第二章⑥
「ようやく、元気になったみたいだな」
「あなたのおかげでは、無いですけどね」
「別にそういうの求めて言ったわけじゃねえ―っと、危ねえ」
レイエルの目前を通り去ったのは、それまでに何度も放たれた
悪意そのものの摂食は背後の壁を削り、そして一瞬にして周囲からその気配は消える。
「気を付けてください。あいつはあらゆるものを食べます。本だろうが、壁だろうが。人だって容易に喰われちゃいます。しかもその方法は口だけじゃない。手からも食べれるんです」
「じゃあさっきのも手か」
「多分そうですね。間合いの程は分かりませんが」
「いやそんだけ分かりゃあ十分だろ」
カラドは遠い闇を見つめる。その先には
足に力を込め、一気に跳躍する。ただの人には出せない速度と力。無論、聖霊の能力を借りているだけだ。その力を使い、カラドは
「待っていましたよ。さあ始めましょ――、うがっ!?」
満面の笑みで出迎えてくれていた
「ああ悪い。まだ慣れてねえからよ」
再び闇の方へと飛ばされる
「があっ!?」
炸裂する衝撃音が鳴り渡り、身体は床に叩きつけられる。余りの強さにその身は一度床に落ちたあと弾み、再び宙に返った。
「そらよ。もう一発だ」
そのタイミングで、カラドの蹴りが脇腹に刺さる。言葉こそ軽々しいが、重い一撃を受け
騒音。まさにそれが似合うぐらいに、様々な音が生み出され、騒々しさを形作っていた。
そうしてようやく、辺りはあるべき静けさを取り戻した。
聞こえるのはカラドの呼吸だけ、だったが――
「ぎぃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃっ!!」
雑音に似た笑い声。不快なそれは闇よりも濃く、この空間を支配した。カラドは眉を顰める。
何が可笑しいのか。
「最高だ。わたくしは幸せものです。もう笑わずにはいられない。欲しいっ。あなたが欲しいのですよ!!」
倒れていた男の身体が、操り人形の如く無駄な動き無く起き上がる。あれだけの攻撃を加えたのに、見た目はピンピンしている。普通の人間ならば全治一年レベルの大けがは必至だ。普通の人間では無いのだろうが。
「偉く上機嫌じゃねえか。俺はムカついてるってのに」
「ええ。今まで生かされてきたことを神に感謝するほどには晴れやかな気分です。これほど素晴らしい逸材に出会えたのですからっ」
手を向けられる。カラドはそこから生じる何かを避ける。
油断はしている。その自覚はあるが、相手の攻撃には最低限の注意を払っているので、この程度の攻撃ならば大した問題はない。
ただ、殺せない。気絶でさえさせることが出来ない。厄介な存在だと、カラドは嘆息し、鳩尾に蹴りを叩き込む。
「ふごぉっ!?」
「ったく。どうすりゃいいんだよ」
対処に困るカラドはとりあえず蹴り続ける。
「か、勝てないですね……」
「そりゃお前みたいな奴に負ける気なんてしねえしな」
「いえ、そうではなく……」
「?」
僅かに、
もちろんそれも
「あなたがわたくしに勝てないってことですよっ」
「――!!」
不用意に近づき過ぎた。そう後悔するよりも前に、向けられた手に反射的に身体が回避の反応を取る。
間一髪で躱したそれはカラドの上方を通り過ぎ、書庫の天井を喰い破る。
空いた天井からは人工的な光が差し込み、闇の濃度は薄くなる。
「てめえ……」
「あなたはわたくしに勝てない。ですが同時に、負けも無い。それはわたくしでも同じことが言えます。わたくしが負けるなど有り得ないし、現状態では勝ち目は低い。これ以上続けても、恐らく無駄でしょう」
「ここは一旦立ち去りましょうかね」
「おい待て。誰が逃がすと思ってんだ」
確かに
カラドはいつでも攻撃出来るよう、体勢を整える。お互い向かい合い、沈黙が訪れる。何者も立ち入り難い空間が出来上がっていた。
「逃げるつもりか? この犯罪者」
そんな静寂は一つの声にかき消された。睨み合っていた二人は、ある一点に視線を誘導される。
光が差し込んだと言ってもそこは地下。多少なりとも暗闇は作られる。その闇から、一人の女性が姿を現した。
「トゥーラさん!?」
「増援、ですか」
司書官長トゥーラ・ラミノースがそこにはいた。
カラドは素直に驚きを見せ、
カラドに対して笑顔を向けた後、トゥーラは表情を硬くし、男に近づいていく。その歩みには恐怖も戸惑いも無い。
「レイエルに言われて駆けつけてみれば、よくも好き勝手暴れてくれたものだな。各図書館を一時的に閉館に追い込み、本は修復不可能なほど汚く破り千切られ、そして同僚の命を奪っていった。お前は、幾つ罪を重ねるつもりだ?」
あるのはただの怒りのみ。そう言わなくても分かるほど、怒りに満ちたオーラを放っていた。それこそ、カラドがその身を退いてしまうほどに。
「これはまた、随分と麗しい方が出張って来たものです。どうですか、私に食われてみる気はありますか」
その威圧感の中、尚も
「ヘラヘラと!!」
怒気は臨界点に達したのか、怒号を飛ばし、指を紅い装飾のイヤリングに添え、そしてそれを弾いた。
音はしない。光もしない。何か明確なアクションがあったわけではない。不思議な現象を介したわけでもない。しかし、トゥーラのその動作の直後、光の明滅と共に、
「なっ!?」
明確な驚きの声を
まるで魔法そのもの、聖霊すらその姿を見せず、これだけのことをされたのだ。距離はあった。目を離してもいなかった。しかしトゥーラは誰にも、もちろんカラドにも気付かれること無く、炎を上げた。
「くっ、もう炎はこりごりですね」
膨大な光量と熱量を振り撒いていた炎が、瞬時に消え、
「トゥーラさん!!」
トゥーラの身を案じ、叫ぶがすぐにそれが杞憂だと思い至る。彼女は軽々と見えないそれを避けてみせた。
「こう当たらないと傷付きますね、本当に」
書庫を照らす光が陰る。何時の間にか、
「逃がすかっ」
カラドがそう叫ぶよりも早く、トゥーラが声を張り上げ、再びイヤリングを弾いた。
代わりに書庫の天井部に炎が上がる。
「本日はとても楽しいイベントをありがとうございました。また出会えればその時は、もう一度遊んでくださることを願っております」
「ちぃっ」
声だけが書庫に降り注ぐ。急いでカラドも後を続くが、そこには見慣れた薄汚い男の姿はなく、図書館の壁に人一人通れるほどの穴だけが残されていた。僅かな希望を抱き、その穴から外を窺うが、辺りに人らしい影はない。
逃げられた。静けさを取り戻した図書館が、一時的に戻った平和がその事実をより一層浮き彫りにさせていた。
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