第三章①
翌朝、旅支度を終え図書館前に行ってみると、一台の馬車が停められていた。他の道路を走る馬車と比べても、目の前にあるそれは大きく、無駄に豪奢だ。
それを引く馬も逞しく、高級感を漂わせている。
「もしかして、これ?」
トゥーラに馬車を呼んでいるから使ってくれと言われていたので、そのつもりで外に出たのだが、どうみても自分には不釣り合いだ。かといって他を見てもこれしか見当たらない。
呆然とするカラドを尻目に、レイエルは躊躇なく乗り込んでいく。
「何バカな面してんですか。早く行きますよ」
当然だという顔で、促してくるレイエルに首を傾げながらも従う。カラドが乗り込み、ようやく馬車は出発する。
「お前さ、こういうの頻繁に乗ってたりすんのか?」
「そんなお嬢様なわけないでしょう。ただ以前にも乗ったことがあるんです。司書官として遠出する時とか、大体これですね。司書官の既定の乗り物みたいですよ」
「何かイラつくな、それ」
思いの外司書官という職業は高級志向なのかもしれない。司書官が、というよりも図書館を運営している組織が、と言った方が正しいだろうが。
どちらにせよ庶民からの出であるカラドにとって、ただの一司書官がそれほど遠くない場所に出掛けるためだけに、これほどまでの馬車を用意することが鼻につく。
馬車自体は有難いがこんな所でお金を使わなくてもいいのでは、という考え方をしてしまうのは庶民だからだろうか。それとも度胸が足りていないせいなのだろうか。
いずれにせよ自分の貧乏性にふと嫌気がさし、カラドは気持ちが落ち込んだ。
「まあ、良いじゃないですか。正直、司書官の私たちが、しかも絶賛使用中の私たちが、それを言うのもおかしな話ですし、そんなことで一々憤ってたら身が持ちませんよ、絶対」
「そうだよな。どのみち必要なもん運ぶってなったら徒歩じゃキツイし、今は精々使わせてもらうとするか」
そうして折り合いをつけ、馬車はダラダラと目的地に進んでいく。何時の間にか外の景色は石造りの建物ではなく、緑が映える田畑へと変わっていた。
開け放たれた窓から爽やかな風が入り込んでくる。特に暑くも寒くも無い過ごしやすい気候。見覚えのある風景。外を眺めるカラドの胸中に、懐かしさが込み上がってくる。一日離れただけなのだが、そう思ってしまうほど今日この時までが濃く、長く感じられたのだ。
別に実家に思い入れがあるわけでもない。懐かしい以上の感情は無く、それだけだ。
ただ、振り回されっぱなしの今の状況に、この一時的な実家帰省は清涼剤のような効果をもたらしてくれた。
「何格好つけてんですか」
「別につけてねえよ」
少し外を見て物思いにふけっていたら、そんな言葉が飛んできた。相変わらずこの少女は人を馬鹿にすることしか考えていないのかもしれない。だが心なしか、初めよりも表情は穏やかになっている気がする。
まあそれを口にしても否定されるどころか罵倒されるので、不用意に口にはしないが。やはり少しでも距離が縮まったかと思うと素直に嬉しい。あまり拒絶ばかりされると本気でくじけそうになる。
「何ニヤニヤしてんですか、気持ち悪い」
「ほっとけ」
そうこうしている内に、馬車は目的地にたどり着く。
ブリューゼル郊外に位置するここは石造りの建物なんて洒落たものなど無い。木造で作られた家々がポツポツと点在するだけで、目ぼしい建物は存在しない。
あるのは木々と田畑と家屋だけ。村と揶揄されてもおかしくはない。それほどにこの場所は田舎だった。
「ようやく着きましたね」
カラドとレイエルは地を踏み締めた。結構な時間揺られていた所為かあちこちが痛む。
カラドは疲弊している体の隅々を思い切り伸ばす。
「カラド兄ちゃんっ!!」
「ん?」
そんな肩の力を抜き、完全に隙だらけのカラドへ砲弾のような速度で何かがぶつかって来た。
衝撃でよろけてしまい、みっともなく尻餅をつく。
地味に痛みが走る着弾点を見ると、そこには満面の笑みを浮かべた少年が見上げていた。その顔にも、声にも、衝撃にも身に覚えがある。
「ニコか!! 全然変わってないな」
「当たり前じゃん。一日しか経ってないんだからさ。ていうかどこ行ってたんだよ」
ニコと呼ばれた十四歳やそこらの少年は抱き付きながら疑問を投げ掛ける。しかし、その表情はどこまでも嬉しそうで、そこに不満や怒りは感じられない。
「取り敢えず離れてくれねえか」
カラドのもっともな意見に、渋々といった具合に立ち上がり離れるニコ。カラドも起き上がり衣服に付いた砂利を払う。
ようやく、まともに話すことが出来る体勢になった。前を見ると笑っているニコと、その後ろに見覚えのある少女の姿が映った。
「もうニコ。毎回毎回カラド兄さんに突撃しちゃだめって言ってるでしょう。カラド兄さんの迷惑にもなるわけだし」
年はニコと同じぐらいであろう一人の少女が、ニコの頭をはたきながら注意する。そんな光景を微笑ましく感じる。
「お前も変わらねえな、ステラ」
「一日ぶりですね、カラド兄さん。元気で良かったです」
こちらも柔和な笑みを浮かべ、カラドを迎えいれる。今までの一通りのやり取りと、この二人を見て、ようやく実家に帰ってきたのだと実感出来る。ニコとステラは長い付き合いで、弟と妹も同然だった。
「あの、それでこちらの方は?」
微笑みを浮かべていたステラが少し困ったように視線をレイエルに一度向け、問い掛けてくる。レイエルもこれまでの流れについていけず、どうすればいいのか分からない様子で、カラドに視線をぶつけている。
「ああ、こいつはレイエル。司書官で俺の上司にあたるな」
「ちょっと、紹介省き過ぎじゃありませんか」
露骨に不満を漏らすレイエル。紹介を受けた二人も唖然としているが、何やら様子がおかしい。
「え、ちょっ、司書官ってまじで!?」
「そ、それより、司書官でカラド兄さんの上司ってことは、カラド兄さんも司書官!?」
そういえば言ってなかったと、カラドは他人事のような感想を抱く。わざわざ言う必要があったとも思えないし、伝える手段はあったが何よりそんな暇は無かった。
動揺に動揺を重ねている二人に、一から説明しなければならない。カラドは嘆息し、その経緯から話し始める。
「――たった一日の間にそんなことが……」
「というより、カラド兄さんが知の探求者の協力者だなんてどう考えても変です」
ニコは驚き、ステラは憤然としている。カラドも、もし自分が二人の立場ならばどちらかの感情を抱くはずだ。
それぐらいに理不尽な決定で、巻き込まれているといっても過言では無い現状だ。一通りの説明をしていた自分自身も、突拍子も無いことを言っているということが分かる。
二人共納得していない態度だった。
「あのー、それでこっちの二人とカラドさんはどういった関係なんですかね」
そうしてもう一人、納得のいっていない少女が待ちきれずに尋ねる。自己紹介をしたにもかかわらず、相手の情報がまるで伝わって来ていないのだから当然だろう。それを受けてカラドは二人を紹介する。
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