第二章⑦
「とにかく、全員が無事で良かった」
トゥーラの声が書架に木霊する。
カラドもレイエルもその表情には疲れが滲んでいるが、基本的に生命活動に支障は無い。書庫の惨状を見れば、これだけで終わって良かったとさえ思える。
しかし、これで終わりでは無い。
だが、トゥーラは笑い、
「本当に、切にそう思うよ。あれだけの事件を起こしてきた
「でも、逃がしてしまいましたよ」
「現状、奴に対して打開策が無い。そんな中で足止めをしても、無駄に傷を負うか、最悪死ぬだけだ。そういう意味では、逃げてくれたことには感謝しないといけないかもな」
忌々しそうに呟くが、やはりそれは本心なのだろう。今までに襲われた図書館のことを見れば、被害は圧倒的に少ない。
その点に関して言えば、トゥーラの言う通り逃げたことは良かったことに違いない。元から
「それで、これからどうするんだ? 図書館はこんな状態。開館も出来ねえだろ」
カラドは壁に開いた大穴を見つめる。老朽化によって崩れたわけでも、物理的に無理矢理こじ開けられたわけでもない。壁の耐久度のおかげか、周囲には罅一つ無く、綺麗な穴が開けられている。
それは人ではない、化け物が生み出した痕跡だ。
「書籍紛失に、施設破損。まあ面倒くさいことは他にも色々とあるが、何より書庫の本が粗方喰われたのが痛いな」
書庫にある本は新しく書かれた本が出る度にその場所に送られる。その基準としては単純に古くなってしまった本、貸出頻度が低い本、保存しなくてはならない本などで、もちろんその中には貴重なものも含まれている。
歴史的にも文化的にも価値のあるものが紛失してしまった。図書館を管理するもの、司書官としてその失態は大きい。
「別にトゥーラさんが悪いってわけではないじゃないですか」
「そうも言っていられないんだよ。本当に、面倒なんだ」
トゥーラは笑ってこれから先見える、耐えざる苦労を誤魔化し、続ける。
「どのみち図書館は明日は使えない。直るかどうかは分からないが、明日は修繕作業に充てることにする。とりあえずお前達にもそれを手伝って貰おうかと考えている」
ということは明日は事実上の閉館ということになる。
この司書官の仕事を初めてまだ初日だが、仕方ないだろう。覚えなければならないことが山積しているが、今はまず職場を利用できるようにすることが最優先だ。
「ああそうそう、カラド君」
「何だよ」
司書官というよりも修理士の仕事だな、と考えていたカラドに、トゥーラが呼び掛ける。
「遅くなってしまったが、君の部屋を見繕ってみた。案内しよう」
「へえ。結構早く出来たんだな」
先を歩いて行くトゥーラに、カラドとレイエルはついて行く。図書館そのものは基本的には書架と書庫だけ。司書官が休憩したり、集まったり、寝泊まりする施設はその隣に設けられている。
カラド達は図書館と別棟とを繋ぐ廊下を抜け、一つの部屋の前に辿り着く。比較的図書館という建物自体が古いので、ここ別棟に備えられている内装もアンティーク、というと聞こえは良いが、実際はボロボロ。目前にそびえ立つ扉も取っ手は所々錆び、開くだけで壊れてしまいそうな様相を呈している。
カラドはその時点で、一抹の不安を抱くが気にしている場合でもない。万が一、壊れてしまわないよう慎重に扉を開く。
「おお、想像してたより大分マシだな」
映った景色は有り体に言えば殺風景だった。
ベッドと机に椅子、ただそれだけ。華やかさも、面白味もない、ただ寝るためだけの場所に過ぎない。
しかし、それでもこの薄汚れた空間から十分清掃が行き届いているこの光景は、それまで想像していたものよりも遥かにマシに映った。
「急ごしらえだったからな。これが限界だった、すまない」
「十分。これぐらいありゃ、普通に生活出来るな」
外観や内装からもっと酷い状況を予想していたのだが、良い意味で裏切られ安堵する。事務所で寝るのも良いが、やはりこういった区切られた個別の空間の方が、落ち着くだろう。
ただ寝泊まりが出来る場所があればそれだけで良い。これ以上は求めないし、求めなくてもカラドは構わない。
「ただ何というか、生活感が圧倒的に足りませんよね」
「まあ一時的なもんだから、これぐらいありゃ生活できると思うけどな」
人が三人入って少しだけゆとりのあるスペースには三つの家具しか無い。確かにいくら予想以上に綺麗だと言っても物寂しさは拭えない。
ただ現在カラドは差し当たって司書官をしているだけで、疑いが晴れればここにはいられなくなる。その間だけなので、多くの家具が必要になるということも無い。
カラドとしてはこれで満足なのだが、しかしトゥーラはそのことについて真剣に思案する。
「やはりそうだよな。飽く迄も一時的とはいえここには住むことになる。その期間が何時までなのか分からないが、生活必需品はあって損はしないだろう。……そうだ、カラド君」
「?」
「君の実家は、確かブリューゼルの郊外だったな」
「えーっと、俺、実家の場所とか言ったか」
「一応上から君の情報は回って来ていてね。勝手ながら見させてもらったんだ。さて話を戻すが、ブリューゼル郊外ならばそれほど遠くは無い。君が必要というのならば、明日実家にある家具を持ってきてもらっても構わないんだが」
突然の提案にカラドは戸惑ってしまう。
元から実家に帰っても一人しかいないので、帰れないのならば帰らないで良かったのだが、いざ帰ることが出来るとなっても、基本やることがない。
家具を取りに行きたいという熱意があるわけでも無いし、ここに入れられた直後こそ、とっとと実家に帰りたかったが、今ではここで全力を尽くしている方が楽しい。
返答に困っていると、トゥーラは苦笑した。
「正直言うと君たちみたいな子供は明日ここにいない方がいいんだ。
「じゃあそれを回避させるために、その日俺を実家に帰らせようとしてたのか」
「ああ。君だけじゃない。監視役としてレイエルにも同行してもらう」
トゥーラはここにいる、もう一人の子供の名前を上げた。まさか名前が上がるとは思っていなかったのか、レイエルは酷く驚いた様子で、その視線に抗議の意志を露わにさせた。
「わ、私もですか?」
「カラドは一応
直々の指名をされ、どうした表情を取ればいいのか分からなかったのか、微妙な顔が形作られる。それを了承と受け取ったトゥーラはカラドへと向き直る。
「カラド君は、どうだ」
一方カラドとしても、明日ここに居ない方がいいのならば、実家で色々物色してくることも吝かではない。近隣の人々とも一日空いただけだが、久しぶりに会うことが出来る。
「そういうことなら、構わねえよ」
二つ返事で、カラドはそれに応じる。様々な余韻を残して、カラドの初勤務が終わった。
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