第二章②
天才だと言われていた。
周りに比べて少し論理的に考えられるだけで。他の世代に比べてものごとに気が付きやすいだけで。そう言われていた。
悪い気はしなかった。当然だろう。天才だ、才能があるだの言われて、喜ばない人間は余程の偏屈者か、天邪鬼ぐらいだ。普通はそこから自信を持つ。
レイエルも例外では無かった。周囲から持てはやされて嬉しかったし、自分は天才なのだと自身を持つことが出来た。だから、必死に勉強に励み、司書官試験にも挑んだのだ。
結果は合格。それも最年少で。ここでもまた才能があると言われた。現在最も権威を持ち、万人に認められ親しまれている司書官に、史上類を見ない速さでなった。舞い上がらない方がおかしい。
そのせいか、失敗ばかりだった。初めてする仕事で、内容も小難しいことばかりとはいえ、それら多くの失敗はレイエルの自尊心をいともたやすくへし折った。仕事に失敗は付き物だと、トゥーラは慰めたが、そんな言葉で回復することが出来るほど大人でも無かった。
天才ではない。そこで初めて、そのことに気が付いた。
井の中の蛙大海を知らず。その言葉の通り、自分は狭い世界で生きてきただけで、本当は凡庸な人間なんだ。少し語学が出来るからって。少し計算が出来るからって。恥ずかしいほどに調子に乗っていた。
自分のアイデンティティが、潰えたような気がした。
それだけだった。才能があるぐらいしか、レイエルには取り柄が無かった。それが、無くなってしまった。
悩み、苦しんだ。存在意義が欲しかった。それが無い自分が何だか無性に恥ずかしかった。
だから塞ぎ込んだ。誰とも顔を合わせたくなかった。
けれど、それが許されるほど社会は甘く無い。トゥーラが部屋を強引に開け破って入ってきた。
怒られるだろうと。説教の一つや二つをされるのだろうと、そう思い身を強張らせた。殴られても、文句は言えない。それだけのことをしたのだから。
「何をしているんだ。仕事の時間だぞ」
「へっ?」
何事も無かったかのように、トゥーラが呼び掛けてきた。怒らずに、責めもせずに、話題にさえ上げない。レイエルは面食らい、気の抜けた声で返してしまった。
「ど、どうしてですか……?」
無意識に尋ねてしまう。それほどまでに、トゥーラの行動が理解出来なかった。
「どうしてって。君は司書官なんだろう。なら司書官らしく書架で働かないでどうするんだ」
「……わ、私は」
天才じゃない。素質も無い。司書官になることが出来たのもたまたま。運が良かっただけのこと。事実、失敗ばかりしていて何も出来ていない。
そんな自分に何をさせようとしているのか。
「何をやっても多分今は駄目なんです。才能が無いって、わかってしまいましたから。失敗ばかりして、それでトゥーラさんに迷惑をかけてしまって。これじゃあ司書官失格です。私では、その役目は背負えません」
レイエルの口からは、不安が流れ出てくる。何も出来ないし、しても邪魔になるだけ。そんな存在だと、思わずにはいられない。
「逃げているのは分かっているんです。先輩方はこれを乗り越えて、苦労して今に至ってるんですから。でもそれは経験があるからで、私はあまりにも未熟すぎるんですよ」
「……確かに、一理あるな」
トゥーラが思案したような仕草で肯定する。やはり自分には才能が無い。司書官の役目は担えない。そのことを考えれば考えるほど、強くそう思う。
悔しい。もっとやれば出来ると思っていた。何事も上手くこなせると信じていた。それなのにこの有り様だ。
感情がうまく操作出来ない。何故か、瞳からは滴が零れてしまっている。
「私、もう――」
「でも才能はある」
一言。トゥーラはそれが当然であるかのように言った。驚いているレイエルを置いたまま、次の言葉を紡ぐ。
「確かに君はまだ未熟だ。社会経験だって豊富ではないだろうし、世界の広さってものを知らない。精神だって、不安定ではある。けれど、初めは誰だってそうなんだよ。経験とかそういったものは皆初めからゼロに等しい。だから生きて、それらを培っていくんだ。恥ずべきことではないよ」
「それと才能があるって、どう繋がるんですか」
「才能があるって言ったのは、すまない。正直私の独断だ。でも君はこの司書官に向いていると思う。あの司書官試験は、ただ天才だと言われていただけで受かるほど易しくは無いからな。やはり向き不向きはあったと思う。その中でレイエル。君は司書官に向いている人間だったんだよ」
「……」
「無理に働けとは言わない。君が今ある選択肢の中で、最良だと思うものを選べばいい。そこに私が入り込む余地はないからね」
「私は……」
ずっと夢だった。
司書官になることが。図書館で働くことが。本を整理し、本を知りつくし、本を他者に届ける。夢のある、高貴に見えるそれに、レイエルはなりたかった。
天才だなんだと言われていても、それになるために、努力を積み重ねた。人一倍頑張った。飽く迄も周りよりは、という評価ではあったが、それでも自分なりにベストは尽くした。
そうしてなった司書官から自分勝手な都合で、今逃げようとしている。辛いからなのか、アイデンティティが崩れるのが怖かったからか。
――違う。それすらも、逃げるための言い訳だった。
本当は、頑張りを無駄だと言われるのが怖かったのだ。否定されるのが、恐ろしかったのだ。だから閉じこもった。誰かと会えばそういった烙印を押されてしまうと思い込んでいた。
そんなこと、あるはずもないのに。トゥーラの言う通り、まだまだ未熟なのかもしれない。もっと経験を積んで、役に立てるようにならなければいけない。
それに、トゥーラはもう一つ、才能があると言っていた。散々言われ続けていたことだった。けれど、彼女が言うと、そうであるような気がしてくる。才能など、自分自身で分かるようなことではないが、レイエルの自信は僅かに回復していた。
「司書官で在り続けていたいです。この仕事が、好きですから」
「そうか。なら、早速だが頼む。一人では大変でね」
「はいっ」
もっと頑張って、いつかトゥーラのようになりたい。何時の間にかレイエルの中でそんな決意が芽生えていた。
その決意をしたのが一年前のこと。
それからは頑張って、司書官の名に恥じない仕事をしてきたつもりだ。やはり失態は見られるが、それよりもはるかに多く、仕事で実績を残している。
この調子で経験を積めば、きっといつか憧れる人物のようになることが出来る。そう信じて取り組んできた。
しかし、思わぬ事態が起きてしまった。
カラド=ファブロ・ブラックスミス。レイエルよりも年齢で言えば先輩で、司書官としてみれば後輩にあたる人物が現れたのだ。
それならば良かった。後輩が出来ることなんてレイエルにとっては夢だったし、年齢で先輩ならば多少複雑ではあるが、色々と教えてもらえることだろう。それだけならば、喜んで歓迎していた。
けれど、彼は違った。司書官になりたくて入ったわけでもなく、ただ周りに流されてやらされているだけ。本が好きであることは伝わってくるが、それだけ。
あれほど難関な司書官試験も受けずになれたことも、レイエルにとって司書官を侮辱しているとしか思えない。
何もかもが腹立たしかった。誇りある書架にそんな半端ものが入ってきたこと、トゥーラに何故か認められていること。居場所が無くなるなどという危機感は覚えなかった。ただただカラドという存在が、苛立たしかった。
そして、カラドが自分よりも才能があるということも。
嫉妬だと分かっている。けれど、それを認められるほど成長していない。
「全く。本当に、何をやっているんですかね」
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