根こそぎ無くなっている。

 今回の目的はそれらではないので、カラドは迷うことなく本棚へと足を向ける。


 以前父に司書官になるための本が無いか尋ねた時に、そんなものに頼らずまずは自分で探し調べろと言われていたので、無い可能性も考慮していたのだが、その本はあっさりと見つけられた。


「こんないいもんあるなら、見せてくれりゃあいいのに」


 今更そんな文句を言っても始まらない。試しに中身を確認してみることにする。

 基本的なこと、覚えておかなければならないこと、応用で出来ること、忘れてはならないこと。色々と司書官について記載されており、役に立ちそうな本だ。流し読みし、最後のページに辿り着き、その手が止まった。

 通常、本の最後には著作年、著者などの奥付が書かれているのだが、そこに見えたのは奥付ではなく一枚の紙が貼りつけられていた。

 父の残したメモ書きか何かだろうか。カラドは躊躇なくそれを剥がし目を通す。


 『我が息子カラドへ』


 書き出しはそう綴られていた。


「これって……」


 父からの手紙、なのだろう。予想だにしていなかったものが出て来てしまい、流石に動揺してしまう。

 あれだけ実の息子に対して冷たかった父が、何を思ってこれを書いたのだろう。カラドは深呼吸で息を整え、黙読に取り掛かる。

 内容は短くも長くも無い。ただダラダラと長い初めの挨拶も無いので、簡単に読み進めることが出来た。

 内容は――


 『これを読んでいるということはカラドは司書官になったということだな。もし違っていたのならばすまない。ただ司書官になったという前提で話を進める。

 司書官になるのは簡単だっただろう。何せ私があの男にそうするように頼んでおいたのだからな。あいつなら上手くやってくれると思っていた。お前一人の力では教養の面で司書官にはなれない。お前を司書官にさせるにはそれしか方法が無かった。

 お前の性格柄コネだなんだと怒りそうだな。私としてもこんな方法は望ましくない。ただ親として、何も残してやれない私からの、ささやかなプレゼントだと思ってほしい。それに知識面においては駄目だが、お前には司書官としての才能が感じられる。私よりも、ずっとな。

 書面でならば色々と書けるかもと思ったんだが、どうやら書状でも口下手らしい。何を書いていいのか分からない。

 何にせよこれからのカラドの人生の健闘を祈っておくよ。あまりいい父親では無かったかもしれないが、少しでも良い人生になれるよう、私のものは使ってくれて構わない。

 今まですまなかった。それと、ありがとうな』


 なんという自分勝手な人間なのだろう。カラドがそれを読み終えて、初めに思った感想がそれだった。口下手なことに関してはこの際どうだっていいが、それを踏まえてもこれまでの冷たい態度に、勝手に司書官候補として紹介されていて、しかも今更父親面ときた。怒りを通り越して、呆れてしまう。

 どれだけ不器用なんだと、そのことを痛ましく感じる。


 書面を読む限りでは、今陥っている自分が司書官になっているという状況は父によって作りだされたものらしいが、そこに一体どんな意図があるのか、何故カラドが推薦されたのか、それに対する理由が何一つない。

 本当にただ才能があるというだけ、本当に親心というだけなのであれば、それはいい迷惑だ。今まで何一つ与えてこられなかったのに、突然こんなにも大きなものをもらっても、どうしていいか分からない。

 本当に――


「どうすりゃあいいんだよ……」


 内容にも言えることだが、突然の謝罪と感謝の言葉はカラドを混乱させる。

 全てが遠いことのように感じた。この手紙も、父のことも、外で聞こえる楽しそうな声も。何もかもが酷く浮いて見える。

 カラドの胸中に色々な物が芽生え始める。そのタイミングで、カラドの指輪は独りでに発光を始めた。


「……シャル。どうしたんだ?」

「い、いえ。今のカラドさんには、誰か横についていた方がいいと、思いまして……」


 緊張したようにそう申し出るシャル。つまり誰かの支えがあった方が良いと判断し、指輪から脱け出て来てくれたのだ。

 指輪からは一応外の世界が見られるらしい。それに指輪所持者の心情も、分かってしまうそうだ。

 そう思わせてしまったことを申し訳なく思い、同時にシャルの心遣いに感謝する。


「悪い。ありがとな」


 シャルはここに引っ越し来る前に知り合った聖霊だ。遊び相手がいないカラドと何時も遊んでいた。そんな友人とも家族とも言える存在のシャルが出て来てくれたことは有難い。

 別に感傷に浸ったりするわけでもないが、誰かが横にいるという状況ほど、心強いことは無い。

 カラドは気を持ち直し、謝罪と感謝が記されている文章からさらに先へと視線を落とす。正直これ以上は読んでも何の意味も無さそうではあるが、不器用な父がこれ以上何を書く必要があったのか、興味本位で読み進める。


「あ?」

「これ、って……」


 そこには父として、息子に対する言葉が並べられてはいなかった。内容は、司書官として。しかもかなりグレーで、カラドたちにとってはタイミングがよいものだった。

 『知の探求者ブックイーターについて』

 本来紙の余白になっていた部分は、史上最悪の犯罪者について綴られていた。

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